三週間ネパール山村を歩いてきた。そのあいだ、僕はとてもシンプルな毎日を送っていた。朝5時過ぎには目が覚めて、ゆっくりと白んでいく空を眺める。荷物を背負って3,4時間歩いて次の村まで行き、人々の暮らしぶりをゆっくりと見て回る。7時に夕食を食べたら、後はもう何もすることがないので早々に眠ってしまう。
この三週間、外の世界で起きている出来事はなにひとつ僕の耳に入ってこなかった。テレビもなく、新聞もなく、ネットもない。山村における唯一の情報メディアはラジオだが、ネパール語なのでもちろん全然わからない。
最初の二三日はネットに接続できないのが苦痛だった。でもしばらくするとそれにも慣れてしまった。急を要する用事なんて何もないし、世界は僕を抜きにしても滞りなく回転を続けている。やがてインターネットの存在すら忘れてしまった。ツイッターもブログもメルマガもフェイスブックも。
ネパールの山村は圧倒的な「リアル」に満ちていた。重い薪を担いで急な山道を歩く人々。家の中を走り回る鶏。一心に草を食べる山羊。のんびり糞をする水牛。鼻を垂らした子供。かまどで煮炊きをするおばあさん。そんな世界にはバーチャルが入り込む隙間はまったくと言っていいほどなかった。
ネットのない暮らしは、僕を静かに鍛えてくれた。自分に繋がっている無数の細かい情報の糸を一刀両断にぶった切り、ひとつの不完全な肉体を持つ一個人として世界と対峙する。そういうシンプルな日々の中で、僕は「原点」に戻って人を撮り続けた。
村で遊んでいた女の子。
「ナマステ」と両手を合わせて挨拶してくれたおばあさん。
トウモロコシ畑を耕していたおじさん。
家で飼っている山羊を抱きかかえる男の子。
二頭の牛に鋤を引かせてトウモロコシを植える親子。雨季が始まる直前の4月は、ネパール各地でこのような光景が見られる。
ネットもなく電気も水道もトイレもない。そのような環境にある程度までは順応することができた。そこから多くのものを得ることができた。しかしその一方で「ここにずっと住むことはできない」とも思った。おそらくこの生活に耐えられるのは1ヶ月が限度だろう。それ以上は無理だ。
僕はネパールの山村に深く「潜る」ことができる。そこにあるリアルな生活に触れることができる。でもいつかはそこから浮かび上がらないと一種の「酸欠状態」になってしまう。エラ呼吸ができる魚類と違って、肺呼吸をするほ乳類が必ず水面に顔を出して息継ぎをしなければいけないように。
そして僕はカトマンズに戻ってきた。酸欠になる一歩手前で。でもまだうまく都会に馴染むことができない。人が多すぎるし、夜は明るすぎる。距離的にはたいしたことはない(100キロも離れていない)のだが、なんだかとても遠くの世界に行ってきた気がする。遠い遠い世界に。