インドの魅力をひとことで言い表すのは難しい。あえて言えば「なんでもあり」ということになるだろうか。街にはゴチャゴチャと雑多なものが溢れ、まるで統一感がないようにも見えるのだが、ある種の「インドらしさ」はちゃんとある。街を歩いているときに「これってインドにしかないよなぁ」と思えるものに出会えると嬉しくなって、つい写真を撮ってしまう。
インドが「なんでもあり」なのは、寛容性の裏返しだ。多民族、多宗教の国であるインドでは、昔から多くの宗教が共存し、異教徒同士が隣り合って暮らしてきた。「自分たちの信仰は守るが、他者の信仰には干渉しない」という姿勢を守ってきた。
南部タミルナドゥ州で、バナナの卸業を営む店の壁に飾られていた絵はとても印象的だった。それはインドの主な宗教である、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教を同時にまつるものだった。
「私はムスリムだが、他の宗教も尊敬しているよ」と店の主は言った。「従業員にはヒンドゥー教徒もクリスチャンもいるけど、みんな仲間だ」
この絵の上に大きく掲げられていたのは、インド独立の父マハトマ・ガンディーの肖像だった。ガンディーはヒンドゥーとイスラムの融和を説き、インドの分裂を防ごうと努力したが、最後はヒンドゥー原理主義者の凶弾に倒れてしまった。結局、ガンディーの理想は実現されず、その後インドからパキスタンが分裂し、宗教対立によって多くの血が流されることになった。
「マハトマ・ガンディーはとても偉大だった」とバナナ屋の主人は言った。「彼はインド人の魂だ。我々の誇りだ。ガンディーは今でも我々を見守っている。ガンディーの前で恥ずかしいことはできないよ」
やたら味わいのあるインドの仕立て屋の看板。昔の映画看板のような垢抜けないタッチの絵を、街で見かけることはめっきり少なくなった。
インドの街を歩く足のながーい男。竹馬を履いてお店のチラシを配る宣伝マンだ。人目を引く格好で、町の人気者になるという作戦は成功しているのに、ご本人は浮かない表情。「まぁ、やらされているだけなんですけどね・・・」という心の声が聞こえてきそうだった。
インドの街角で日用雑貨を売る屋台を出しているおばあさん。全然客に媚びてない感じがすごくいい。
インドの街角に何気なく置かれたポストが、いい味を出していた。こんなボロボロのポストに手紙を出して本当に着くのか不安になってしまうが、たぶん大丈夫なのだろう。インドの郵便システムは、まぁまぁ信頼できると言われている。
市場に髪の毛を買い取る店があった。1キロ2000ルピー(3600円)で女性の髪の毛を買い取るのだが、何年もかけて伸ばした髪の毛でも1キロには遠く及ばない。この髪の毛は中国やミャンマーなどに輸出されて、カツラに加工されるという。
インドの公衆トイレの入り口。男女別のイラストが非常にわかりやすいインド人ですね。
インド北部の農村でよく見かけるのが、牛糞燃料を作る光景。牛の糞とワラを混ぜ、薄く伸ばしたものを自宅の壁にペタペタと貼り付けて乾かす。牛糞燃料は煙が少なく長く燃えるので、今でも農家での炊事などによく使われている。インド人にとって牛の糞は汚いものじゃないんです。
橋のたもとに集まってバク転の練習をしていたインドの若者たち。やわらかい砂がクッションになるので、頭から落ちても怪我しないようだ。