ヒンドゥー教最大の聖地バラナシは、何度訪れても面白い特別な街だ。

 今年のバラナシは特にサドゥーの姿が目立った。6年の一度の大祭「クンブメーラ」が150キロ離れたアラハバードで行われていて、その終了と同時にサドゥーたちがバラナシに流れてきたようだ。

 灰で全身を白く塗った全裸のサドゥーたちがガート沿いを闊歩している光景は、何でもありのインドを見慣れた僕にも驚きだった。バラナシは現代の異空間なのだ。

 

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india19-94600聖地バラナシで出会った若いサドゥーの風貌は、シヴァ神にそっくりだった。放浪の求道者であり、世捨て人でもあるサドゥー。全身に白い灰を塗り、衣服を身に着けず、ガンガーに昇る朝日を全身に浴びている。俗世間の常識をすべて脱ぎ去ったサドゥー本来の姿がそこにあった。

 

india19-98190全裸に白い灰を塗り、奇妙な帽子と数珠で飾り立てた(?)サドゥーたちが、ガンジャ(マリファナ)の回し飲みをしていた。なんでもありのインドの中でも、サドゥーは極めつき自由な人々だ。

 

india19-95627聖地バラナシで出会ったサドゥーのオームギリさんは、サドゥーとなる以前の記憶は全て忘れてしまったという。自分の名前も親兄弟のことも全てだ。 「全ての女性が私の母であり、全ての男性が私の父である」と彼はガンガーの流れを見つめながら言う。バラナシなら、その言葉が信じられそうな気がする。

 

india19-93513聖地バラナシの朝は、ここにしかない朝だ。朝の光に向かって祈る人、ヨガをする人、そして炎を捧げるプジャを行う人。さまざまな声と祈りと供物が混じり合いながら、ガンガーに流れ込んでいく。何度見ても、見飽きることのない光景だ。

 

india19-93180バラナシのガート(沐浴場)にいた牛。牛さえも哲学的なことを考えているような表情にさせるのが、バラナシの力だ。近年、路地裏を占拠していた野良牛の数が制限され、バラナシの牛は大きく数を減らしている。何百年も変わらない姿を留めているはずのバラナシも、変化の途上にある。

 

india19-97493バラナシで毎晩行われるプジャの儀式。コブラをかたどった燭台に火をつけ、鐘を鳴らしながら回す。儀式を執り行う若者は2,3年ごとに入れ替わるが、やることはまったく変わらない。ブラマンの家に生まれたものの名誉ある義務として、彼は毎晩炎を回し続けている。

 

india19-98019バラナシもこの数年でずいぶんきれいになった。ゴミ箱も設置され、政府に雇われた掃除の女性がガートを掃き清めている。野良牛の姿も減った。ゴミや牛糞の少ないバラナシなんて「らしくない」という人もいるかもしれないが、これも世の流れ。混沌と汚濁にまみれた聖地も、徐々に変わりつつある。

 

india19-98261バラナシを訪れ、ガンガーの水で沐浴した後、朝日に向かって祈る巡礼者たち。母なる河ガンガーの水は罪を洗い流すと信じられている。

 

india19-101177バラナシ、ベナレス、ヴァーラーナシー、ワーラーナシー、ワラナシ、バナーラス・・・。これほど有名な街でありながら(だからこそか)日本語表記が人によってもメディアによってもバラバラな状況を変えようという気運も高まらず、「ま、好きにすりゃいいじゃん」で今に至っているのも実にインド的だ。