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ラオス北部では、国道1号線に沿って旅をした。
「国道1号線」と聞くと、「その国の物流を支える大動脈」というようなイメージが沸くのだけど、ラオスの場合は事情が全く違っていた。山岳地帯のちっぽけな町と町を結ぶ、交通量の少ない田舎道。それがラオスにおける国道1号線の姿だった。
本当の意味でラオスの大動脈となっている道――古都ルアンプラバーンから首都ビエンチャンに至り、メコン川沿いの南部の町を結ぶ幹線道路――には「国道13号線」という名前が付いている。どういう経緯でこの番号が振られたのかは知らない。担当官吏の気紛れなのだろうか。
それはともかく、僕はバスを使って国道1号線を西から東へと移動した。ウドムサイ、ナンバ、ノンキアウ、ビエンカム、ビエントンといった町で途中下車しながら、時間をかけて旅をした。国道1号線沿いには町とは呼べないほどの小さな集落も多かったが、山岳地帯に住む人々の飾り気のない暮らしぶりを見ることができたので、なかなか面白い旅になった。
同じ国を長く旅していると、今日と昨日と一昨日の違いがだんだんわからなくなってくるものだが、北ラオスではそういうことはなかった。それぞれの町には、地味でありながらもはっきりとした個性があった。
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例えば、酒浸りの正月を過ごしたウドムサイは、中国との国境に近いということもあって、急速に開発が進んでいた。町には中国人商人の姿が多く見られ、商店や宿にも中国語の看板が掲げられていた。去年まで町の中心だったバスターミナルは郊外に移転し、その跡地には大型の市場が建設中だった。発展著しい中国経済の勢いが、この辺境の町にも大きな影響を与えているのは明らかだった。
ウドムサイからバスで2時間半のところにあるナンバという町にも、変化の波が訪れていた。僕は4年前にもこのナンバを訪れたことがあるのだが、その時に比べると町は大きく様変わりしていた。
家や商店の数が目に見えて増え、通りを歩く人の姿も多くなっていた。以前は1日のうち2時間しか電気が使えなかったのだが、今では24時間使用可能になっていた。町に数台しかなかったテレビの数は急増し、今では衛星放送受信用の大きなパラボラアンテナがあちこちに立てられていた。テレビのない家の子供がテレビのある家に集まってくるという光景も、ほとんど見られなくなった。パソコンを持っている家もあった。ネットカフェはまだないが、近いうちにできるだろう。
安い中国製の衣類や雑貨が輸入されるようになって、人々のファッションも変わりつつあった。4年前に竹で編んだ籠の中にナタを入れて歩いていた女の子たちは、今では合成皮革のカラフルなバッグを提げて学校に通うようになっていた。
ナンバはこの数年の間に急速に豊かになりつつあったが、人々の暮らしのベースとなるものは変わっていなかった。そのことは町のそばを流れる川に行けばよくわかった。川は人々が水浴びや洗濯をする生活の場であり、魚や川海苔をとったりする仕事の場でもあった。山から流れてくる川の水は冷たく、長い時間足を浸けているのは辛いはずなのだが、女たちは腰を深く曲げ、黙々と川海苔を摘んでいた。
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