シェムリアップの南西にある村では、赤ん坊のお祝いの儀式に遭遇した。なにぶん土地の人から身振り手振りのコミュニケーションを通じて聞いたことだから詳しくはわからないけれど、この家に生まれたトゥーンという男の子の生誕四ヶ月をお祝いする行事であるらしい。たぶん日本の七五三参りのようなものなのだろう。

 家の中には親戚や村人達が二十人ほど集まっていた。儀式を執り行うのは一番年長のおばあさんである。彼女は白髪頭をとても短く刈っている。理由はよくわからないが、カンボジア人の女性はある年齢に達するとみんな頭を丸めてしまうのである。

 その白髪おばあさんが呪文のような言葉をぶつぶつと唱えながら葉っぱを水に浸し、赤ん坊に水しぶきを振りかける。清めの水か何かなのだろう。水しぶきが飛ぶたびに、トゥーン君の両親は目を閉じて両手を合わせる。それに続いて白髪おばあさんの手でトゥーン君の前髪にはさみが入れられる。これは形式的なもので、実際に髪の毛を刈ってしまうわけではない。そもそもまだ四ヶ月の赤ん坊の頭には、散髪できるだけの髪の毛は生え揃っていない。

 それが終わると、何人かの大人がトゥーン君の腕に紙幣を巻き付けていく。これは将来お金に困らないようにという意味なのだろうと推察する。僕も行きがかり上財布から1000リエル札を出して、彼の腕に巻いた。一連の儀式が仏教と関わりのあるものなのかどうかはよくわからなかったけれど、白髪おばあさんのシャーマニックな雰囲気からすると、土着のアニミズム的信仰の影響を強く受けた儀式のように見えた。


 儀式が終わると、参加者全員に昼ご飯が配られる。米を原料にした麺の上にモヤシなどの野菜を乗せて、ココナッツが入った緑色のスープをかけて食べる料理である。タイやベトナムに比べると、カンボジア料理はスパイスの使い方がマイルドで、日本人の口に馴染みやすい。この麺も日本で食べるサラダ冷麺のようにさっぱりとして美味しかった。麺料理と一緒に、米から作ったお酒も振る舞われた。これはアルコール度数が三十五度以上もあるというかなり強い酒である。飛び入り参加の僕の前にも、当然のようにお酒と麺が置かれる。おばちゃん達は「遠慮無くどんどん食べていいからね」と身振りで伝えてくれる。こういうおおらかな心持ちというのはカンボジア人特有のものである。

 白髪おばあさんは麺も食べないし、お酒も飲まなかった。その代わり、一人壁にもたれて煙草を吸っていた。とても美味そうに吸い込み、鼻からもうもうと白い煙を吐き出す。年はいくつですかと訊ねると、六十三だと答えた。

 カンボジアでは子供や若者の数に比べて、年寄りの数が圧倒的に少ない。平均寿命も長くないし、内戦やポル・ポトによる圧政によって多くの人の命が奪われた時代の影響も大きいのだろう。カンボジアの人口ピラミッドはかなり極端な三角形を描いているはずだ。


 年寄りが少ないからなのかはわからないが、カンボジア人は老成するのが早いように思う。白髪おばあさんも僕の目には七十を過ぎているように見えた。若いうちに結婚して何人かの子供を育て、子供達が十代の後半になってそれなりの稼ぎを得るようになると、四十代半ばにして半分隠居みたいな生活を送る人もいる。日本だったら働き盛りの年代の人が、もう孫を抱いて余生を過ごしていたりする。あるいは彼らは若い時に懸命に働いた苦労を、育てた子供に楽をさせてもらうことで埋め合わせようとしているのかもしれない。そうした考え方も子沢山の一因になっているのではないかと思う。


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