本物の写真家になるために
発展するシェムリアップ
カンボジア人がカラオケ好きな理由
カンボジアにはなぜ老人が少ないのか
窓から覗き込む少女の横顔
3年という歳月が少女を変えた
日本兵に恋したビルマ人
象使いがいる森へ
カレン族の村で食べたトカゲカレー
カレン族は日曜日の朝に賛美歌を歌う
ある僧侶の死
ダッカのスラム街で暮らす少女との再会
ダッカの空気がきれいになった理由
フレンドリーなダッカの人々
お金を集めて回るゾウ
タンガイルの売春婦
ムスリムたちの反米感情
美少女の国・ネパール
サリタが学校をやめた理由
ネパールの反政府武装組織・マオイスト
手榴弾の重み
モンスーンを待ちわびて
ネパールの結婚式
トイレのない村で用を足すには
ネパールに残るカースト制度
アフガニスタンは美しい国だった
カイバル峠を越えてアフガニスタンに入国する
カブールは多民族国家アフガニスタンの顔
バーミヤン・美しすぎる山里
ブルカと青空
青空学校の子供たち
若者が向けた銃口
生まれてからずっと、戦争だけしていた
マザーリシャリフからヘラートへの長い道のり
アフガニスタンの輸出品の第一位はケシ
バスを乗り継いで、イランからトルコへ
幸せなトルコの子供たち
2004年1月、僕は二度目の長旅に出発した。行き先はやはりアジアだった。
この旅で「自分が写真家として生きていけるのかどうか」を見極めるつもりだった。今度こそ「自分の実力でつかみ取った一枚」を撮ろう。僕はそう心に決めた。
路地裏をあてもなく歩き回り、出会った人々の表情を撮る。それが僕の旅のスタイルだ。口癖は「I’m not sure」。どこへ行くのか決めていないし、今日の予定なんかない。
たったひとつ確かなこと。それは僕がアジアの人々にどうしようもなく惹かれているという事実だった。