わざわざ陸路でヘラートに行くバカはいない

af04-6725 カブールからマザーリシャリフまでの道のりもかなり過酷なものだったけれど、マザーリシャリフからヘラートまでの道のりは、その何倍も厳しいものだった。

 僕がまず最初に直面したのは、マザーリシャリフからヘラートへ行く定期バスというものが存在しないという事実だった。あまりにも道が悪く、時間がかかりすぎるために、この二都市を移動する人はみんな飛行機を利用するのである。

af04-6808 マザーリシャリフ・ヘラート間は直線距離にしてわずか五〇〇キロほどであり、飛行機を使えば三十分で着いてしまうのだが、車だと丸三日もかかってしまうのだ。にもかかわらず、両者の運賃にたいした違いはない。飛行機だと四〇〇〇円、車だと二〇〇〇円なのだが、三日間の食費を含めると、差はほとんどなくなってしまう。あらゆる物価が高めであるアフガニスタンにあって、どういうわけか国内便の航空運賃だけは例外的に安いのである。そんなわけで、僕が「ヘラートに行きたい」と言うと、誰もが判で押したように「それじゃ飛行機にしな」とアドバイスしてくれるのだった。

 それでも僕は陸路での移動にこだわった。都市と都市を点と点で結ぶだけの空の旅では、その間にある農村の暮らし、ごく普通のアフガン人の生活を知ることはできないと思ったからだ。バーミヤンに向かう途中で目にしたヒンドゥークシュ山脈の美しい青空や、厳しい自然の中で逞しく生きる人々の姿は、陸路で移動していたからこそ出会えたものだった。道のりがハードになればなるほど、そこから得られるものが大きくなる。アフガニスタンとはそういう土地なのだ。

 僕はマザーリシャリフの町を歩き回って、ヘラートへ行く乗り合いハイエースの情報を集めた。すると複数の男から、「ラフマーンという男が運転する車が、明日の朝にヘラートへ向けて出発する」という情報を得ることができた。どうやらヘラートへ行く車は皆無ではないようだった。

af04-6632 翌朝、教えられた場所に行くと、客待ちをしているラフマーンに会うことができた。四十過ぎぐらいの立派な顎髭を持つ男だった。幸いにして彼は片言の英語を話したので、交渉はスムーズに行った。
「ヘラートまで行くのは、俺とあんただけだ」とラフマーンは言った。「あんた以外の客は、みんな途中の町で降りる。客が降りたら、新しい客を乗せる。そうやって三日間走るんだ」

 彼によれば、三日間というのはトラブル無しで行った場合であり、ときには一日か二日余計にかかることもあるという。料金は一〇〇〇アフガニ(二〇〇〇円)をヘラートに到着後支払うことで決まった。

 乗客は全部で八人と少なかったが、空いたスペースには日用雑貨や煙草などの荷物が大量に積み込まれた。町で仕入れたものを農村に持っていって売るのだという。

 
 

トヨタがナンバーワンだ

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我々のハイエースはしょっちゅう止まった

 ハイエースは五時半に出発し、それから三時間ほどはきちんと舗装された道を進んだが、その後は道路と呼べるのかも怪しいような悪路を行くことになった。 都市周辺の道路は一応整備されているのだが、町を離れるにしたがって道がどんどん悪くなっていく、といういつものパターンがここでも繰り返された。

 砂漠のような荒れ地の中を、先行した車の轍を辿って走ることもあった。まるでパリ・ダカール・ラリーの砂漠ステージのように、自分たちで道を見つけて走らなければいけないのである。

af04-6747 そんな場所では、柔らかい砂地にタイヤを取られてしまい、立ち往生することもたびたびあった。そうなると、僕ら乗客は車を降り、力を合わせて車を押すことになる。僕らの乗るハイエースは一応四輪駆動車なのだが、荷物と人の積み過ぎで十分なパワーが出せないのである。蟻地獄からの脱出を試みる僕らをあざ笑うかのように、オフロード仕様のランドクルーザーが土煙を上げながら颯爽と走り抜けていく。

「この車だって悪くないんだぜ」
 運転手のラフマーンが後輪の周りの砂をスコップで掻き出しながら言った。
「こいつはメイド・イン・ジャパンのトヨタだからな。なんて言ったってトヨタがナンバーワンだ。アフガニスタンの道は最悪だから、車はすぐに壊れてしまうんだ。特にフレームが駄目になる。でもトヨタは違う。何年乗ってもフレームにガタがこない。だからアフガン人はトヨタが好きなんだ」

 実際、アフガニスタンを走る車の九〇パーセント近くがトヨタの中古車である。しかもそのほとんどがカローラかハイエースで占められている。どうしてこの二車種に人気が集中しているのか、理由はよくわからない。ラフマーンの言うように、品質の良さがアフガン人に認められているのかもしれない。あるいはトヨタ専門の仲買業者がアフガニスタンに強力なコネクションを持っているのかもしれない。

af04-6929 進んでは止まり、止まっては進みながら、ハイエースは走り続けた。「微速前進」という言葉がアフガニスタン北部の辺境にはぴったりだった。

 それでも僕はこの移動の間、少しも退屈しなかった。アフガニスタン北部の風景は変化に満ちていて、どこを切り取っても印象的だったからだ。カラカラに乾燥した荒野があり、遊牧民がテントを張って暮らす草原があり、ごつごつした岩肌の続く山岳地帯があった。僕らが目にする光景のほとんどが、人が立ち入ることを拒み続ける手付かずの自然だった。アフガニスタンの自然は厳しさを増すごとに、その美しさも増していくように思えた。

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警察署に連行される

af04-6686 午後六時半にアルマールという町に到着した。今夜はこの町の食堂で眠ることにしよう、とラフマーンは言った。出発から十三時間走り続けていたので、さすがに彼も疲れた様子だった。

 アルマールは五分も歩けば一周できてしまうぐらい小さな町だった。一応商店街のようなものはあるのだが、半分以上は扉を閉めたままだった。商店の大半は絨毯屋だった。この辺で作れるものといえば、羊の毛を使った絨毯ぐらいしかないのかもしれない。

 絨毯屋を冷やかし、雑貨屋の売り物を一通り眺めてみたが、欲しいものは何ひとつ見つからなかった。二人組の若い男が僕を挟み込むように近づいてきたのは、そろそろ食堂に戻ろうと思ったちょうどそのときだった。二人とも頭に白いターバンを巻き、茶色のベストを着て、肩にライフル銃を提げていた。彼らは現地語で僕に何事か話し掛けてきた。口調は決して友好的ではなかった。

「言葉がわからないんです。英語は話せますか?」
 僕は英語で言った。たぶん通じないだろうとは思っていたけれど、やはり全く理解してもらえなかった。彼らは「とにかく俺たちについてこい」という風に僕の両肩を掴んで歩き始めた。二人とも僕よりずっと背が低いのだが、力は相当に強かった。

 僕は慌てて、「誰か英語が話せる人はいませんか!」と大声で周りの人に呼びかけた。とにかく彼らがいったい何者で、何をしようとしているのか、把握しなくてはいけない。
 その呼びかけに答えてくれたのは、雑貨屋の店主だった。彼は片言の英語で、この男達は警察官だと教えてくれた。

af04-6775「あんた、ここで何してる? ポリス、そう聞いてる」と店主は言った。
「ただ町を歩いているだけだよ。それが何か問題なのか?」
「この町、危険。たいへん、危険。あんた、警察署、行く。警察署、安全」
「わからないな。何が危険なんだ?」
「あんた、警察署、行く。ポリス、話する」と店主は言った。それ以上の詳しいことは、彼のボキャブラリーでは説明できないようだった。

 とにかく、警官達が僕を警察署に連れて行こうとしていることは確かなようだった。その理由も目的も不明だけど、ここで無理に抵抗するとかえってややこしいことになりそうだったので、二人に従って警察署まで同行することにした。

 警察署は普通の民家と変わらない日干しレンガ造りの粗末な建物だった。一階には十人ほどの警察官(だと思われる男達)が絨毯に寝転がって待機していた。誰一人制服を着ていないところを見ると、素人の集まりに近いのかもしれない。

 僕らは一階の詰め所を素通りし、階段を上がって屋上に向かった。屋上には五、六人の男達が椅子に腰掛けて、のんびりとお茶を飲んでいた。夕涼みの中のティータイムといった雰囲気だった。
「ウェルカム! ウェルカム! アルマールへようこそ」
 一番年輩の男が立ち上がって、握手を求めてきた。今までのシリアスな雰囲気から一変して、和やかな歓迎ムードである。わけがわからなかったが、とにかく僕は男の右手を握った。
「私はアルマール警察署の署長だ」
 男は僕の手を強く握りしめて言った。発音はあまり上手くなかったが、何とか聞き取れる範囲の英語を喋ってくれたので、僕はほっとした。これで意思疎通が図れないまま監獄行き、なんて最悪の事態は避けられそうだ。署長は椅子に座るように勧め、部下にチャイグラスとポットを持ってこさせた。

af04-6785「君はどこから来たんだね?」と署長は僕に訊ねた。
「日本です」と僕は答えた。
「なに? 君は日本人なのか?」と署長は目を見開いた。心の底から驚いているようだった。「日本人がこの町を歩いているのを見るのは初めてだよ。ここに何しに来たんだね?」
「ただのツーリストです」
「テロリスト?」と署長は言ってから、すぐに豪快に笑った。「ハッハッハ。冗談だよ。君がツーリストだってことぐらいわかるさ。でもね、アフガニスタンはツーリストよりもテロリストの方が多い国なんだ。タリバン、アルカイダ、そういった連中がまだどこかに隠れている。この町だって安全ではないんだ」

 署長は僕の前にグラスを置いて、チャイを注いだ。細かい茶葉がグラスの中で踊るように回っている。砂糖はいるかね、と訊かれたので、入れてください、と答えた。
「でも町を歩いてみたけど、危険だとは思わなかったですよ」と僕は署長に言った。

「昼間は大丈夫、ノープロブレムだ。でも夜は危険なんだ。我々も注意している。それを教えるために、彼らは君をここに連れてきたんだよ」
 そのわりにはずいぶん荒っぽい態度だったなぁと思ったが、敢えて口には出さなかった。

af04-6710「ところで、今夜はどこで寝るつもりなんだい?」
「運転手と一緒に食堂で寝ます」
「それは駄目だ。食堂は危険だよ。どんな奴が出入りするかわかったものじゃないからね。今夜はここに泊まりなさい」
「ここって警察署ですか?」
「そうだ。警察署の中なら警官がたくさんいる。だから安全だ。君はここで寝る。いいね?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
 僕は慌てて言った。警官達は僕を不審人物だと見なしているのではなく、外国人の身の安全を心配して、ここに連れてきたのだということはわかった。でも、わざわざ警察署で身柄を守ってもらうほどの危険が迫っているようには思えなかった。もしそうだとしたら、運転手のラフマーンがわざわざこの町で夜を明かそうとするはずがない。

「それじゃ、今夜は車の中で寝ることにしますよ」と僕は提案した。「内側から鍵を掛けておけば問題ないでしょう?」
「・・・まぁそれならいいだろう」少し考えてから署長は頷いた。「でも外へ出るときは気をつけてくれよ。あまり遠くへ行っちゃいけない。君はこの町のことをよく知らないんだから」
 署長は何度も僕に釘を刺した。少々うざったくもあったが、親切心から言ってくれているのだと思って、最後までおとなしく聞いた。それから僕らはお茶を飲みながら話をした。なんだかんだ言って、署長は珍しい外国人と話がしたかっただけなのかもしれない。

af04-5550「日本では、君みたいな若者が旅をするのが普通なのか?」と署長は訊いた。
「長く旅をするのは若い人が多いですね。でも僕はそれほど若くないですよ。二十九歳ですから」
「本当に?」
 彼はまたしても目を大きく見開いた。
「君が二十九歳だって? これは驚いたな。私は二十二歳ぐらいだと思っていたよ」
 僕が実年齢を言うと、たいていのアフガン人は彼と同じように驚きの声を上げた。日本人の中では年相応の顔をしていると思うのだけど、老け顔の人が多いアフガン人に比べると、どうしても年下に見られがちなのである。

「僕が若く見えるのは、きっと髭を生やしていないせいだと思いますよ。アフガニスタンの男性は、みんなあなたのように髭を生やしていますからね」
「そうかもしれないな」と署長は自分の顎髭を撫でながら言った。それはサンタクロースのように顎全体を覆う立派なものだった。
「タリバンの時代だったら、君はすぐに警察に捕まっただろうな。男は必ず髭を伸ばさなければいけない、という決まりがあったからね」
「それじゃ、僕のようにもともと髭が薄い人はどうしていたんですか?」
「そういう奴はこっそり付け髭を付けていたんだよ。まったく馬鹿げた決まりだと思う。でもそれがタリバン政権だったんだ。自由というものが全くなかったんだ」

af04-6350 僕と署長は日が落ちて暗くなるまで、お茶を飲みながら話を続けた。周りにいる警官達も、仕事そっちのけで僕らの話に耳を傾けていた。そんな彼らの様子を見ていると、「この町が危険だ」という話をどこまで信じればいいのかわからなくなってしまった。

 それから僕は食堂に戻り、夕食に羊肉のケバブとパンを食べた。アフガニスタンの食堂で出されるメニューは非常に限られたものだったから、僕は来る日も来る日もケバブとパンを食べ続けていた。僕は羊肉がわりに好きなので、最初の頃は美味しく食べていたのだけど、さすがに二週間も三週間も同じものを食べ続けるのは辛かった。アフガン料理というのは全体的に脂っこく、味つけも単調なのだ。

 夕食を食べ終えると、署長との約束通り車の中で眠った。車の中は意外に寝心地が良かった。もちろん存分に手足を伸ばすことはできなかったが、助手席のシートを倒して体を丸めると、すぐに眠りが訪れた。で も、二時間おきに見回りの警察官がやってきて、車の窓ガラスをコツコツと叩いて中の様子を確認していくせいで、その夜の眠りは断続的なものになった。おそらく署長が気を利かせてくれているのだろうが、長旅で疲れているんだからゆっくり寝かせてくれよなぁ、と思わないでもなかった。