シェムリアップの町には十日ほど滞在したけれど、アンコールワット遺跡へ行ったのは一日だけだった。三年前に訪れた時にみっちりと見学していたから、今回はそのとき印象に残った遺跡を見て回るだけで十分だと思ったからだ。それに三年ぶりに訪れたアンコールワットは、僕の目にはあまり魅力的には映らなかった。遺跡の修復作業が進み、観光地として洗練されていく中で、アンコールワットが含んでいたわけのわからない面白味というものが、徐々に失われているように感じたのだ。

 三年前のアンコールワットには、正規の観光業に携わっている人以外にも、様々な「怪しい人々」がうろついていた。単純に「一ドルおくれ!」と連呼する子供や、片言の英語で勝手にガイドを始めてお金を要求してくる少年などはまだわかりやすい方で、石仏に祈りを捧げている信心深そうな老婆が「あんた金持ってないか?」と耳元でぼそっと囁いてきたり、制服姿の警官が「土産に俺の警察手帳を買わないか?」と交渉してきたこともあった。あまりのしつこさに「いい加減にしろよ!」と怒鳴りたい気持ちにもなったが、あの手この手を使って観光客からお金を掠め取ってやろうというタフで貪欲な姿に、逆に感心してしまうことも多かった。

 遺跡一帯を遊び場にしている子供達の姿もあちこちで目にした。かつて王国の繁栄を支えていた溜め池も、男の子が素っ裸で水を掛け合うプールになっていたし、壮麗な寺院の一部を成していた石も、女の子がままごとの机として使っていた。

 蛇を手に持った二人組の少年が、藪の中から突然現れたこともあった。彼らは藪の中で捕まえたらしい灰色の蛇を誇らしげに僕に見せると、小枝と枯れ葉を集めてきて火を起こし、蛇をナイフでぶつ切りにして、たき火であぶって食べ始めた。これには僕も言葉を失ってしまった。毒蛇だったらどうするんだろう、だいたい藪の中の蛇なんて食えるものなのか、という僕の心配なんて全然気にもかけずに、二人はあっと言う間に蛇のバーベキューを平らげてしまった。あとには鱗状の蛇皮と内臓しか残らなかった。彼らの様子を見る限り、空腹で困っているわけでもなさそうだったから、半分は遊びなのだろう。今日の「狩り」が上手く行って幸せそうに笑う少年達の姿は、カンボジアの子供達の土臭さや逞しさを代表しているようにも思った。


乾季の浅い川で投網漁をする少年
 アンコールワットが本物の観光地となっていく過程で、このような厚かましくも逞しい地元住民が遺跡の中から排除されていくのは避けられないことだろうと思う。普通の観光客はアンコールワットという古代のモニュメントを見に来たわけであって、「一ドルちょうだい」の子供なんて歴史ロマンに浸るのを邪魔する目障りな存在でしかいないのだから。

 でもどういうわけか、僕が興味を引かれるのは遺跡そのものよりも、その周りをうろちょろしている「目障りな存在」の方だったりするのである。予測不能の行動を取る「怪しげな人々」が退場させられたアンコールワットというのは、僕にとってはスパイスを欠いたエスニック料理のような、なんだか物足りないものに感じられたのだ。

 そんなわけで、アンコールワット観光を早々に切り上げた後は、貸し自転車に乗ってシェムリアップ郊外にある農村を走り回ることにした。モムやリナの家があるバコン遺跡周辺はもちろん、それとは反対の西バライ近辺にある村にも足を伸ばした。
 農村の風景はどこもよく似ているから、迷わないようにするのが大変である。乾燥した砂地の道、高床式の家屋、道端に座り込んでいる水牛。どこを走ってもだいたいこのような光景が広がっている。

 農村は完全に休耕期だった。日差しがとても強く、雨がほとんど降らない乾季には田畑もからからに乾燥しているので、農民達はあまり外に出て働こうとはしない。人々は軒下に吊したハンモックに揺られて昼寝をしたり、家の中でお喋りに興じたりして、日中の暑さをやり過ごしている。まるで村全体が深い午睡の中に浸っているようである。そのような土地を汗だくになりながら自転車で走り回っているのは、一年のサイクルとは関係なくやってきた外国人旅行者――つまり僕――ぐらいだった。

 カンボジアの単調な田舎道を走っていて、何か面白いことでもあるのかと聞かれれば、あると答えるしかない。実際、さしたる目的もなく自転車を走らせていると、いろいろな人や出来事に巡り会うことがある。「どこでもない場所に行って、そこにしかいない人と出会う」というのが僕の好む旅のスタイルであり、カンボジアの農村はそれが上手く「はまった」土地だったのだ。


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