歌唱力にはかなりの自信を持っていたスオンだったが、カラオケ大会終了後の表彰式では、残念ながら準優勝にとどまった。優勝は歌と踊りと美貌とを兼ね備えた村の歌姫・モンである。外国人の僕から見ても、彼女の歌が一番完成度が高かった。まずは順当なところだろう。

「仕方ないんです。僕は毎年二番か三番なんですよ・・・」
 優勝できなかったことで多少気落ちしていたスオンだったが、今年の村祭りが成功に終わったことにほっとしている様子でもあった。カラオケ大会が終了したのは夜の十一時。屋台のおばちゃん達も店じまいを始め、村人達はぞろぞろと家路に就く。

 僕はスオンのバイクに先導してもらって、自転車で宿に戻ることにした。日が暮れてしまうとカンボジアの田舎道は真っ暗になるからバイクのヘッドライトを頼りに走った方が安全だろうと、スオンが気を利かせてくれたのだ。

 スオンの本業は遺跡の修復である。シェムリアップ郊外の村には、手つかずのまま放置されているアンコール時代の遺跡がまだいくつもあって、村人がそれを手作業で修復しているのである。彼はその片手間に若者達に英語を教えている。

「でも英語教師はたいしたお金にはならないんです。一人の生徒が一ヶ月に払うのは3000リエル(80円)です。僕には十五人の生徒がいるんですが、毎月お金を払ってくれるのは十人ぐらいです。貧しい農家の子供からお金は取れないですからね」

 アンコールワット観光は一大産業へと成長し、シェムリアップには多くの雇用が生まれている。何しろこの町には一泊300ドルを超えるという超高級ホテルが何軒もあるのだ(ちなみに僕が泊まっているのは一泊4ドルの安宿である)。正式な遺跡ガイドの職を得れば、一日に20ドル稼ぐ事ができるという。それは普通の農民の何十倍もの収入である。それ以外にもバスやバイクタクシーの運転手、遺跡の管理員や清掃係、レストランやバーの従業員などなど、数え上げたらきりがないほど様々な職業がアンコール観光によって生み出されている。

 外国人を相手する高収入の仕事に就こうとするときに、何をおいても必要となるのが語学力である。外国語が話せるか話せないかが、彼らの収入を決定づけてしまうと言っても過言ではない。というわけでシェムリアップ周辺では一大外国語ブームが起こっている。ここ数年で英語、日本語、フランス語などを教える私立の学校が数多く設立され、多くの若者がそこへ通っている。

 しかし、こうした語学学校は一般的に授業料が高い。既に観光産業に携わっている金持ちの家の子供なら通えるのだが、普通の農家の子供が通うことは不可能に近い。だから農村には、安い授業料で英語を教えているスオンのような人がたくさんいるのである。



 僕とスオンはシェムリアップまでの道を並んで走りながら、いろいろな話をした。スオンは毎朝六時に起きる。そして朝七時から十一時まで遺跡で仕事をする。土を運んだり、レンガを積んだりする、単純な肉体労働である。今はまだいいけれど、三月四月は暑くて大変だという。昼に二時間の休憩を挟んでから、夕方四時まで仕事をする。そして夕方の六時から七時まで英語を教える。家に帰ってからは、自分のための英語の勉強を始める。遺跡修復の仕事で貰えるのは一ヶ月に40ドルとカンボジアの物価を考えると少なくはないのだが、彼の父親は数年前に亡くなっていて家族の面倒を彼が見なくてはいけないので、これでも十分ではないという。

「一日で一番楽しいとき? そうだなぁ、仕事が終わってからバレーボールをしている時ですね」
 カンボジアの農村で広く行われているスポーツと言えば、バレーボールである。ちょっとした空き地にバレーボールのネットを張り、そこに上半身裸の男達が集まって、「草野球」ならぬ「草バレーボール」に汗を流す光景がいたるところで見られる。


 この暑い国でどうしてバレーボールが普及したのかはわからない。スオンもその辺の事情はよく知らないという。技術的には未熟で、せいぜい日本の中学校の部活動ぐらいのレベルだけれど、中には強烈なスパイクを放つ強者もいる。

 しかし今のところ、カンボジア代表チームが国際舞台で活躍しているという話は聞かない。代表チームが組織されているのかどうかもわからない。カンボジアという国にはスポーツに力を入れられるような余裕はまだないのだろう。それにバレーボールというのは背の高さが圧倒的にものを言う競技である。カンボジア人の平均身長は日本人と比べてもかなり低いから、それだけでも相当に不利なのだ。もしオリンピックなどでカンボジア人が活躍できる可能性があるとすれば、ビーチバレーの方だと思う。彼らは屋外の砂地でやるバレーボールに慣れているからだ。

 僕らがシェムリアップの町に着いたのは夜中の十二時近くだった。こんな時間になっても町の中は明るく賑やかだった。酔っぱらった外国人観光客が騒ぎながら道を歩く姿があり、バイクや車がひっきりなしに往来している。この町はカンボジアの農村の中に突如として出現した「不夜城」なのだと僕は改めて思った。

「君はシェムリアップと自分の村とどっちが好き?」
 僕はスオンに訊ねてみた。
「もちろんシェムリアップですよ」と彼は即座に答えた。「ここはとてもノイジーだけど、活気があるのはいいことです。僕ももっと英語が上手くなったら、ここでいい仕事を見つけるつもりです」

 彼の英語力ならそれが叶うのもそう遠い未来のことではないだろう。僕が送ってもらった礼を言うと、彼は軽く右手をあげてバイクをUターンさせた。そして「眠くなってしまうほど退屈な」自分の村に戻っていった。


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