物売りの少女リナ達に誘われて、村祭りに出かけた。年に一度の仏教儀式というのが祭りの名目なのだが、夜になると村の若者が企画する娯楽行事に様変わりする。

「今年はカラオケ大会をやるんです。かなり大がかりなものですよ。カラオケは機材を借りるのに300ドルぐらいお金がかかるんです。ダンスパーティーなら100ドルで済むんですけどね」
 スオンという若者が僕に説明してくれる。スオンは村の若者に英語を教えている二十六歳の男である。授業はモムの家の軒先を借りて行っている。そんな事情から、彼がこのお祭りの案内役を買って出てくれたのだ。

 カンボジア人にとって歌うことと踊ることは、昔から変わらない最大の娯楽である。とりわけカラオケ人気は大変なもので、VCDによるカラオケ装置が農村にも広く普及している。スオンもカラオケには自信があるらしく、自慢の歌声をみんなに披露するのを楽しみにしているという。

 カラオケ大会の仮設ステージは、休耕期の田んぼの中に組まれていた。スポットライトが舞台を明るく照らし、ピンク色の派手なカーテンにクリスマスツリーのような電飾が飾り付けられている。趣味がいいとは決して言えないが、僕の想像を遙かに超えた立派なステージである。舞台の横にはカラオケ用の機材一式と、大人の背丈ほどもある巨大なスピーカーが据えられている。電気はガソリン駆動の発電機によって供給される。300ドルというこちらの物価では相当な大金がかかっているというのも頷ける設備だ。


 観客は村中から集まった老若男女300人ほどなのだが、スピーカーから発生する音はイベントの規模には不釣り合いなほど巨大なものだった。はっきり言って無茶苦茶うるさい。スピーカーの近くにいると、骨の髄から体が振動するのがわかるほどだ。ハードロックのライブを最前列で見ているようなものである。子供達はスピーカーの真ん前で平気な顔をして座っているのだが、鼓膜がおかしくならないのだろうかと心配になってしまう。

「うるさいですか?」
 とスオンが僕の耳元で叫ぶ。そうしないと声が聞こえないのだ。僕は顔をしかめて頷く。
「でもカンボジアではこれぐらい当たり前ですよ。みんな大きな音で音楽を聴くのが大好きなんです」

 カンボジア人は大音量で音楽を聴くのが好きだ、というのは本当である。カラオケ大会に限らず、普段の生活の中で流れる音楽の音量がやたら大きいのだ。静かなはずの農村でもそれは同じで、どこかの家の拡声器から大音量で音楽(歌謡曲であったり、宗教音楽であったりする)が流されている場面に何度も出くわした。最初は何かの行事用の音楽なのかと思っていたのだけど、そういうわけでもなく、ただ単に日常のBGMとして流し続けているようだった。

「村の生活は退屈なんです」とスオンは言う。「とても静かです。鶏や豚の鳴き声しかしない。横になったらすぐに眠くなってしまう。そういうところです」
「だから音楽は賑やかな方がいいの?」
「ええ。少なくとも退屈は紛れるから」

 とにかく、このカラオケ大会が退屈で単調な農村の日常を吹き飛ばすぐらいの勢いで音を浴びるイベントであることは確かだ。とても眠ってなんていられない。村人もそれを楽しみに集まっているのだろう。しかし大音量に慣れていない僕は、早々にステージの裏に退散せざるを得なかった。こんなのを何時間も聞き続けていたら、本当に鼓膜がおかしくなってしまう。

 カラオケ大会の出演者は主に二十代の男女である。七、八人の男女がひとつのグループになって、一人がマイクを持って歌い、残りのメンバーはバックダンサーを担当する。誰にとってもハレの舞台であるらしく、男性陣は普段はあまり着ることのないカッターシャツを着込んで、頭をポマードでかっちりとセットしているし、女性陣はかなり濃い目の化粧をして、煌びやかなドレスを着ている。持ち歌はスローな歌謡曲あり、甘いデュエット・ソングあり、クラブ系ダンス・ミュージックありと、バラエティー豊かである。歌のレベルもまちまち。音程すら取れていないようなひどい人もいるが、かなり歌い慣れた美声の持ち主もいる。NHKの「素人のど自慢」みたいな光景を想像していただければいいと思う。もちろんここには出来映えを評価する「鐘」はないけれど。

 ステージから少し離れたところには屋台がいくつか出ていた。サトウキビ、焼きトウモロコシ、煎餅といった素朴なおやつを売る店が、ろうそくの火を明かりに営業している。子供達はサトウキビやトウモロコシを黙々と囓りながらステージを眺めている。ステージ周辺の喧噪とは対照的に、こちらは静かなものだった。いかにも田舎の村祭りといった風情があった。



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