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ホテル代が高すぎる
次から次に財布からドル紙幣が消えていく。
それが5年ぶりに東ティモールを訪れた僕の正直な印象だった。
とにかく物価が高い。しかもその上がり方がすごく速い。もちろん日本やオーストラリアなどの先進国に比べればまだまだ安いレベルだ。しかし東ティモールはアジアでももっとも若く、経済規模も小さく、まともなインフラさえ整っていない国なのだ。にもかかわらず、物価だけは東南アジア諸国でもトップクラスになってしまったのである。
特に旅行者の財布を直撃するのがホテル代の高さだ。首都ディリではごく普通のホテルでもシングルルームが60ドル以上もするのだ。ちょっといいホテルだと軽く100ドルを超える。異様なまでに強気な値段設定なのだ。
もちろん僕は60ドルもする部屋には泊まらない。長旅を続けるのに、そんな贅沢はできない。なのでディリにある(たぶん)唯一のバックパッカー向け安宿「バックパッカーズ」に向かうことになる。ここも以前に比べれば値上がりしているものの、シングルルームには25ドルで、ドミトリーには12ドルで泊まれる。だから欧米人旅行者(ほとんどがオーストラリア人だ)でいつも混み合っていた。
宿代の高さは首都ディリだけにとどまらなかった。田舎町の宿も軒並み高かったのだ。決してホテルと呼べるような代物ではなく、民宿に近い宿であっても、最低15ドル以上は出さないと泊まれないのだ。
たとえばサメという何の変哲もない田舎町の宿は25ドルもした。建てられたのはわりに最近らしく、それなりに清潔なのはいいのだが、窓がないので部屋は暗く、シャワーの水もちょろちょろとしか出ない。それが25ドルで、エアコン付きだと50ドルもするのだった。
外国人も滅多に訪れないような町で、いったい誰が利用しているのか不思議に思って訊ねてみると、「客のほとんどは地方視察にやってきた役人かビジネスマンなのだ」という答えが返ってきた。なるほど、自腹を切って泊まっている人は少ないのだろう。
食費も高かった。ディリで地元の人が通うごく普通の食堂で、ご飯に豚肉の煮込みとナスの炒め物を取ると4ドルになる。味もそれほどうまくはない。コストパフォーマンスでは「すき家」の牛丼にはるかに及ばない。
宿代や食費だけではない。そもそもこの国に入るためだけに、かなりのお金が必要になるのだ。
もっとも一般的なルートであるバリ島経由で東ティモールに入国するためには、バリ島とディリの往復航空券240ドル、インドネシアの入国ビザ25ドルを2回分と空港利用税15ドルが2回分が必要になる。これに東ティモールの到着ビザ代30ドルと空港利用税10ドルも加算すると、合計360ドルもかかってしまう。
これだけのお金を余分に支払ってでも東ティモールに行かなければならない理由は、正直言ってほとんど見当たらない。息をのむほどの美しいビーチには人がまったくいない。それだけはバリ島と違うところだ。でもわざわざそれだけのために300ドル以上ものお金と手間暇をかけてこの国にやってくる人は、まず間違いなく例外中の例外である。
実際、バリ島から東ティモールへ飛ぶムルパティ航空機には、旅行者とおぼしき人はほとんど乗っていなかった。ほとんどが地元民かインドネシア人だった。欧米人もバックパッカーらしき人もいない。いまだに東ティモールは旅行者にとって縁遠い国であり続けているのだった。
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インドネシアのムルパティ(メルパチ)航空が飛ばしているデンパサール・ディリ間の定期便。150人乗りの中型機の座席は9割がた埋まっていた。 |
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空港で出会った日本人旅行者は「東南アジア制覇」を目的として東ティモールに入国したそうだ。その彼の率直な感想は「物価が高いだけで何もない国」というものだった。いや「何もないくせに物価だけは高い国」と言ったんだったけ。とにかく「そこに独立国があるから、パスポートのスタンプを増やしに行ってみようか」という酔狂な目的の為だけに3日間ディリで過ごした彼は、最後に吐き捨てるように言った。
「こんな国、二度と来ることはありませんよ」
いや、それでも東ティモールを訪れる価値はあるんだよ。
僕にはそう言い切ることができなかった。「何もない国」を楽しむためにはそのための素養(偏った情熱と言ってもいいかもしれない)が必要になるし、それは誰もが持つものではないからだ。この国の魅力を十分に味わうにはそれなりの資格がいるということだ。
バイクを借りて気ままに旅をする僕にとって、もっとも痛かったのはレンタルバイクの値段だった。125ccのホンダのスクーターが1日22.5ドルもするのだ。ベトナムやカンボジアなら同じものを1日4ドルで借りられるというのに。そもそもディリにはレンタルバイク屋はほとんどなく、競争相手がいないので、向こうの言い値を受け入れざるを得ないのである。
旅行者がいない国でレンタルバイクの値段が高いのは仕方ないにしても、ガソリンが高いのには納得できなかった。仮にも産油国なのに1リットル1.5ドルもするのだ。ガソリンに高い税金をかけている純輸入国の日本と同じレベルなのである。
もちろん、東ティモールは産油国であっても原油を精製するコンビナートはないから、外国で加工された製品を輸入しなければいけない。だからある程度高くなるのはわかるのだが、1.5ドルというのはいくらなんでも高すぎると思う。
商店で売られている日用品の値段も、隣国インドネシアのおよそ1.5倍から2倍というところだった。たとえば1.5リットルのミネラルウォーターはインドネシアでは20円ほどだったが、東ティモールでは50円(50セント)だった。お菓子も蚊取り線香も石けんも歯ブラシもタオルもサングラスも、たいていの商品はインドネシアや中国からの輸入品だが、東ティモールに運ばれてくると値段が倍に跳ね上がってしまうのだ。
輸入品だけでなく、地産地消の野菜でさえも値段が高かった。トマト一盛り(500グラム程度)が50セント、小松菜一束が50セント、小ぶりのキャベツ一個が50セント、ニンニク一盛りが50セントといった具合である。
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地方の市場で売られている野菜。種類はそれほど多くはなかった。 |
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そもそも値段の刻み方がおおざっぱ過ぎるのである。一応5セント貨まで流通しているけど、あまり使われることはなく、通常の商品は50セント、25セント(クォーター)単位で売られることが多い。野菜も基本的に50セント単位で売り買いされている。しかし50円といえば東南アジアの基準では結構な金額である。少なくとも丸め込める端数などではないはずだ。
もう「アジア最貧国」ではない
全国的にこれだけモノの値段が上昇しているということは、東ティモールの人々が旺盛な消費意欲を持ち、しかも購買できるだけのキャッシュを持っていることを意味している。ひとことでいえば、東ティモールは豊かになったのだ。「アジア最貧国」なんて言葉はもうこの国には当てはまらない。
子供たちの身なりもずいぶんきれいになった。以前は穴だらけの服を平気で着ていた子供も多かったのだが、いまではインドネシア製品や中国製品が大量に入ってくるようになったので、ボロを着ている子供は少なくなった。
子供たちの栄養状態も良くなり、死亡する乳児の数も大幅に減少した。以前は妊婦の栄養が足りずに、がりがりで生まれてくる赤ちゃんが多かったのだが、今ではまるまると太って生まれてくるという。国際援助のおかげで医療体制も整い、生まれてくる子供が病気にかかることも少なくなったようだ。
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経済的なゆとりができたことで、新しい家を建てる人も増えていた。これは独立後の混乱がやっと収束し、「もう家を建てても大丈夫だ」という安心感が広がったのが大きいという。これまではせっかく家を建てても、騒乱が起きて焼き討ちや略奪に遭うことたびたびあったのだが、治安が回復し、将来が見通せるようになって、ようやく地に足の付いた生活が送れるようになったのだ。
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新しい家はコンクリートブロックとセメントと鉄筋とトタン屋根があれば作ることができる。材料費は一軒あたり2500ドルほどだそうだ。 |
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国の隅々にまで電気が行き渡るようになり、田舎でも衛星テレビのパラボラアンテナを持つ家が増えた。パラボラアンテナを立てるのには150ドルのお金がいる。決して安くはないが、多くの家が設置している。 |
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