フレンドリーな人々

3159 バングラデシュでは実にさまざまな呼びかけられ方をした。一番多いのが「ハロー! ボンドー!」あるいは「ハロー! マイフレンド!」というパターン。どちらも意味は同じである。初めて会ったのだけど、とにかく友達にされてしまうのだ。

 他にも「ハロー! ブラザー!」などと、いきなり兄弟扱いする馴れ馴れしい男もいるのだが、一番返事に困ったのは「ハロー! マイ・ガールフレンド!」と呼び掛けられたときだった。この男には、よっぽど「俺はあんたの恋人のになったつもりはない!」と言い返そうかと思った。

 一方的な挨拶が終わると、次に必ず聞いてくるのが、「お前はどこから来たんだ?」という質問である。この国では外国人を見つけると、とりあえず国籍を聞くというのが習わしなのだ。この質問も様々なパターンがあった。かつてイギリスの植民地だったこともあって、バングラには英語を話す人が比較的多いのだが、文法が間違っていても発音が無茶苦茶でも、気にせずに話し掛けてくる人もまた多いのである。

「マザー・ランド?」「ユー・カム・トゥー?」「ユー・ピープル?」
 この質問への答えは全部「ジャパン」が正解である。「あんた、人間?」なんて聞かれると「じゃあ何か。俺は牛かラクダにでも見えるっていうのか?」と言いたくなるが、そこはぐっと堪えなくてはいけない。

 
 

偽物のメイド・イン・ジャパン

3010 中でも一番多い間違いが、「ユー・メイド・イン・ジャパン?」だった。
 言いたいことは100%理解できるし、文法的にもそれほど間違ってはいない。「ユー・ピープル?」なんかに比べたら全然マシである。だけど、その質問に「イエス」と答えるのは、やっぱり躊躇われる。自分が「Made in Japan」と刻まれた金属プレートが付いているロボットのように見られているんじゃないか、という気がしてしまうのだ。

 ジェソールの商店街を歩いていたときのこと。電気屋の入り口に立っていた男が、僕に向かって、「メイド・イン・ジャパン?」と言ってきたので、僕は店の中に展示されているテレビを指差して、
「イエス。このテレビと同じくメイド・イン・ジャパンさ」と切り返した。

 ところが、彼の返事は意外なものだった。
「ノーノー。これはメイド・イン・ジャパンじゃない。メイド・イン・バングラデシュさ」
 でも、狭い店の中にずらりと並べられたテレビは、すべてに「SONY」や「TOSHIBA」や「National」というロゴプレートが付いているし、段ボール箱もメーカーの名前と商品名が印刷されたものだ。

「これは全部日本製のテレビだろう?」僕は重ねて聞いた。
「いいや、バングラ製なんだ」と彼は首を振った。
 ここで売っているテレビは、段ボール箱とメーカーのロゴプレートだけが日本製で、中身はバングラで作られた偽物なのだ――店員はカタコトの英語でそう説明してくれた。本物の日本製テレビは、とても高くて庶民には手の届かないものなのだが、そのブランド価値は誰もが認めるところなのだ。ちなみに、この店で最も安い中古テレビは、「偽」東芝製モノクロ14インチで、300タカ(600円)だった。まぁ安い。

 それにしても、日本製に見せようと(おそらく違法な)工夫をしているのに、こんなにもあっさり内情をばらしてもいいのだろうか。
「あんたは本物のメイド・イン・ジャパンだからさ」彼はそう言って片目をつぶった。「でも、他の人間には秘密にしておいてくれよ」

 この店ではブランドの偽装工作以外にも、モノクロテレビをカラーテレビに見せかけるという、何とも奇抜なアイデアを実行していた。仕掛けはチープかつ単純である。モノクロのブラウン管に、緑・赤・黄の三色に塗り分けられた直径10cm程のアクリル板を貼る。ただそれだけ。遠くから見れば、なるほどカラーテレビに見えなくもないのだが・・・しかし、この程度の小細工で騙されるお客なんて、どこにもいないと思うんだけど。

3548 あるときはすれ違いざまに、あるときは店の奥から、またあるときは屋根の上(!)から、360度あらゆる方向から「おい、お前はどこから来たんだ?」という質問が飛んできて、そのたびに僕は郷ひろみのように「ジャパン!」「ジャパン!」と叫び続けた。その数は、ゆうに千回は超えただろう。

 旅に出るまで、日本人であることを特別に意識したことなんて一度もなかった。日本にいる限り、それは当たり前のことだから。でも外国に行けば、様々な違いに直面する。話す言葉が違い、肌の色が違い、身なりや仕草が違う。その違いを「ジャパン」という言葉に置き換えて、周りの人間に毎日アピールし続けていると、自分が日本人以外の何者でもないということを実感することになった。

 確かに僕と彼らとでは、見た目がずいぶん違っていた。東南アジアを旅していたときは、現地人との違いはさほど大きくはなかった。タイでは、よく地元の人間にタイ語で話し掛けられた。それがバングラに来ると、全くの異人扱いになる。肌の色は黒に近い褐色になり、顔の彫りが深くなる。そういう「濃い」顔の南アジア人の中にあっては、僕はまったく極東アジア人そのものなのだった。

 
 

国際二重結婚という秘密

 ジェソールでは「メイド・イン・ジャパンではない日本人」にも出会った。
 いつものように、食堂で揚げパンとチャという朝食を食べているときのことだった。一人の男が僕の向かいに座って「あなたは日本人ですか?」と聞いた。流暢な日本語だった。
「そうですよ」と僕が答えると、
「私もあなたと同じ日本人なんです」と彼は言った。でも彼の外見はバングラ人にしか見えない。

「本当に?」
 軽い冗談なのだろう、そう思って僕は笑って言った。
「もちろん本当ですよ」と彼は真面目な顔をして言った。「私は名古屋にある自動車部品工場で10年間働いていたんです。そこである日本人の女性と付き合うことになって、結婚したんです。ええ、子供も一人いますよ。日本国籍も取りました。だから私はあなたと同じ日本人なんです」
 そういうことなら、十分にあり得る話だった。
「それじゃどうして、今はバングラデシュに住んでいるんです?」
「ちょっと話しづらいんだけど・・・」と彼は曖昧な笑みを浮かべた。「よかったら、私の家に来ませんか。この近くだから」

 ダッカで一晩泊めてもらったハルさんのように、かつて日本に働きに行ったことのあるバングラ人はかなりの数に上る。彼らは皆、日本人である僕を見つけると、懐かしそうに声を掛けてきた。埼玉県に10年住んでいた男は、今はオールドダッカで金物屋の主人をやっていたし、千葉県の板金工場で6年間働いていた男は、ジェーソールで自動車部品の修理工場を経営していた。彼らは思い出話を語り、当時の写真を見せてくれた。

 出稼ぎ先は日本ばかりではなかった。最も多いのが、クェートやサウジアラビアなどの中東の産油国。ここは同じイスラム圏だから、バングラ人にとっても比較的行きやすい国のようだった。次に多いのがアメリカや日本といった先進国だが、最近は不法就労に対する取り締まりが厳しくなって、入国するのは難しくなっているという。

3044 海外に出稼ぎに行く男達には共通点が多かった。まず、実家がそこそこのお金持ちであり、貿易や商売に携わっているという点。外国へ渡るには、コネクションと大金が必要だからだ。
 彼らは二十代前半から、兄弟や親戚を頼って外国へ渡る。そこで10年ほど働いて、ある程度まとまったお金が貯まれば、故郷に帰ってくる。中には遊び呆けてお金が貯まらないまま不法就労がばれて強制送還される人もいるが、だいたいはみんな真面目に働いて帰ってくる。
 バングラに帰ってからは、貯めた資金を使って実家の商売を更に大きくする。何かを仕入れて売っていれば、まず食いっぱぐれないだけの収入は得られる。スーパーマーケットやディスカウントストアなどの洗練された流通形態は、まだバングラデシュには登場していないから、商売さえやっていれば一生安楽に暮らせる。そして若いお嫁さんを貰って、子供を5,6人作る。帰国して2,3年経つとお腹も出てくる。バングラ人にとって太っていることは、一種のステイタスシンボルである。農民は絶対に太っていない。

 日本国籍を持つ男・ビダンさんも「出稼ぎ労働者のその後」の例に漏れず、かなりのお金持ちだった。現在はローカルバスの会社を経営しているという。彼は運転手付きの自家用車を持ち(バングラでは自家用車は大変珍しい)、広々としたマンションに住んでいた。

 僕は彼の両親に紹介され、応接間に通された。8畳ほどの応接間にはふかふかの絨毯が敷かれ、天井からはシャンデリアが吊り下がり、本棚の上には高そうな置き時計があった。僕がビロード貼りのソファに腰を下ろすと、ビダンさんは僕の隣に座って日本語で耳打ちした。

「あれがね、もうひとりの奥さん」
 彼の視線の先には、まだ20歳そこそこの女性の姿があった。まず美人と言ってもいい顔立ちだった。
「奥さん?」と僕が声を上げると、
「あんまり大きな声を出さないでくれよ」と彼は釘を刺した。「子供も一人いる。これがバングラデシュに住んでいる理由なんだ」

3073 彼には日本とバングラデシュに奥さんと子供が一人ずついる、というわけだった。国際二重結婚なんて、コメディー映画になりそうな話だ。
「これは親が勝手に決めた結婚なんだ」と彼は言い訳した。「家族は私が日本で結婚していることも、日本の国籍を持っていることも、何も知らないんだ。私の親は跡を継ぐ子供が欲しいと思っている。だから私が日本にいる間に、結婚の話を勝手に進めてしまったんだ」
「日本の奥さんは、このことを知っているんですか?」
「彼女には全部話したし、わかってくれているよ。電話もするし、年に一度は名古屋に会いに行くから。それにまぁ、お金だね。毎月お金を渡していれば、文句は言わないんだ」

 同時に二つの家族を養うなんてことは、日本人にも難しい芸当だ。それをバングラ人であるビダンさんがやっているというのは、並はずれたことだと思う。よほどの甲斐性がなければできない。

「でも、このままずっと秘密にしておくことなんて、本当にできるんですか?」
「そうだね。いつかは言わないといけないことはわかってるんだ。でもね・・・」
 今はどうすることもできないと、ビダンさんはため息をついた。
 ある日突然に、実は俺にはもうひとつの家族があるんだ、と告白されてショックを受けない人などいない。ましてや結婚という制度や恋愛に関して日本人より遙かに保守的なバングラ人にとって、その事実はとても重い意味を持つに違いない。

 嘘も方便とは言え、その嘘にどう収拾をつけるのだろうか、と他人事ながら心配になってしまった。同時に二人の妻なんて持つものじゃないですよ。本当に。