1892 宴会の次の朝は、二日酔いで目を覚ました。どぶろくを「駆けつけ7杯」も飲まされたせいだ。朝まで飲んでいた連中は、きっと二日酔いぐらいじゃ済まないだろう。

 とにかく冷たい水を飲んで頭をすっきりさせてから、今日一日のことを考えよう。そう思ってフロントに降りると、ソファに座っていた金髪の女性が、訛り強い英語で話しかけてきた。
「バーツとラオスキップを両替してくれない? ラオスキップが余ってしまって」
 いいですよ、と僕が応じると、彼女はほっとした様子で、「だってラオスではお金を使うところもないでしょう?」と僕の同意を求めるように言った。

 彼女は友達と二人で休暇を楽しんでいるフランス人の旅行者だった。テーブルに置いてある彼女のスケッチブックには、背中に薪を背負って歩くラオス女性の姿が水彩で描かれていた。
「あなたはどの町から来たの?」
「ムアンシンです」
「そう。ムアンシンはツーリスティックだって聞いていたけど」
「その通りでしたよ。僕もがっかりしましたね」
「私はノーンキャウという村から来たんだけど、いいところだったわ」

 彼女はスケッチブックを広げて、ノーンキャウで描いたというデッサンを何枚か見せてくれた。
「この絵の通りなの。とても静かな場所で、澄んだ川が流れていて・・・」
 そんなふうに彼女と話をするうちに、僕もだんだんノーンキャウへ行ってみたくなった。フランス人というのは、自分の気に入ったものを人に勧めるのが、とても上手い国民なのかもしれない。

 

 

ラオスのひどい山道を行く

1788 次の目的地が決まるとじっとしていられなくなって、部屋に戻って荷物をまとめて、すぐにバスターミナルに向かった。ノーンキャウに行くためには、まずウドムサイという町までバスで行って、そこからピックアップに乗り換えなくてはいけないと言うことだったが、幸いなことに発車する寸前のウドムサイ行きバスをつかまえることができた。本来は1時間半前に出ているはずのバスなのだが、この程度の遅れはラオスでは当たり前のことらしい。

 バスは途中二度パンクして止まったものの、なんとか5時間後にはウドムサイに着いた。ノーンキャウ方面に行くというピックアップはすでに満席だったが、運転手は靴磨きの台のような小さい木の椅子をどこかから引っぱり出してきて、「これに座りな」と僕に渡した。ラオスのバスには定員という概念はなく、ラッシュ時の山手線みたいに詰められるだけ詰め込む。一人でも多くの人間を運んだ方が儲けが多くなるからそうしているのだろうが、バスやピックアップの絶対数も不足しているようだった。

 僕の後に乗ってきた男には、もはや座るスペースはなく、仕方なく別の乗客の膝の上に座ることになったから、椅子に座れるだけマシなのかもしれないが、不安定な椅子の上でラオスのひどい山道を何時間も行くのは、旅行と言うよりは苦行に近いものだった。

 

1845 辺りが薄暗くなり始めた頃、ピックアップが道路脇に止まった。
「ここがノーンキャウなのか?」
 僕が訊ねると、運転手は「そうだ」と頷いた。そして人差し指を下に向けて、「ここで降りろ」というジェスチャーをする。本当にここがノーンキャウなのか確信が持てないまま、僕は荷物を持ってピックアップを降りた。「ノーンキャウへようこそ!」という看板が建っているわけがないから、運転手の言うことを信じるしかないのだ。

 ノーンキャウはフランス人女性が言っていたよりも、ずっと辺鄙な場所だった。「静か」というよりは「閑散」という方が近く、「ツーリスティックではない」というよりは「旅行者なんていそうにない」と表現した方が正しいように思えた。
「近くに寝るところはあるのか?」
 僕が身振りで訊ねると、運転手は事情を知っているらしい若者に声を掛けてくれた。若者は「俺についてきな」と手招きをした。
 まぁ、なるようになるだろう。そう自分に言い聞かせて、僕は埃まみれの荷物を担いだ。

 

 

鹿肉を食べさせる宿

1759 意外なことに、若者が連れて行ってくれた宿のオーナーは、カタコトながら英語を話すことができた。ラオスに入ってからは、外国人相手の宿でも値段以外の英語が通じたためしがなかったから、これは有り難かった。

 部屋は全部で4つあったが、どれも空いているから好きなところを使いなさい、とオーナーは言った。バスルームと呼べるようなものはなく、水浴びをしたければ、共同トイレの中にある水を張った風呂桶から、柄杓で水を汲んで浴びる。北ラオスで快適なホットシャワーを求めるのは、サハラ砂漠で雨を求めるみたいなものなのだ。

「この前はカナダ人が泊まっていたよ」
 オーナーは宿帳を開いて見せてくれた。それによると、カナダ人が滞在していたのは2週間も前のことだった。そんな調子でよく経営が成り立つものだと感心してしまう。

「ところであんた、腹は減っていないか?」とオーナーが聞いた。
「ええ。どこかにレストランがあるんですか?」
「フーを食べさせる店なら一軒あるよ。でも夕食を食べたいなら、一緒に俺の友達の家に行かないか? 鹿を仕留めたらしいんだ」
 オーナーは銃を構えてバーンと撃つ真似をしてみせた。山と共に生きるラオスの山岳民ならではの夕食に招かれるなんてチャンスは、滅多にあるものではない。僕は二つ返事で行くと言った。

 僕らが訪れたとき、友人宅ではちょうど家族揃っての「テレビの時間」が始まっていた。テレビとはいっても、実際に流れていたのは「ビデオCD」の映画だった。
 ラオスの山奥には普通のテレビ電波は届かないので、テレビ放送を見るには直径2mぐらいの巨大なパラボラアンテナが必要になる。当然、これにはお金も手間もかかるから、その代わりとして「ビデオCD」が普及しているのだ──オーナーの説明を整理すると、だいたいそういうことになる。

 

1873「まぁ俺のうちにはアンテナが立ってるんだけどね」とオーナーは少し自慢げに言った。客がいないように見えて、一応儲けてはいるらしい。
「テレビを持っている家は多いんですか?」と僕は聞いてみた。
「まあ多くはないな。ほら、あれを見てみろよ」
 彼はそう言うと、うしろを振り返った。開け放たれた窓には、テレビを見に来た近所のハナ垂れ坊主達の顔が、五つ並んでいた。やはりテレビは金持ちの家にしかない高級品なのだ。

 ビデオCDで流れていたのは、見たことのないアメリカのコメディー映画だった。それも開始から三秒で三流だとわかるような安物くさい映画だ。訓練中の兵隊が引き起こすドタバタ喜劇と、豊かなバストを持つブロンド美女のお色気シーンが、5分交代で入れ替わるという意味不明なストーリー展開だった。町中にあったビデオCD屋を覗いてみても、あるのはいかにも安っぽそうなハリウッド映画と、香港アクションばかりだった。たぶん版権の安いものしか入ってこないのだろう。

 でも、この三流映画に退屈しているのは僕ぐらいのもので、みんな楽しそうに画面に見入っていた。特にブロンド美女の入浴シーンでは、(奥さん連中も含めて)全員の視線が彼女の豊満なバストに釘付けになっていた。しかし、これはハナ垂れ坊主達には、ちょっと刺激が強すぎる内容だと思った。ハナじゃなくて鼻血が垂れなきゃいいんだけど。

「スペインでも、この映画をやっているか?」
 とオーナーが僕に聞いた。スペイン?
「この映画は見たことがないけど、ジャパンでもアメリカ映画はとてもポピュラーですよ」
 僕は「ジャパン」を強調して答えた。
「そうか。やっぱりスペインでも人気があるのか」
 オーナーは納得したように何度か頷いた。いや、だからスペインじゃないって・・・

 

 

ここはノーンキャウじゃないよ

 ブロンド美女の濡れ場が終わった頃、いよいよ夕食の時間になった。奥さん達が居間の床にビニールシートを引き、その上に何種類かの皿とご飯が並べられる。ラオスではテーブルを使わずに、床の上に皿を置いて食べるのが一般的だ。

 主食には普通のお米と「カオニャオ」というラオス名物のもち米の二種類が用意されていた。カオニャオは、竹籠に盛ってあるものを適当な大きさに手でちぎり、指で何度かこねてから、味噌のようなものを付けて食べる。弾力のある食感と素朴な甘みは、いかにもラオスの山奥に相応しい味だった。

1870 おかずは鹿肉づくしだった。ご主人に勧められた「血の滴る鹿のレバー」は、なまものがあまり得意ではない僕にとっては、こみ上げてくる吐き気を堪えるのに苦労する一品だったし、「鹿肉とタケノコのシチュー」は、鹿肉の強い臭みを消すためにスパイスが大量に入っていたので、舌が痺れて味がよくわからなかった。でもスパイスの抑えられた「鹿肉とレバーの野菜炒め」は、カオニャオの素朴な味に合っていて、なかなか美味しかった。

「こういう肉料理が出るのは、週に一度ぐらいなんだよ」とオーナーは言った。「君はとても運がいい。今日はスペシャル・ディナーなんだ」
 普段の食事が質素であるだけに、肉を食べるのは特別なことなんだという雰囲気は、ラオスの晩餐でもカンボジアの結婚式でも同じだった。

「スペインでも鹿は食べるのか?」
 とオーナーが真顔で聞いた。どうやら、彼は本気で僕をスペイン人だと思い込んでいるらしい。
「いや、ジャパンでは食べたことはありませんね」
「そうか。スペインでは食べないか・・・」
 またも納得したように頷くオーナーの横顔を見ながら、
「俺の顔のどこがラテン系に見えるんだ?」と僕は心の中で呟いた。

 電気が消える午後9時が近づいてきたので、僕はご主人と奥さんにご馳走のお礼を言って、宿に戻ることにした。道路には街灯などは一切ないので、自分の足元さえもおぼつかないほど真っ暗だった。

 
1894

猟銃を肩にさげた少数民族の男。鹿やイノシシなどを撃って食料にする。

 ラオスを旅する旅行者にとって、懐中電灯は必需品なのだが、ほとんどのラオス人はそんなものを持たずに、星の光を唯一の照明として暗闇の中を歩いていた。よほど目がいいのだろう。

「ジャパンでは、こんなに綺麗な星は見えないんですよ」
 今度は先手を打って、僕がオーナーに言った。
「スペインの空気はそんなに汚れているのかい?」
 やはり彼は全く動じなかった。一度思い込んだら、修正の効かないタイプなのだ。

「このノーンキャウほどの星空は、世界中探してもなかなか見つかりませんよ」
「ノーンキャウ?」とオーナーは聞き返した。
「・・・ここ、ノーンキャウって村ですよね?」
「いや。ノーンキャウはここから30km離れているけど」
「え? ここはノーンキャウじゃない?」
 僕は彼がまた聞き間違いをしているんじゃないかと、何度か「ノーンキャウ」と繰り返したが、彼は「ノー」と首を振った。

「ここはノーンキャウじゃないよ。ナンバって村だ」
 オーナーの話によれば、ノーンキャウは川沿いにある静かな村で、旅行者にも少しは名の知られた場所なのだが、このナンバは普通の旅行者が訪れるような場所ではないらしい。どうりで最後の宿泊者が二週間も前だったわけだ。あのピックアップの運転手は、きっと「ノーンキャウに行きたいのなら、ここで降りて乗り換えろ」と言いたかったのだろう。

「あんた、間違ってナンバに来たのかい?」とオーナーは聞いた。
「・・・そうみたいですね」
 なんてことだ。勘違いしていたのは、オーナーだけではなかったのだ。