3777 トレッキング初日に泊まったのは、チャンマニャンという小さな村だった。村人のほとんどが農家だが、村の中心にはいくつかの商店があり、食堂を兼ねた宿屋が一軒ある。村に電気は通っていないが、電話を引いている家が一軒だけあって、他の町と連絡を取りたいときには、お金を払って電話を使わせてもらう。電話機の前には、いつも順番待ちの列ができている。そういう村だった。

 宿から5分ほど歩いたところに、背の高い石垣に囲まれた大きな屋敷があった。他の農家と違って、風格のある古い建物だった。庭には大きなミカンの木が植わっている。
「ここはキン家の古い屋敷です」とガイドのサンタが言った。キン家は500年ほど前からこの地域一帯を治めていた豪族で、1769年にグルカがネパールを統一するまで、彼らのような地方豪族達が何百と割拠していたという。

「でも今は誰もいません。キン家の人々は今から50年以上前に、この地を去ってカトマンズへ行きました。そして二度とここへは戻って来ませんでした」
「どうして?」
「結局、こんな田舎よりもカトマンズの都会の方を好んだのでしょう。何しろ、ここは何もないところですからね」
 僕が家の中を見せてもらえないかと聞くと、サンタは大きな声で家の中にいる男を呼んだ。出てきた男は、目の焦点が一点に定まらない様子で、口元にはしまりのない笑みを浮かべていた。
「この男はここが少しおかしいんです」サンタはこめかみの辺りを指で押さえながら言った。「彼は自分の家庭というものがないから、ずっとここに住んでいるんですよ。悪い男ではないんですが」

3706 男はサンタから煙草を一本貰うと、弾かれたように家の中に走っていって、中から閂を抜いて我々を招き入れた。家の中の空気は、古い蔵に入った時のように冷やかで、粉っぽい匂いがした。
 家の中は主人が出払って50年以上経っているとは思えないほど、きちんと手入れされていた。きっと頭の少しおかしな男が、まめに掃除をしているのだろう。

 ほとんどの家具は引っ越しの時に持ち出されたり処分されていたが、奥の居間には古びた木の椅子がひとつだけ残されていた。その椅子の後ろの壁には、モノクロームの写真が一枚貼り付けてあった。写真には三人の女が写っていた。中年の女二人が椅子に座り、若い女がその後ろに立っている。三人とも緊張してこわばった表情を浮かべている。まだ感剤の感度が低かったので、「シャッターを切るときは動いてはいけない」と言われた時代の記念写真だろう。長年放置されていたせいで退色が進んでいたが、そのことがかえって写真の存在感を際立たせていた。

「これはキン家の人々ですか?」と僕は訊いた。
「たぶんそうでしょうね」サンタは頷いて、写真にうっすらと着いた埃をタオルで拭った。
「彼らはどうしてここを出るときに、この写真を残していったんだろう?」
「さぁ・・」とサンタは首を振った。「私にもわかりませんね」
 家財道具をあらかた持っていったキン家の人々が、当時かなりの貴重品だったはずの記念写真を忘れていったとは考えにくい。彼らはここに自分たちが住んでいた証として、わざと写真を残していったのだろうか。もう二度と戻ることはないと、心に決めた上で。

 
 

牛と水牛の違い

3902 屋敷を出ると、急に肌寒さを感じた。周囲を山に囲まれた村では、日が沈む時間がずいぶん早かった。

 宿に帰る途中に、小さな牛舎があった。石を積んで作った餌置き場の上に、藁で拭いた屋根があるだけの簡単な牛舎だ。そこには一頭の水牛と二頭の雄牛が、並んで干草を食べていた。彼らはよほど腹が減っているのか、それとも他にやるべきこともないのか、休むことなく口を動かし続けていた。たまに水牛が食べるのを中断して、頭を少し上に向けて遠くの山を眺めてるような表情を見せるが、彼が本当に山を見ているのかはわからない。

 雄牛と水牛はとてもよく似ていた。水牛の方がふたまわりほど大きく、クロワッサン型の立派な角を持っていること以外は、両者に決定的な違いはなかった。でも、ネパールのヒンドゥー教徒は雄牛は神聖な動物として絶対に食べないけれど、水牛は食べるという。外見的に(たぶん生物学的にも)ほとんど差がないのに、これはずいぶんと不公平な話だと思う。「ヒラメは食べるけど、カレイは食べてはいけない」というのとあまり変わらないんじゃないだろうか。

 しかし、水牛に比べて雄牛の方が優遇されていると簡単には言い切れない。牛は殺されることはないけれど、使役動物としてこき使われる運命にあるからだ。乳を出す雌牛はともかく、雄牛には頑張って働いてもらわないと、農家としても困るというわけだ。

 雄牛たちは首に’かせ’をはめられて鋤を引っ張り、からからに乾いた畑を耕す。段々畑の一段分を耕すと、鞭でびしびしと追い立てられて次の段に移る。そうやって一日中働かされるわけだから、一日の終わりくらいはのんびりと草を食べて過ごしたくもなるのだろう。

 丸々と太ってから殺される水牛の運命か、死ぬまで鞭で打たれて働き続ける雄牛の運命か、どっちが幸せなんだろう、ととりとめもないことを考えてみる。サンタに聞いてみると、「さぁ、そんなことはわかりません」と笑われた。もちろん、そんなことは僕にだってわからない。ヒラメに生まれるのとカレイに生まれるのと、どっちが幸せなのか誰にもわからないのと同じだ。

 
 

何もないところですから

3754 宿に戻ると、ちょうど夕食の支度が整ったばかりだった。炊きあげたばかりのお米と豆スープ、それに雑穀から作ったどぶろくのチャンが振る舞われた。チャンは作る農家ごとに味が違うものらしいが、僕が飲んだものは正直言って美味しくなかった。水で薄めた安物の日本酒みたいな味だった。味の方はともかく、チャンを水代わりにがぶがぶ飲んでいると、だんだんとからだが温まり、疲れと眠気で瞼が重くなってきた。考えてみれば、この1ヶ月は全くアルコールを口にしていなかったのだ。

 夕食が終わると、宿屋の子供達三人が食堂に集まって宿題を始めた。三人はそれぞれの教科書をテーブルの上に広げ、真ん中に石油ランプを置いた。小さな薬ビンで作ったランプの炎が照らせるのは、せいぜい半径50cmほどだから、子供達はお互いの頭をくっつけるようにして教科書を読んでいる。土壁に投影された子供達の影が、音読する声に合わせて小さく揺れる。
 僕はそんな光景を眺めながら、ここは本当に小さな世界なんだ、と思った。

 食堂の二階が僕らの泊まる部屋だった。外国人旅行者を泊めるためではなく、地元の人が宿場として使うものだから、ベッドが3つ並んでいるだけで他には何もないという殺風景な部屋だった。これだけ何もないと、かえって気持ちがいいぐらいだった。

 ベッドも長椅子みたいなものの上に、ムシロを敷いただけというシンプルな代物だった。薄手の毛布が一枚備え付けられていたが、それだけではさすがに寒いので、サンタの持ってきた寝袋に入って眠ることにした。夜はまだ早いのだが、慣れない山歩きで疲れていたし、だいたい石油ランプの不安定な明かりの下では、本を読むのも容易ではなかった。

3829 宿屋の屋根は石で拭かれていた。この辺りでは板のように薄く割れる頁岩が豊富にあるらしく、それを屋根瓦として使っているのだ。でも、ただ平たい石を並べただけだから隙間だらけで、そこから冷たい風と月光の淡い光が部屋の中に染み込んでいた。もし雨が降ったらどうするんだろうと思ったが、サンタは隣のベッドで早くも鼾をかいていたので、聞くことはできなかった。

 寝袋にくるまって屋根から漏れてくる月の光を眺めながら、僕は50年前にこの地を去ったキン家の人々の事を考えた。彼らがどういう理由でカトマンズに向かったのかはわからない。でもひとつだけ確かなのは、この村は首都カトマンズとは全く違う世界だということだ。
 この村では、雄牛が畑を耕し、薪で煮炊きをし、石で拭いた粗末な家に住む暮らしを今も続けている。車も通らないし、電気もこない。たぶん50年前とあまり変わらない暮らしだ。ここでは、時間の流れ方がカトマンズとは比較にならないぐらい緩慢なのだ。

 何もないところですから、とサンタは言った。特別なものは何もない、時代の変化から取り残されたような山村。キン家の人々は、この小さな世界から逃げ出したかったのだろうか。