誰もが素通りしていく町・ターズィ

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 ミャンマーの観光スポットは四カ所に限られている。首都のヤンゴン、第二の都市マンダレー、バガン遺跡、インレー湖、の四つである。それ以外の町に行けないわけではないのだが、交通機関も宿泊施設も整ってはいないから、訪れる旅行者は少ない。

 ターズィはこの「ツーリスト・スクエア」と呼ばれる四カ所のちょうど真ん中に位置して、交通の要衝となっている町なのだが、さしたる見所があるわけではないので、地図を見て何となく思い付きでやってきたような旅人——つまり僕のような人間——以外は、まず誰も訪れないような町だった。

 

my04-4620my04-4700「確かに、この町には鉄道の駅があるんだけど、みんな素通りして行っちゃうのよ」
 と宿屋のおかみさんは言う。僕がターズィを訪れるのは二度目だったが、三年前も今回もこの宿の泊まり客は僕だけだった。みんなが素通りする町——ターズィとは、要するにそういうところなのだ。
 そのターズィにある中華食堂で、夕食に焼きそばとスープを食べていると、僕の向かいの席に座っていた老人がいきなり日本語で話し掛けてきた。

「あなた、日本人。この町、何しに来た?」
 老人の話す日本語はかなり上手かった。ベトナムやカンボジアの観光地にいる女の子たちが話す「オニイサン、ヤスイヨ!」式のセールストークとは全く違う、本物の日本語だった。

 

my04-5278「旅行者です」と僕は答えた。
「あなた、昨日、市場に行った。今日、駅に行った。そうでしょう?」
「どうして知っているんですか?」
 僕は驚いて老人の顔をまじまじと眺めた。昨日市場をひやかして歩いたのも、今日鉄道駅に行ったのも事実だった。この人は探偵か何かなのだろうか?

「あなた、ターズィで有名。この町、旅行の人、少ない。あなた、とても有名」
「確かにそうでしょうね」
 僕は笑って頷いた。ターズィは一応鉄道駅のある町で、片田舎というわけではないのだが、外国人旅行者はとても少ないので、その行動が話題に乏しい人々にとっての関心事になってしまう、ということらしい。

 老人の日本語は、第二次世界大戦中ビルマに駐留していた日本兵に教わったものだった。彼は絵本で読んだ「桃太郎」のあらすじをはっきりと覚えていたし、兵隊と一緒に歌った「夕焼け小焼け」の歌詞も(僕の方がうろ覚えだったのに)正しく記憶していた。きっと記憶力のいい人なのだろう。

 

my04-5277「日本の兵隊さん、よく言っていたこと、あります。60年前のこと。私、たくさん聞きましたので、覚えました。なんでしょう。あなた、わかりますか?」
 彼はそんな風に唐突にクイズを出題してきた。しかし60年前の兵士たちの口癖なんてまったく見当がつかなかった。僕は正直に「わかりません」と答えた。

「兵隊さん、言いました。『もし、空の上にあるお月様が鏡ならば、お国に残した自分の恋人を見たいです』。あなた、意味、わかりますか?」
「ええ、わかります」
 僕は頷いた。もちろん60年前の兵士が背負っていたものの重さや、死への恐怖は、僕にはわからないことだったが、故郷に残してきた大切な人を想う切ない気持ちは、時代を超えて共感できるものだった。人は誰でも孤独を感じると空を見上げ、月や星を眺めるものなのだ。

 

my04-6308「とても、かなしい。かなしい言葉」
 と老人は言った。彼もその詩の意味を十分に理解しているようだった。
「その兵隊さんは、無事に日本に帰ったんでしょうか?」と僕は訊ねた。
「わからない。私はわからない。日本の兵隊さん、たくさん死にました。あなたみたいに、若い兵隊さん、たくさん死にました。戦争、よくないです。よくないです」
 老人はそう言うと、悲しそうに首を振った。

 たぶん彼がもっと流暢に日本語を操れたら、あるいは僕が少しでもビルマ語を理解することができたら、彼からもっと多くの話を聞くことができただろう。戦争がどのように「よくない」のか、どれほど悲しいのかを、語ってくれたに違いない。
 しかし、実際に僕らが交わすことができた会話は、極めて断片的なものだった。それが残念でならなかった。

 

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日本兵ナカタサンの思い出

my04-4880 ターズィの近くにある町メイッティーラは、第二次世界大戦の末期に日本軍と連合軍が激戦を繰り広げ、両軍併せて数万人の死傷者が出た土地だった。ここには亡くなった兵士たちの慰霊のために日本人が建立した「ナガヨン寺院」というお寺もあった。

 そのメイッティーラにも、第二次大戦中の日本兵との思い出を持つ老女が住んでいた。ドンニュイという名前の老女を僕に紹介してくれたのは、孫娘のスーレーマだった。大学で英語を学んでいるスーレーマは、英会話の実地訓練になると思って、外国人である僕に声を掛けてきたのだった。

 ミャンマーの町を歩いていると、時々そんな風に英語で声を掛けられることがあるのだが、若い女の子から声が掛かるのは大変珍しかったから、驚きもしたし、嬉しくもあった。

 スーレーマは自己紹介のような世間話のような会話をしばらく続けたあと、祖母であるドンニュイさんに会ってくれないかと切り出した。
「おばあさんは60年前の戦争のことを、今でもよく覚えているんです。特に一人の兵士とは親しい仲だったみたい。今までそんな話を家族にしたことはなかったんだけど、最近になって体が弱り始めてから、急に話すようになったんです。日本人のあなたなら、おばあさんの話をわかってあげられるんじゃないかと思うんです。一度聞いてみてはもらえませんか?」

「僕もぜひ話を聞かせてもらいたいと思うよ。でも、僕は戦争のことを直接は知らないから、役に立てないかもしれない」
「ええ、それでもいいんです。きっと彼女は誰かに話を聞いてもらいたいんだと思うんです」
 そんなわけで、僕らはドンニュイさんの家まで15分ほどの道のりを歩くことにした。

 

my04-4954 メイッティーラの住宅街はすり鉢状になった土地に家屋が密集して建っているのだが、ドンニュイさんの家はそのすり鉢の底——つまりもっとも貧しい地区——にあった。そこはいかにも水はけが悪そうな土地で、乾季の今ならまだしも、雨季になると道がぬかるんで大変なことになりそうだった。

 スーレーマは小さな雑貨屋の前で立ち止まった。駄菓子や文房具などが店先に並び、軒先に青バナナが吊されている。どこにでもある古びた雑貨屋だった。入り口はとても狭く、いわゆる「うなぎの寝床」式に奥が細長く伸びた構造の家だった。

 スーレーマは慣れた足取りで店の中に入っていった。外の明るさに比べて家の中があまりにも暗かったので、僕は目を凝らして彼女の後ろ姿を追った。土間を通り抜け、暖簾のようなものをくぐると、安楽椅子に座った老女が現れた。

 

my04-4992「彼女が私のおばあさん」
 とスーレーマは言った。そしてドンニュイさんに事の経緯を説明し始めた。ドンニュイさんはかなり耳が遠いらしく、スーレーマは耳元に口を近づけて大きな声を出さなければいけなかった。椅子に座ったまま一歩も動かないところを見ると、足も相当に弱っているのだろう。

 スーレーマは「おばあさんは日本の兵士に日本語を教わったことがあるの」と言った。しかし、今となっては彼女はその大半を忘れてしまっているようだった。
「こんにちは」と僕が話し掛けると、ドンニュイさんも、
「コニチハ」と答えたが、その後の言葉がなかなか続かなかった。

「コニチハ・・・アリガト・・・・ヘイタイサン・・・・・ケンペイタイ」
 それだけの言葉を思い出すのに、長い時間がかかった。それはたくさんの鍵を使って、古い錠前をひとつずつ開けていく作業に似ていた。彼女の古い記憶は、何重にも鍵がかけられた倉庫の一番奥に仕舞われているのだ。
「・・・ワカラナイ・・・ワスレタ」
 ドンニュイさんはそう言って、少し照れ臭そうに微笑んだ。笑うと、顔全体に深い皺が広がった。それは見ているだけで自然に親しみが湧いてくるような、温かい皺だった。

「おばあさんが日本語で話をするのは無理みたいね」とスーレーマは言った。「昔はもっと日本語が上手かったらしいけど、もう何十年も前のことだから、忘れてしまったみたいだわ。ごめんなさいね」
「そんなことはいいんだよ」僕は首を振った。「もしよかったら、君が英語でおばあさんの思い出を話してくれないかな?」
 僕がそう提案すると、スーレーマは大きく頷いた。そしてドンニュイさんの話すビルマ語を通訳して、僕に聞かせてくれた。

「おばあさんには戦争中に知り合った日本人の恋人がいたの。日本語は彼から教わったらしいわ。もちろんおばあさんが結婚する前の話よ。でも出会ってから数ヶ月で日本軍が降伏して、その兵士も日本に帰ることになったらしいの。おばあさんは彼のことが好きだった。彼もおばあさんのことが好きだった。でもどうすることもできなかった。それっきり、二人は二度と会うことはなかったそうよ」
「その日本人は何という名前だったんですか?」
 と僕は訊ねた。スーレーマはすぐにビルマ語に訳してくれた。

 

my04-4990「ナカタサン」
 ドンニュイさんはすぐに答えた。それは他の言葉以上にはっきり記憶に残っているようだった。
「ヘイタイサン。ナカタサン。ヘイタイサン。ナカタサン・・・」
 彼女は何度かそう繰り返した。しかし彼女の表情からナカタさんに対してどのような想いを抱いているのかを読み取ることまではできなかった。悔恨のようなものがあるのか、それとも青春時代のひとつの思い出なのか・・・。

 ドンニュイさんは安楽椅子にもたれたままの姿勢で、しばらくのあいだ目を閉じていた。眠ってしまったのかと思ったが、そうではなかった。彼女は時々薄く目を開けて、光が射し込む入り口の方を見つめた。細い記憶の糸を懸命にたぐり寄せようとしているようにも見えた。

「ナカタサンはどんな人だったんですか?」
 と僕は訊ねてみた。ドンニュイさんは黙って目を閉じてから、ゆっくりと口を開いた。
「・・・・ワカラナイ・・・ワスレタ」
 彼女は日本語でそう言うと、再び照れ臭そうに笑った。本当に忘れてしまったのだろうか。それとも、その気持ちだけは自分の胸の内にしまっておくつもりなのだろうか。それは僕にもわからなかった。

 ドンニュイさんは安楽椅子に深く身を沈めると、再び目を閉じた。今度は本当に眠ってしまったようだった。
 この薄暗く湿っぽい匂いのする家の中にいると、ここを流れる時間までもが彼女の記憶と共に動きを止めているように思えた。

 

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my04-6453 ドンニュイさんの家を出てから、僕とスーレーマは近くの湖の周りを散歩した。
「正直言って、私はおばあさんの気持ちがよくわからないの。同じ人を六十年も想い続けるなんて・・・」

「それは君がまだ若いからだよ」と僕は言った。「自分にとって大切な記憶は、何十年経っても忘れないものなんだ。ある場合には、時間が経つほど鮮明に思い出すことができる」
「あなたにはそんな記憶はあるの?」
「まだわからない。自分にとって本当に大切なものは何なのかは、長い時間が経たないとわからないものじゃないかな」

「私にはまだないわ。好きな人もいないし、夢だって実現できていないから」
「君の夢は何?」
「新聞記者になって外国に行くこと。この国を出ていろいろな人に出会うこと。でも今のところ、それはただの夢でしかないの。ミャンマー政府は、少数の留学生を除いて、女性が外国に出ることを制限しているから。タイに出稼ぎに行った女性が売春をしているというのが理由らしいわ」

「それじゃ、もし自由に外国へ行くことができたとしたら、どこに行きたいの?」
「スイス」
 と彼女は即座に答えた。それは僕にとって少し意外な答えだった。

 

my04-6539「どうしてスイスなの?」
「昔からの憧れなの。高い山があって、雪が降って、緑の草原が広がっていて。ミャンマーとは全然違うでしょう?」
 なるほど。そう言われてみれば、スイスに代表されるような涼しげな高原の風景は、ミャンマーとは好対照のものかもしれない。もっとも暑い時期、ミャンマー中部では最高気温45度を記録するというから、避暑地への憧れは強いのだろう。ミャンマーの町角には家の中に貼るポスターを並べて売る店がよくあるのだが、仏像やお寺の写真と同様に多かったのは、万年雪をいただいた山脈を写した美しい風景写真だった。

 

my04-5676「この国では女性が働く場がとても少ないの」
 スーレーマは立ち止まって、湖の水面を眺めた。雨が降らないせいで湖は半分以上干上がり、湖面の大半は蓮の葉に覆われていた。
「女の仕事は、家事や子供を育てることだって決めつけている人が多いんです。でも私は働きたい。だから英語を勉強しているの。勉強するのは好きよ。本当のことを言うと、料理も洗濯も嫌いなの。こんなことおばあさんに言ったら怒られるかもしれないけど」

 スーレーマは自分の力で生きる道を切り開いていこうとする新しい女性だった。戦争という巨大な渦の中に巻き込まれ、為す術がなかったドンニュイさんの世代とは、考え方や生き方が大きく違う。

 しかし彼女も自覚しているように、今のミャンマーで彼女の夢を実現させるのは非常に難しいことだと言わざるを得ない。国も社会も、そのような多様な生き方を許容できる土台をまだ持っていないのだ。それでも、彼女が夢を持ち続けること、それに向かって努力し続けることは、決して無駄にはならないはずだ。

「いつかスイスの山に登ることができたらいいね」と僕は彼女に言った。
「ええ、その時にはあなたに絵はがきを送るわ」
 スーレーマは爽やかな笑顔で言った。その笑顔を見ていると、何年後か何十年後かはわからないが、彼女がマッターホルンの麓に立つ日がやってくるに違いないと思えるのだった。