3324 ヤンゴンからバングラデシュのダッカへ向かう飛行機は、一人のバングラデシュ人が超過料金のことで係員と喧嘩を始めたせいで、30分も出発が遅れた。彼は文字通り山のような荷物を抱えていた。計ってみると200kgを超えていて、当然超過料金を課せられるわけだが、その支払いを断固拒否しているのだ。

「俺が45ドル払うんだったら、他の乗客にも同じように45ドル払わせろよ!」
 とよくわからない理屈を持ち出して、男はビーマンバングラデシュ航空の係員に食ってかかっていた。しかし巨大なトランクを5つも持ち込んでおいて、正規料金で乗せろと言うのも厚かましい。あるいは、こういうのはバングラデシュでは当たり前の主張なのだろうか。

 チェックイン待ちの列には、僕と同じようにリュックを背負った日本人の旅行者も4,5人並んでいたが、話を聞いてみると全員がダッカでトランジットして、インドのカルカッタへ向かうということだった。
「バングラデシュなんて、一体何があるんですか?」といかにもバックパッカーらしい無精髭の大学生が聞いた。
「・・・さぁ、よく知らないんだよ」と僕は笑って答えた。「でもね、名前からして面白そうだと思わない? バングラデシュだよ」

 日本を発つ前から、バングラデシュには行くつもりだった。アジアを旅しようと思ったときに、まず最初に浮かんだ国の名前が「バングラデシュ」だったのだ。
 とは言っても、僕とバングラデシュを結びつけるものは、何ひとつ無いし、行きたい場所や会ってみたい人物がいるわけでもなかった。

 情報も不足していた。アジアのほとんどの国を網羅している日本語のガイドブックシリーズにも、人口わずか200万人の『ブータン編』があるというのに、人口1億2千万を数える『バングラデシュ編』はないのだ。ひどい話だとも思うが、訪れる価値のある観光地がないのだから仕方ないのだろう。
 たまに外電が伝えてくるのも、「洪水で何千人が死んだ」とか、「飢餓で何万人が死んだ」といった暗いニュースばかりだし、世界地図を眺めたところで、ヒマラヤに源を発したガンジス川が海に流れ込むデルタ地帯にある小さな国、ということぐらいしかわからない。

 それでも僕は説明不能な内的な導き――あるいは単なる気まぐれ――に従って、バングラデシュを目指していた。あえてひとつだけ理由を挙げるとすれば、「名前が面白そうだ」ということになるのだと思う。

 
 

ダッカ空港を取り巻く男たち

3320 というわけで、ダッカ空港に降り立ったとき、僕はそれまでの国境越えよりもずっと緊張していた。今までなら初めての国であってもある程度のイメージが湧くのだけど、バングラデシュにはそれが全くなかったからだ。人は未知のことを最も恐れる、というのは真実だと思った。

 しかも悪いことに、到着したのは夜の9時過ぎだった。初めての国に入るときは、出来ることなら昼間の方がいい。治安の面ももちろんだし、夜だと町の全体像を把握するのが難しくなるからだ。でも、ヤンゴンとダッカを結ぶ飛行機はこの時間しかないのだから、選びようがなかった。

 最初に直面した問題は、いかにして空港から市街地へ出て今晩の宿を探すかということだった。ダッカ空港は街の中心からかなりの離れた場所にあるのだが、市街地へのシャトルバスのような乗り物はなさそうだった。あるのかもしれないが、それを探す暇はなかった。その前にタクシーの運転手達に囲まれてしまったのだ。

「ハロー ミスター! ウェルカム トゥ バングラデシュ!」
 運転手はやたらに愛想良く笑顔を振りまきながら、しかしその手は僕の荷物をひったくるようにして自分の車まで運ぼうとする。こういう時に相手のペースに飲まれてはいけない。僕は運転手の手を必死に振りほどいて、交渉を始めた。

「ダッカの中心まで、いくらで行く?」
「15ドルだ」
「ノー それじゃ他を探すよ。あんたはいくらだ?」
「12ドル!」
「ノー ノー」
「10ドル!」
 新しい値段を提示されるたびに、僕は話にならないよと首を振ったり、他の運転手を捜すふりをする。こちらの弱みは相場をまったく知らない点なのだけど、それをなるべく悟られないような態度を取らなくてはいけない。初めてのバングラ人相手の交渉は一筋縄ではいかなかったが、20分ほど粘り強く話し合った結果、ホテルまでのタクシー代が3ドルで、一泊3ドルのシングルルームを紹介するというところで落ち着いた。

3379 タクシーとは言っても、彼らが運転しているのは小型エンジンを載せたオンボロの三輪バイクである。バングラデシュではこれを「ベイビータクシー」と呼び、タイなどでは「トゥクトゥク」と呼んでいる。ちなみにエンジンの代わりに人が漕ぐタクシー、つまり三輪自転車タクシーは「リクシャ」という。これは日本の人力車から名前が取られたそうだ。

 驚いたのは、空港ビルを出たところに数百人のバングラ人が待ち構えていたことだった。有名人か誰かが来るのかと思ったが、運転手によると「毎日これだけ人が集まるんだ」ということだった。
「この人達は誰を待っているの?」と僕は訊ねた。
「家族、親戚、それに友達。飛行機に乗ってくる人は特別だからね。みんなで出迎えるんだ」
 空港の外は街頭もろくになくて薄暗く、そこに肌の黒いバングラ人が並んでいると、目玉だけが何百個も並んでいるようでかなり怖い。でも、よく見ると彼らは珍しい東洋人に向かって手を振ってみたり、「ウェルカム トゥ バングラデシュ!」と声を掛けたりしてくれているのだった。

 ようこそ我が国へ。そんなふうに見ず知らずの人間を出迎えてくれる国も、なかなか珍しいと思う。

 
 

24時間眠らない市場

 ベイビータクシーは幹線道路を30分ほど走って、大きな市場の前のぬかるんだ道に入り込み、一軒の宿の前に止まった。「グランドホテル」という英語の看板が出ていたが、もちろんグランドでも何でもなく、ただの古びた安宿だった。

 アジアの大都市には、安宿街とそれに付属する旅行者向けの店が並ぶツーリストエリアというものがあって、旅行者はそこを起点にして旅を進めればいいのだが、ダッカにはそういう所がない。だから、僕は自分がどこに連れてこられたのかさっぱりわからない五里霧中の状態で、ベイビータクシーを降りたのだった。

3510 そこは何だか不思議な場所だった。午後10時を回っているというのに、目の前の市場には大勢の人や荷車が行き交い、トラックのクラクションや、リクシャの鳴らすベルや、男の怒鳴り声が混ざり合って響き、白熱灯が煌々と通りを照らしていた。男達が運んでいるのは、野菜や米や香辛料といった食料品だった。

「このマーケットは24時間開いているんだよ。眠らない市場さ」と運転手は言った。
 どうやら僕は、ダッカの胃袋とも言うべき場所に連れてこられたらしい。もちろん人気のない場所に降ろされるよりはずっとマシだったが、この喧噪のすぐ側にあるホテルに泊まるというのも、あまり気が進まなかった。

 グランドホテルのフロントには、目の下にはっきりしたクマのあるマネージャーがでんと座っていた。
「3ドルの部屋があるって聞いたんだけど」と僕が言うと、マネージャーは渋い顔で宿帳をめくった。
「ミスター、すまないねぇ」と彼はたいしてすまなくもなさそうに言った。「3ドルの部屋は今は空いていない。でも5ドルのシングルルームなら空いているよ。3階の窓付きの部屋だ。眺めもいい」

 眺めがいいと言ったって、見えるのはどうせあの市場じゃないかと思ったが、文句を言うのも面倒になって、その部屋に案内してもらうことにした。部屋の窓からは、確かに眼下の市場の喧噪がよく見渡せたが、決して心が和むような風景ではなかった。

 蒸し暑い部屋には蚊がうじゃうじゃといて、ボーイが蚊取り線香を持ってきてくれるまでに、僕の腕や足は飢えた蚊の攻撃にさらされた。それでも、僕はこの部屋に泊まることにした。自分がどこにいるのかもわからない状態で、他の宿を探して歩き回るのは無謀に思えたからだ。

「ウェルカム トゥ バングラデシュ!」
 ボーイが部屋を出ていく間際に言った。どうやら、ウェルカムというのがこの国の合言葉になっているようだった。