3186 ダッカはひどい街だった。ダスティーでノイジーでクレイジーだった。ダッカに一日いると目が痛くなり、二日目には喉に違和感を感じ、三日目になると原因不明の頭痛に襲われるようになった。嘘偽りのない本当の話である。

 ダッカの大気汚染は世界最悪の水準だと言われている。空を見上げると、それがよくわかった。ダッカの上空はいつも不透明の白い膜に覆われていた。街を走るベイビータクシーやバスから野放図にばらまかれる排気ガスが、スモッグの傘を作っているのだ。

 汚れているのは空気だけでなく、道路はゴミで溢れかえっていた。路地裏からは大便と小便の混ざり合ったひどい悪臭が漂ってきた。
 バングラ人はとても親切でフレンドリーな人々で、僕は彼らに対して悪い印象を持つことはほとんどなかったけれど、ダッカの街はどうしても好きにはなれなかった。街のどこを見渡しても、混乱と喧噪と醜悪しか存在しなかった。

 この欠陥だらけの街の中でも、一番ひどいのが交通渋滞だった。ダッカの中心地を走る道路は、時間を問わず常に渋滞していて、まともに機能していなかった。その主な原因となっているのが、大量のリキシャだった。
「ダッカにはおよそ35万台のリキシャが走っている」
 ガイドブックにはそう書かれている。とんでもない数字だと思うのだけど、「いや、それは少ないな。100万台は走っているよ」と言うバングラ人もいる。人口1千万のダッカに100万のリキシャが走っているというのは、あまりにも現実離れした話である。けれど、実際にダッカの街をリキシャで走ってみると、もしかしたらそれぐらいいるかもしれないな、とも思えてくるから怖い。ダッカは我々の常識が通用しない街なのだ。

 
 

ダッカを代表する乗り物・リキシャ

3166 右を見ても、左を見ても、大通りにも、狭い路地にも、どこにもリキシャ、リキシャ、またリキシャである。旅を始めた頃に訪れたベトナムのハノイでも、異常発生したバッタのようなバイクの群れに圧倒されたけれど、ダッカのリキシャはその何倍もの規模で僕を圧倒した。

 リキシャに乗ること自体は楽しい体験だった。道路にはダッカという混乱した街の縮図があり、それをリキシャの座席の少し高い場所から眺めて回ることができたからだ。

 ダッカの道路は弱肉強食の世界だった。乗り物の種類によって立場の強さに明確な差があり、弱い者は強い者に逆らえないという階級社会を形作っていた。ピラミッドの頂点には大型バスが君臨する。以下、乗用車、テンポ(6人乗りベビータクシー)、ベイビータクシーの順に弱くなり、ピラミッドの底辺をなしているのが、我らがリキシャである。

 簡単に言えば、白亜紀の恐竜のように「大きなものが強い」世界なのだ。あるいは、より大きな声で吠えるもの(つまりデカい音でクラクションを鳴らせるもの)が強い。だから、渋滞してにっちもさっちもいかないにもかかわらず、ブーブーブーというけたたましいクラクションの音はいっこうにやまない。相手に遠慮してルールを守っているものは、このタフでワイルドな世界を生き抜くことなどできないというわけだ。

3196 衝突もしょっちゅう起きる。リキシャやベイビータクシー達は各々が自分勝手に進んでいるから、いつも追突したり横のリキシャに当たったりしている。部品が壊れたりしない限り、接触は事故のうちに入らないのだ。ダッカの乗用車には、いつ追突されてもいいように遊園地のゴーカートみたいな鉄パイプ製のパンパーが取り付けてあるし、路線バスの外装は擦れてボロボロになっている。

 アクシデントではなく、わざとぶつけてくる奴もいる。客待ちのリキシャが道路脇に集まっているところに、ベイビータクシーが「お前ら邪魔だ!どけ!」とばかりに追突してくる。この横暴に対しても、立場の弱いリキシャは文句を言わずに場所を譲る。実に厳しい世界である。

 リキシャは旅行者の基本の足になる乗り物だけど、使いこなすのは容易ではない。料金は安いが、乗る前に料金交渉が必要になる。それに、ただ行き先を告げて座っていれば目的地に着く、というわけにはいかない。リキシャワラ(車夫)のほとんどは英語がさっぱりわからないし、地図だって理解できない。文字の読めない人も多い。そもそも、ダッカの地理にあまり詳しくない素人リキシャワラも多い。田舎から出稼ぎにやってきたはいいが、いい仕事に就けず、とりあえずリキシャを漕いで日銭を稼いでいる人も多いらしい。

 だから数あるリキシャの中から、リーズナブルな値段でちゃんと目的地まで行ってくれる人間を捜さなくてはいけないのだが、これがなかなか骨なのだ。特にいかにもベテランというおっさんリキシャワラが、実は道をまったく知らない素人だったりすると、これは悲劇である。ダッカではそういう目に何度も遭った。

 
 

三方一両損の警官

 ダッカに着いた翌日、インド大使館に出向いてビザの申請をした帰り道に捕まえたリキシャワラもひどい奴だった。
「カウラン・バザールに行ってくれ」と僕が言うと、男は自信たっぷりに「オーケー オーケー」と頷いて走り出した。男は足に自信があるらしく、他のリキシャを軽々とパスしては、挨拶代わりにベルをカランコロンと鳴らしながら走った。調子に乗って鼻歌まで歌い出した。しかし20分経ち、30分経っても、いっこうに目的地は見えてこない。道は空いているから、そろそろ着いても良さそうなのに、カウラン・バザールは影も形も現れない。

「おい、大丈夫か? カウラン・バザール オーケー?」
 僕は心配になって男の背中を叩いた。それでも男は「オーケー オーケー」と陽気に繰り返すばかり。鼻歌もやめようとはしない。しかし、それからしばらくして同じ交差点を二度も三度も通っていることに気が付いた。リキシャワラは完全に道に迷っていて、ぐるぐると同じ道を走り続けていたのだ。

「もうお前はいい! 俺は他のリキシャを探すからな!」
 交差点の真ん中で、僕は我慢の限界に達して、リキシャを降りた。陽気なリキシャワラもさすがに申し訳なく思っているのか、苦笑いを薄めたような神妙な表情をしていたが、しかし運賃だけはしっかりと要求してきた。しかも事前の交渉では10タカだと言っていたのに、倍走ったんだから更に5タカ上積みしろ、とまで言ってきたのだ。

「15タカだと? 冗談じゃない!」と僕は怒鳴った。「目的地に着いてもいないのに、どうして俺が金を払わなきゃいけないんだ? 時間を40分も無駄にしたんだから、こっちが金を払って欲しいぐらいだ!」
 僕らは交差点の真ん中で言い争った。しかし、お互いに日本語とベンガル語でワーワーとわめき立てているだけなので、得るところのない不毛な争いだった。犬と猿がお互いの縄張りを主張しあっているようなものだ。

3505 しばらくすると、他のリキシャワラ達が面白がって僕らの周りに集まってきた。それを見て、制服を着た警官もやってきた。警官は少しだけ英語が話せたので、僕は事情を説明した。
「なるほど。彼は道を知らなかったんだな」と警官は言った。「しかし、君は15タカ払わなくちゃいけない」
「どうしてですか?」
「彼も悪いが、君も悪い。君も道を知らなかったんだから」

 警官が僕に言ったことをまとめると、こういうことになる。リキシャワラの仕事はペダルを漕ぐことだから、乗客は40分漕ぎ続けた労働に対して15タカを支払わなければいけない。彼らが道を知っているか知っていないか、目的地に着けるか着けないかは、また別の問題だ。もし、リキシャワラが道を知らない場合は、乗客が「次を右」「その先左」と指示するものなのだ(実際にダッカではそういう光景をたびたび目にすることになった)。

 それもひとつの理屈ではある。だけどこの考え方は、「お金はモノやサービスの対価として支払われるべきだ」という僕らの常識とは、ずいぶんかけ離れているようにも思う。
「だいたい、行き先がわからないんなら、最初にそう言えばいいんですよ。それをしないで、『わかりませんでした。でもお金だけちょうだい』というのは、虫がよすぎるでしょう?」と僕は言った。

 警官に文句を言うのが筋違いなのはわかっていたけど、他に言う相手が見当たらないのだ。案の定、警官は大きく首を振った。諦めなよ、という顔をして。
「わかりました」と僕は渋々頷いた。「金は払いましょう。でも、最初に10タカと決めたんだから、僕は10タカしか払いませんよ。超過料金なんて絶対に払わない」

 この僕のささやかなる抵抗で、まとまりかけた話は再びこじれた。5タカは10円である。たった10円じゃないか言われればそれまでだけど、道理の通らないお金はたとえ1円でも払いたくなかったのだ。

「それじゃこうしよう」と警官が言った。「君は10タカ払いなさい。残りの5タカは私が出そう。それでいいね?」
 警官は自分のポケットから5タカを取り出して、リキシャワラに与えようとした。
「ちょっと、ちょっと、待ってください」と僕は慌てて言った。「わかりましたよ。僕が15タカ払いますよ。それでいいでしょう?」

 僕はリキシャワラに残りの5タカを渡しながら、警官がやろうとしていたのは大岡越前守の『三方一両損』と同じじゃないかと思った。
「彼らにはね、たった5タカの金がとても大切なんだ」と警官は僕に言った。
 そう言われると、この厚かましいリキシャワラに対して、もうこれ以上腹を立てることができなくなってしまった。そして、わずか10円のことに目くじらを立てていた自分が、とても小さな人間に思えてきた。

 リキシャワラは当然という顔で紙幣を胸のポケットに納めると、礼も言わずにリキシャに乗って流れの中に消えていった。大岡裁きの警官は、それじゃ気を付けてな、と軽く右手を上げてから交通整理の持ち場に戻っていった。
 当たり前のことだけど、様々な人間がいて社会というのは成り立っているものなのだ、と僕は思った。