上海発・大阪行き「蘇州号」の旅

 上海を12時に出港したフェリー「蘇州号」は、長江の上を滑るように進んだ。途中で川幅がぐっと広くなり、その余りの広さにここが川なのか海なのか判断の付かないような場所にまで達すると、微かな潮の匂いが風に運ばれてくるようになる。カフェオレ色に濁った水だけが、ここがまだ川であることを教えてくれていた。

 モンゴルのウランバートルで出会った日本人の旅行者から、上海と大阪を結ぶフェリーがあることを聞いた。「新鑑真号」と「蘇州号」という2隻の定期船は、陸路でアジア横断を目指すバックパッカーには広く知られた存在なのだという。

 それを聞いて以来、旅の最後は上海発の船旅で締めくくるのも悪くないな、と思いはじめた。上海・大阪間は飛行機を使うとわずかに4時間の距離である。それが船だと46時間もかかる。かといって運賃がものすごく安いというわけではない。片道2万円というのは、飛行機に比べれば安いけれど、決定的な差ではない。それでも僕が船を選んだのは、旅の終わりには「時間をかける」ことが必要だと思ったからだ。

9204「旅というのは、無駄な回り道なんだ」

 10ヶ月に及ぶ長旅の中で、僕がはっきりと言える事は、これぐらいである。パキスタンの砂漠を一日バスに揺られることで、シベリアの大地を6日間鉄道に揺られることで、モンゴルの草原を歌いながら走り続けることで——つまり無駄な回り道をたくさんすることによって——見えてきたことがたくさんあった。

 それはこの世界の時間と空間の広がりを、自分のからだに吸収することだった。効率やスピードや生産性とは反対側から、世界の有り様を眺めることだった。だからこそ、この旅の最後を締めくくる移動にはたっぷりと時間をかけたかった。敢えて回り道をしてみたかったのだ。

 大阪港行きの「蘇州号」の旅はとても快適だった。僕の客室は一番安い「2等のB」であり、これは広い部屋に雑魚寝するドミトリータイプなのだが、乗客の数はまばらで、一人分のスペースは十分に広かったので、居心地は抜群に良かった。たっぷりとお湯の出るシャワールームも嬉しかったし、乗務員も親切だった。この一ヶ月のあいだ乗り続けていた狭い列車の硬い座席や、寝台バスのことを思えば、別世界の快適さだった。

9042 大阪に着くまでの丸二日の間、僕はのんびりと過ごした。同じように長旅を終えて帰国するという日本人の若者と旅話で盛り上がったり、洗濯機を借りてまとめて洗濯をしたり、船内ビザ担当の中国人青年と卓球の試合をしたりした。中国人は卓球が強そうなイメージがあるけれど、彼の場合はたいしたことはなく、いつも僕の圧勝だった。

 卓球に飽きると、甲板に出て東シナ海を眺めた。海は蒼く、波は穏やかだった。風は温かく湿っていた。ときどきカモメがやってきて、しばらく船に並ぶようにして飛び、再びどこかへ飛び去っていった。青空に浮かんだツバメの白い姿は、何かいい知らせを伝える使者のように見えた。

 出港の翌日の夕方になると、鹿児島がぼんやりと姿を現しはじめた。最初は波の間にぽつぽつと小さな島が見え隠れしていただけだったのだが、それがやがて一筋の緑の地平線へと姿を変えた。

 日本が間近になったことがわかると、すぐさま一人の女の子が携帯電話を取り出して、メールをチェックしはじめた。彼女曰く、携帯電話の電波は海を越えてここにも届くらしい。
「ほら見て。アンテナは一本しか立っていないけど、メールは受信できたよ」
 彼女は嬉しそうに携帯の画面を見せてくれた。画面の右上に表示されたアンテナレベルのゲージは、彼女の言う通りたった一本で、その一本も風前の灯火みたいに点いたり消えたりしていた。しかしたとえ不安定であっても、電波がここまで届いているという事実は、僕らが日本という国の中にいることをはっきりと伝えていた。

8580 甲板に出てぼんやりと夕陽を眺めていると、一人の若者が僕の方へ近づいてきた。この船に乗っている唯一の欧米人であるスコットランド人の男だった。いつも船室の壁にもたれながら一人で分厚いペーパーバックの本を読んでいる、物静かな青年だった。一度だけ言葉を交わしたときには、「自分は物理学者の卵で、中国と日本を旅してから大学に戻って職を探すつもりなんだ」と言っていた。

「綺麗な夕陽だね」
 彼は手すりに片手を置いて言った。そうだね、と僕は頷いた。彼はポケットからタバコを取りだして、火をつけようと試みたが、風があまりにも強いのでどうしても上手く行かず、結局諦めてタバコを海に投げ捨てた。

 そのあと僕らは黙って、ちょうど桜島のあたりに沈もうとする夕陽を眺めた。雲の間から零れた幾筋もの光が、暗い海を紅く照らしていた。海面からはときどきトビウオが跳ね飛んで、ほんの一瞬だけ鱗を煌めかせた。

「Sun’s gone」
 沈みゆく太陽に眩しそうに目を細めながら、彼は言った。シンプルなひと言だったけれど、何故か胸の奥に染みた。
 この太陽が沈んで、明日がやってくれば、船は大阪港に着く。
 それで旅が終わる。
 本当に終わってしまうんだ。

 僕はこの旅で出会った人々の顔を、思い出せるだけ思い出してみた。

 香港のオカマ詐欺師のルイ。ラオスの青年ソンフォー君。ミャンマーの僧侶ウィザヤ。ネパールの山村で出会った名前も知らない少女。文明について語り合ったイランの大学生達。親切にしてもらった人の顔、お金をふんだくろうと狙う人の顔、無邪気な笑顔、不機嫌な横顔・・・。

 胸が少し熱くなった。何か大切なものを置き忘れてきたような、そんな気がした。前に進んでいく船と、過去に引っ張られている気持ちとの狭間で、僕は混乱していた。

 目を閉じて静かに息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。再び目を開けたとき、夕陽はもう地平線の向こうに消えてしまっていた。

「日はまた昇るさ」
 誰に言うともなく、僕は呟いた。
 僕の長い旅は今日で終わる。でも、ひとつの旅の終わりは、新しい旅の始まりに繋がっているのだと思う。季節が一巡りして、また春がやってくるように。

 

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これからも旅は続く——あとがきに代えて

「君がいつ現実に気が付くか、心配しています」
 インドを旅している頃、一通のメールが届いた。送信したのは以前僕が勤めていた会社の同僚だった。決められた勤務時間をきっちりと守り、休日には趣味の車いじりに打ち込む男だった。

 俺は「現実」の側にいて、君は「現実」の外にいる。君はいつになったら、「現実」の側に戻ってくるんだ? そんな呼びかけだったように思う。
 僕はメールに返事しなかった。そのときの僕にとって、旅が「現実」そのものだったからだ。

 もちろん、旅は一種の現実逃避だ。日常では得られない刺激を受け、それまでの人間関係から一時的に逃れることができる。でも、それは全ての決定を一時的に保留しているに過ぎない。

 旅には必ず終わりがある。400m走のランナーが、ちゃんとスタート地点に帰ってくるように、旅人はいったん離れていた日常に再び戻っていく。ホームストレートを走り、カーブを曲がり、バックストレートを走り、最終カーブを曲がってゴールする。

 しかし旅の期間が長くなると、戻るべきゴール地点が徐々に不確かなものになってくる。スタートからゴールへのひとつの輪があまりにも長く引き伸ばされて、自分が今カーブを曲がっているのか、それとも直線を走っているのかがわからなくなってしまう。旅という非日常と、現実の日常生活との境目が、だんだんと曖昧になってくるのだ。

 いつ旅を切り上げればいいのかを考えあぐねているうちに、どこに帰ればいいのかさえわからなくなってくる。実際に、僕はそういう旅人を何人も目にしてきた。出口の見えない迷路の中で、膝を抱えてうずくまっている旅人。途方に暮れた表情で、あるいは自嘲気味の引きつった笑みを浮かべて。メールをくれた友達は、僕がそうなることを心配していたのかもしれない。

 しかし何とか僕は帰ってきた。生還した、という言い方は大袈裟すぎるけれど、ちょっとしたサバイバルであったことは確かだ。

「旅に出る前に比べて、何か変わったことはある?」
 日本に帰ってきてから、何人かの人にこう訊かれた。
「さぁ、よくわからないよ」
 僕にはそう答えることしかできなかった。

 何も変わらなかったわけではないけれど、具体的に何かが変わったという実感が持てないでいた。何かが、言葉にできない何かが、自分の中で作り替えられたような気がするのだが、他人にも自分にもそれを上手く説明することができない。そういうもどかしさをいつも心の中に感じていた。

 自分の中に起こった変化を根付かせるために、僕は旅行記を書き始めた。旅の記憶を整理し、違う角度から改めて見直してみることによって、この旅が僕にもたらしたものが見えてくるのではないか。そう考えたのだ。

 これからも僕は旅をするだろう。けれど、この「ユーラシア一周旅行」は、おそらく何十年経っても、僕にとって特別な存在であり続けるだろう。

 それは初恋のようなものかもしれない。新鮮な経験に胸躍る日々。先が見えないことへの不安。終わりを迎えることの哀しみ。そういうものを感じ続けた日々は、僕が旅に初めて恋をした時間として、永遠に記憶されるだろう。

「君がいつ現実に気が付くのか、心配しています」
 この言葉は、今でも時折思い出されて、そのたびに僕の胸をチクチクと突いてくる。ひょっとしたら、自分がとんでもなく間違ったことをしているのではないか、抜け出しようのない暗くて深い森の中に迷い込んでいるのではないか。そんな思いが消え去ることはない。

 それでも僕は、これからもこの深い森を手探りで進んでいく。そうする以外、道が開けることはないと信じているから。

 いつものように地図を持たずに、コンパスだけを頼りにして、この道を進んでいこう。