強風とにわか雨には参ったけれど、キスノス島は他のギリシャの町よりもずっと面白かった。そこには質素でありながらも堅実な日々を送る人々の生活の実感というものがあった。
キスノス島の丘の上に立つ小さな教会は、アテネのアクロポリスの丘に立つパルテノン神殿よりも、ずっと鮮明に記憶に刻まれた。僕の目には、栄光に包まれたギリシャ文明の残照よりも、今を生きるギリシャ人の生活の方が魅力的に映った。
「俺たちは人生を楽しんでいるんだ」
とキスノスの港近くにある食堂で働いている男が言った。元々はアテネで数学教師をしていたのだが、事情があってこの島にやって来たのだという。
「日本人はみんな仕事が好きだって聞いたことがある。真面目で優秀な人たちだけど、楽しむことを知らないんじゃないか?」
男は僕に白ワインを勧め、自分のグラスにもなみなみと注いだ。
「日本はずっと貧しかったんですよ」と僕は言った。「だから一生懸命働くしかなかった。人生を楽しむなんて余裕はなかったんです」
「俺は去年イタリアで働いていたんだ。ベネチアもローマも日本人でいっぱいだった。本当にびっくりしたよ。ここは日本なのかって思ったぐらいさ。日本人はとてもいいお客さんだった。レストランでも気前よくお金を使ってくれるしね。でもとても忙しそうだった。美術館を見て、買い物に行って、あそこに行って、これをして。バカンスで来ているのに、なんだか働いているみたいだったな」
「ギリシャ人はのんびりしていますね」
「そうだね。たまに働いて、あとは楽しくやる。よく食べ、よく飲み、よく話す」
「それじゃ怠け者みたいだ」
「そうだよ。怠け者が多いから、2000年前の栄光も消えてしまったのさ。パルテノン神殿を見ただろう? あれがギリシャの頂点だ。あとはずっと下り坂さ」
お気楽なのか、シニカルなのか、あるいはその両方を持ち合わせているのか。男の笑みはどこか自嘲的だった。300万の人口を抱える首都アテネは例外としても、他の町のギリシャ人は確かにのんびりしていた。昼下がりに何をするわけでもなくカフェに座っている男達の姿を見ると、時間の流れ方がヨーロッパよりもアジアに近いのではないかと思えてくる。
「キスノスみたいな島に来るぐらいだから、あんたは普通の日本人とは違うんだろうな。旅はゆっくり楽しむものだ。そう思うだろう?」
「どうかな?」
と僕は首をひねった。振り返ってみれば、僕の旅も決して「のんびりと楽しむ」という種類のものではなかったと思うからだ。そういう意味では、僕だって「真面目な」日本人の一員なのかもしれない。
「ところで、アテネ行きのフェリーは、ちゃんと出るんでしょうか?」
と僕は男に訊ねた。海が荒れている日は、船が来ないこともあると聞いていたからだ。船が欠航になると、僕はもう一晩キスノス島で過ごさなければいけなくなる。せっかく荷物をパッキングしたというのに、それを持って宿に引き返さなくちゃならない。
「さぁね。今日は波が高いから、ひょっとしたら来ないかもしれない。でも、それは船長が判断することだから、来るまでわからないんだよ。フェリーの事務所に聞いてみたらいい」
「さっき聞いてみたんですよ。そうしたら『船が港に来れば船は出るし、来なければ船は出ない』だって」
それを聞くと、男は楽しそうに笑った。
「ギリシャ人らしい言い方じゃないか。要するに先のことはわからないってことだろう。でもたぶん大丈夫さ。水中翼船と違ってフェリーは滅多に欠航はしないから」
男が言った通り、フェリーは定刻から少し遅れて港に現れた。狭い湾の中で、フェリーは器用に船体を反転させて、船尾を桟橋に着けた。待ちかねていた車やバイクが次々に乗り込んでいく。
「それじゃ、行きますよ」と僕は男に声をかけた。
「アテネに戻ったら、次はどこに行くんだい? イタリアか?」
「そのつもりだったんですけどね。でも、まだ決めていないんですよ」
目指すべきはヨーロッパではない
アテネからパトラという港町に行き、そこから船でイタリアに渡ろう。ギリシャに来るまでは、そう計画していた。西へ向かうというのが、この旅の唯一の決め事だったからだ。イタリアへ渡って、フランスからスペインへとヨーロッパを横断すれば僕の旅は終わる。漠然とそう思っていた。でもギリシャを旅する間に、僕の目指すべき最終目的地が西ヨーロッパだとは、どうしても思えなくなっていた。
ギリシャに入ってからまず直面したのが、物価の高さだった。もちろん、日本や西ヨーロッパの水準に比べればずいぶん安い。それでもトルコに比べたら、宿代も食費もバスの運賃も、軒並み2倍から3倍に跳ね上がった。アジアで一泊200円や300円という安宿を泊まり歩いていた僕にとって、町一番の安宿が2000円もするという事実はかなりショックだった。さらにこのまま西ヨーロッパを旅すれば、物価はもっと上昇するだろうということも、僕の気を重くさせた。
ギリシャでもバスを使った。トルコとの国境を越えてから、アレクサンドルポリ、カヴァラ、テッサロニキ、カランバカという地方都市を順に巡った。しかしどの町を歩いても、もうひとつ手応えがなかった。どこもそれなりに綺麗で清潔なのだけど、なんだか物足りなかった。首都のアテネでもそれは同じで、パルテノン神殿や古代アゴラなどの有名な遺跡を回ってみたものの、「なるほど、これがあの有名なパルテノン神殿なのか」と思っただけだった。
僕はまだ旅を終えたくない
ギリシャの町を歩いても楽しくない。心が沸き立つような感触がない。その原因が、自分の中に引きずっているアジアの記憶のせいなのだと気付いたのは、パルテノン神殿を見上げたときだった。
ギリシャの遺跡はどれも完全に死んでいた。からからに乾いていて、防護柵に囲われて、僕の想像力が入る余地なんてなかった。それは既に確定した歴史の一部であり、動かしようのない偉大なモニュメントだった。しかし、同じように巨大な遺跡であるカンボジアのアンコールワットは、死んでいなかった。そこは物売りの生活の場であり、子供の遊び場でもあり、僧侶の祈りの場でもあった。彼等の存在が、数百年前に死に絶えたはずの遺跡に新しい命を送り込んでいる。僕の目にはそう映った。
僕は死んだ遺跡を見るために旅をしているのではない。美しい町並みや風景を見るためでもない。生きている人の顔を見るために旅をしているんだ。半年間アジアを旅する中で、僕はそう確信するようになった。ごく当たり前の町を歩き、ごく当たり前に暮らす人の中に、はっとするような美しさや、ぞっとするような醜さを感じることができる。それこそがアジアの旅の醍醐味だった。
でもギリシャに入った途端に、人の表情が見えにくくなった。子供は少なく、老人が多く、町並みは整然としていて、とても静かだった。この先ギリシャから西ヨーロッパに向かったとしても、おそらく同じような違和感を感じるだろう。そういうぼんやりとした予感が、僕の中で確かなものに変わりつつあった。
エジプトに行ってみようか。
キスノスからアテネに戻るフェリーのデッキに立って水平線を眺めていると、そんな考えが頭に浮かんだ。
「風に逆らってはいけない」
自分の教会を建てている男は僕に言った。そうだ、北から吹き付ける強い風に逆らわず、ギリシャから南へ行ってみよう。地中海を渡って、エジプトを旅しよう。不意に思いついたアイデアは、僕の気持ちを俄然浮き立たせた。
まだ旅を終えたくはないのだと、僕はこのときはっきりとわかった。
奇岩の上に建てられたメテオラの教会