シヴァスはトルコのほぼ中心に位置する町である。平凡な地方都市――それ以外に形容する言葉が見つからない町だ。政治的な中心は首都であるアンカラにあり、観光の中心は奇岩で有名なカッパドキアにある。
「どうしてお前はアンカラにもカッパドキアに行かないで、こんな町に来たんだ?」
シヴァスにいる間に、この手の質問を何度となく投げかけられた。そんなことを聞かれても困る。どうしてこんなところに来ちゃったんだろうね、とこっちも聞き返したくなるくらいなんだから。
町から町へと毎日バスを乗り継いで来たら、知らない間にこの町に辿り着いた。平凡という名の渦に吸い込まれるようにして、やってきたのだった。
でもいくつかの偶然の出会いがあったお陰で、シヴァスは僕にとって印象深い町になった。平凡という名の渦の中心が、必ずしも退屈だとは限らないのだ。
ひとつ目の出会いは学校でのことだった。住宅街をぶらぶらと歩いていると、下校途中の子供達の一団に出くわして、その子達が自分たちの学校に連れて行ってくれたのだ・・・と書いてしまえば簡単だが、実際には学校までの道のりは長かった。前にも書いた通り、トルコの田舎の子供達はとにかく好奇心旺盛で騒がしいのだ。
僕は女の子が連れてきた子猫を抱き上げたり、ジャッキー・チェンの切り抜きを持ってきた男の子に「アチャー」というカラテのサービスをしてあげたり、20人の子供達と一緒に「カラデニス(黒海)の歌」というのを合唱したりした。
そんなこんなで学校に到着し、やっと子供達から解放されると、事情を聞いてやってきた若い英語教師が僕を出迎えてくれた。彼女は「子供達が騒いで仕方がないから」と職員室に案内してくれた。
職員室には10人ほどの教師がいて、全員がひとつの大きなテーブルを囲んで、それぞれの書類に向かっていた。年度末の成績表を付けているところだという。驚いたのは、職員室にいるのが一人を除いて全員女性だったことだ。しかもその多くが僕と同じぐらいか僕よりも年下の若い女の子だった。
「私たちの給料はとても安いんです。だから教師が一家を支える、ということはできないんです」
と英語の先生は言う。いくらもらっているのかと訊ねると、月に250ドルほどだという答えが返ってきた。
「トルコの労働者の中でも、これは低い方なんです。私達の仕事は単に英語を教えるというだけではないわ。言う事を聞かなかったり、怠けたりする子供の面倒を見なくてはいけない。でもそれに見合うだけのお金はもらっていないんです」
ネパールの先生もミャンマーの先生も、彼女と同じようなことを言っていた。教師というのはその労働の割に報われない職業だ、と。そういう国では、教師はひとつの職業というよりも、個人の情熱が支えている一種のボランティア活動のように捉えられているようだった。
トルコには婦人警官の姿も珍しくはないし、数は少ないがレストランのウェイトレスもいる。イスラム国の中では女性の社会進出の進んだ国である。それでもまだ、女性が男性と同等に働いているとは言い難い。安い給料で働かざるを得ない教師が女性ばかりだという現状が、それを物語っている。
「誰かに何かを教えるというのは、とてもやりがいのあることなんです」と彼女は言う。「でも今の給料では、貯金をして海外旅行に行くことなんて、とても考えられません。トルコの通貨はとても弱いから、かなりの収入がないと無理ね。いつかエジプトに行くのが私の夢なんです。ラムセス二世が造ったアブシンベル神殿はきっと素晴らしいでしょうね」
彼女の話を聞きながら、僕は少し肩身の狭い思いをする。一生懸命働いてもトルコを出ることすらできない人がいる一方で、僕のように自由で身勝手な旅を続けられる人がいる。その違いは本人の努力や情熱とは一切関係がない。要するにトルコに比べて日本という国が豊かであり、トルコリラに比べて日本円が強いというだけなのだ。
「ところで、あなたはシヴァスの町で何を見たんですか?」
社会を教えている先生が僕に訊ねた。
「ウル・ジャミイです」
僕は即座に答えた。これはあらかじめ用意していた答えである。それについて何人かの先生が感想を述べ合う。この日本人はウル・ジャミイを見に来たらしいよ。ほー、なるほど、なるほど。
しかし実は僕がウル・ジャミイを見たというのは嘘である。それどころか、他のいかなる名所にも行っていない。そもそも「ただ何となく」来た町だから、目的地なんてあるはずがないのだ。でもそんなことを地元の人たちに言うわけにはいかない。彼らは「外国人は我が町のどういう場所に興味を抱くのだろうか」という関心を持って質問しているのだから。
そんな場合に、僕は「ウル・ジャミイに行った」ということに決めていた。ウル・ジャミイ(大モスク)はケマル・アタチュルクの銅像と同様に、どの町にもだいたいひとつはある、町のシンボル的存在である。だから、どの町に行っても「ここのウル・ジャミイを見に来たんだ」と言っておけば、角が立たない。僕はこのことを経験的に学んだのだった。
しかしこのやり方にも問題はある。
「ウル・ジャミイのどこが素晴らしかったですか?」
などと突っ込んだ質問をされると、しどろもどろになってしまうのだ。そんなときは、
「ミナレット(尖塔)が良かったですね」
などと適当にお茶を濁しておくのだが、つかないでもいい嘘の上塗りをするのは、あまり気持ちのいいことではない。
先生達と別れてから、ウル・ジャミイを見に行った。嘘に心が痛んだ、というわけではないのだけど、シヴァスのウル・ジャミイはトルコでも歴史のあるモスクだということだったので、一度は見ておこうと思ったのだ。
フェティシズムの萌芽
ウル・ジャミイに向かう道すがら、大学生の一団が声を掛けてきた。手に持ったヒマワリの種を食べ散らかしながら、輪になって他愛もない話を続けている、男ばかり8人ほどのグループだった。僕に声を掛けたのも、おそらく退屈しのぎなのだろう。
グループのリーダー格のアリー君は、かなり流暢に英語を話した。しかし、彼の隣に座っているマミ君の英語はひどかった。
「シヴァス ビューティフル?(シヴァスは美しいか?)」
「チャイ ビューティフル?(このチャイは美味いか?)」
「ウーマン ビューティフル?(あの女の子はきれいだと思うか?)」
以上がマミ君の話す英語の全てである。「名詞+ビューティフル?」構文。というわけで、僕は彼のことを「ビューティフル・マミ」と呼ぶことにした。
「実は明日、英語の試験があるんですよ」とアリー君は言った。
「それは難しいの?」
「いや、とても簡単ですよ。普通に勉強していればパスできます。でも、マミには無理だろうな」
「同感だね」
そう言って僕らは笑った。マミは自分がネタにされている事も知らないで、僕らに合わせてニコニコしている。
「マミはほんと馬鹿なんだけど、いい奴なんですよ」
「でも明日試験なんだろう? マミは勉強しなくてもいいのかい?」
僕の質問をアリーがトルコ語に訳してビューティフル・マミに伝える。
「マミは『試験のことはもう諦めた』って言っています」とアリーが言う。「でもマミは面白いですよ。『俺は英語よりも日本語を勉強したいんだ』だって」
それじゃあと、僕は「こんにちは」とか「ありがとう」といった簡単な日本語を彼らに教えてあげた。だけど、アリーが二三度繰り返せば覚えてしまったのに対して、マミは何度やっても上手く発音できなかった。どうも彼には語学センスが欠如しているらしい。
「やっぱり俺はフランス語を勉強するよ」
とマミが言って、仲間達は大笑いになった。
意外なことに、その場に集まっていた8人全員が携帯電話を持っていた。トルコでも、ここ数年で携帯電話が一気に普及したという。彼ら曰く、トルコの大学生は2、3人のルームメートと一緒にアパートを借りて暮らすというのが一般的だから、プライベート電話が必要なのだという。
「大学生活は楽しい?」
と僕が聞くと、アリーは首を横に振った。
「毎日が退屈ですよ。あなたも見てきたでしょう? シヴァスには何もないんです。それに僕らにはお金もないし、車もない。ガールフレンドだっていない。だからこんな風に集まって、通りを歩く女の子を眺めて楽しんでいるんです。それとお酒。イスラムの教えでは、本当はお酒はダメなんですけどね。僕らは毎日飲んでるんですよ」
退屈な町での退屈な大学生活。振り返ってみれば、僕の大学時代だってけっこう退屈だった。だから英語の試験なんてそっちのけで酒を飲みたくなる彼らの気持ちは、僕にもよくわかる。試験勉強なんて辛気くさいことやってられるかよ、とその時は思うんだけど、あとになって後悔する。彼らを見ていると、そんなことを思い出した。
イランの大学生と話をしたときに感じた違和感を、彼らに対してはほとんど感じなかったのは、彼らの価値観が僕らとそう変わらないところにあることがわかったからだと思う。彼らも同じ退屈を感じているのだ。
でも、こと恋愛に関しては、日本とトルコではかなりの違いがある。他のイスラム諸国に比べると、トルコは恋愛に対して寛容な国ではあるけれど、それでも結婚前に肉体関係を持つようなことはまず考えられないという。トルコ人男性に「アイ・ラブ・ユー」の代わりに、いきなり「結婚してくれ」と迫られた経験を持つ日本人女性が多いのも頷ける。「清い交際」「貞操観念」という日本では死語に近いような言葉が、ここではまだリアリティーを保っているのだ。
「マミはね、女の子が被っているスカーフが好きなんですよ」とアリーは面白そうに言う。「彼は女の子を見るときに、まずスカーフを見るんだって。ほんと、変な奴でしょ?」
実際にマミは通りを行き交う女の子を、熱のこもった眼差しで追いかけていた。そして、気に入ったスカーフの子を見つけると、「ビューティフル!」と声を上げ、気に入らないと気難しそうに首を振った。好みのスカーフというのが、ちゃんと存在するらしい。本人はいたって真剣なのだが、見ている方はおかしくて仕方なかった。
ムスリム女性が被るスカーフやチャドルは、本来セックスアピールをしないための道具であるはずなのだが、逆にそのスカーフに性的魅力を感じてしまう男もいるらしい。これはフェティシズムの萌芽と呼ぶべきなのだろうか。ある種の男性がセーラー服に目を奪われるように、ある種の男性がハイヒールにセックスアピールを感じるように、マミはスカーフに「ぐっと」くるのである。世の中には実にいろいろな男がいるものだなと思う。
僕らはそうやって道を行き交う女の子を眺めながら(でも決して声を掛けたりしない)、ヒマワリの種を囓ったり、マミをからかったりして過ごした。別れ際に、僕は「英語の試験の結果を教えてくれ」とメールアドレスを書いてアリーに渡した。
数日後、アリーからメールが届いた。
<ハロー、マサシ。びっくりするニュースを伝えます。マミが英語の試験にパスしました! Unbelievable!! どういうトリックを使ったのか、彼に聞いても答えてくれませんが。とにかく、『ビューティフル』しか話せないマミが、試験にパスしたのです>
僕はそのメールをイスタンブールのネットカフェで読んだ。そしてすぐにアリーに返事を書いた。題名はもちろん「Unbelievable!!」だった。