なぜ日本人はアフガニスタンに行きたがる?
2004年5月の時点で、パキスタンのペシャワールからカイバル峠を越えてアフガニスタンへ陸路で入国するというルートは比較的安全だと言われていた。実際、ペシャワールにある「ツーリストイン・モーテル」という安宿には、アフガニスタンへの陸路入国を試みる旅行者が集まっていた。宿のオーナーによれば、「アフガニスタンに行きたい」という奇特なバックパッカーは決して多くはないのだが、なぜかそのうちの半分近くを日本人が占めているという。
「なぜ日本人はアフガニスタンに行きたがるんだい?」
とオーナーにも聞かれたのだが、僕にも答えようがなかった。なぜだろう。日本人には「世界の端っこ」好きが多いんだろうか。
その宿で知り合って、一緒に国境を越えることになった日本人夫婦の目的は、パスポートに押されるスタンプの数を増やすことだった。2年半かけて世界100カ国以上を旅してきた二人にとって、入国スタンプの数は自分たちの冒険を証明してくれるささやかな勲章でもあったのだ。
国境のカイバル峠に向かうタクシーには、運転手と僕と世界一周夫婦のほかにライフルを下げた警官が一人乗り込んでいた。外国人がカイバル峠に行くときには、必ず護衛の警官を付けなければならないという規則があるからだ。
カイバル峠は「トライバルエリア」と呼ばれる国家権力の及ばない部族地域の中にある。パキスタンの法律が適用されるのは国道の上だけで、国道から一歩でも離れると、地域を支配している部族の掟に従わなければいけないという特殊なエリアだ。
トライバルエリアに住む部族はパキスタン中央政府と対立関係にあり、アルカイダの残党を支援しているとも言われている。要するにかなり危険な地域で、だからこそ護衛の警官を連れているわけだが、タクシーの車窓から見えるのは、緑の少ない山肌と石造りの集落がぽつぽつとあるだけの、これといった特徴のない田舎の風景だった。
1時間半ほど山道を登ると国境に到着した。国境は思ったよりも賑やかだった。多くの商店が並び、ずだ袋を担いだ少年少女が埃っぽい道を行き交っている。外国人は珍しいらしく、たちまち人々の好奇の視線にされされる。
しかしイミグレーションは閑散としていた。掘っ立て小屋みたいな事務所で、簡単な入国手続きをする。ノートに名前とパスポート番号を記入するだけで、出入国カードすらなかった。手続きを終えると、両替屋で手持ちのパキスタンルピーをアフガニスタンの通貨アフガニに替えた。(50AF=58PRs=1US$)
アフガニスタンの物価はインドやパキスタンに比べると割高なのだが、これは自国の産業力が弱く、ほとんどの工業製品を中国やパキスタンからの輸入に頼っているからだ。事情はネパールやラオスに似ている。人口が少なく、国土の大半が山岳地帯で、海に面していない。工業化や国際貿易に不利な条件が揃っているのだ。だから発展が遅れている。
国境から乗り合いタクシーでジャララバードという町まで行く。一人80AF(160円)。トヨタ・カローラの中古車だ。僕らが乗り込んだ途端、運転手はものすごい勢いでアクセルを踏み込む。アジアでは「田舎に行けば行くほどスピード狂が増える」という妙な経験則があるのだが、それはアフガニスタンでも当てはまるようだ。片道一車線だというのに、スピードメーターは130キロを超えている。道端には正面衝突した二台の車の残骸が転がっている。どちらも前の座席がペチャンコである。もちろん運転手は即死だろう。こんな目に遭わないことを祈るしかない。
道路を走っているのはほとんどがトヨタ車だった。しかもハイエースかカローラのどちらかである。この2車種が占める割合は9割以上。圧倒的なシェアだ。アフガニスタンは右側通行なので、右ハンドルの日本車は運転しづらいはずなのだが、それよりもトヨタの信頼性が勝っているということか。
ジャララバードに着いたのは午後2時。宿を取ったのはKAHLID・MODERN・ゲストハウス。吹き抜けの中庭を囲むように部屋が配置された大きな宿だが、部屋はとても狭いし、熱がこもる構造になっていて室内は息苦しいほどの暑さだった。アフガニスタンの宿事情は総じて劣悪だが、それを象徴するような宿だった。
ジャララバードの町はとても親しかった。旅行者なんて滅多に来ないのだろう。道行く人が「How are you?」と声を掛けてくるので、「Fine, thank you!」と答えると、満面の笑みを返してくれる。子供たちは「写真を撮ってよ!」と催促する。雰囲気はパキスタンの下町と変わらなかった。
パキスタンとの違いといえば、警官や兵隊などの制服を着た連中がやたら多いことだが、彼らも意外なほどフレンドリーだった。道路の検問をしている若い兵士が「一緒に飲んでいけよ」とチャイをごちそうしてくれたほどだ。
ペプシ中毒のアズール君
メインストリートを歩いていると、白いイスラム帽を被った若者が話しかけてきた。24歳のアズール君。パキスタンからの帰還難民の支援をする国際NGOで働いていて、とても流暢に英語を話した。将来は僻地の無医村を助けるために医者なるのが夢だという。
アズール君の下宿に来ないかと誘われたので、お邪魔することにした。12畳ほどの正方形の部屋に、7人のルームメイトと一緒に寝泊まりしているという。ルームメイトの中に役人の息子がいるから、家賃はタダなのだそうだ。
僕らはソファに座り、硬いクッションを肘枕にして、肘と肘を付き合わせるような格好で話をした。
「僕はペプシ中毒なんですよ」
アズール君は笑いながら言う。彼が近くの雑貨屋で買ってきてくれたペットボトルには、でかでかと『Coca-Cola』と書かれているのに、なぜか彼はこれを『ペプシ』と呼ぶ。どうやらこの国ではペプシの方が知名度が高いらしい。
「1日に5本ぐらいペプシを飲みます。食事のたびに飲むんですよ」
「そりゃ立派な中毒だね。飲み過ぎは体に悪いよ」
「それは僕にもわかっているんですけどね。どうしてもやめられないんです。飲み始めたのは最近ですよ。タリバン政権時代はアメリカ製品の輸入が禁止されていたから、ペプシも買えなかったんです。飲み物といえばお茶だけ。それが今ではお酒だって手に入るようになった。もちろんこっそりと、ですけどね」
アズール君自身は敬虔なムスリムなので、まだお酒を口にしたことはない。イスラム帽をいつも被り、一日五回の礼拝は欠かすことがない。コーランもすべて暗唱できるという。
「コーランを暗唱できる人は珍しくありませんよ。友達にも何人もいます。でも彼らの多くはコーランに何が書かれているか知りません。ただの呪文のようにコーランの言葉を覚えているだけ。戒律を守り、タブーは犯さない。でもイスラムとは何なのかは知らないんです」
コーランをすべて暗唱できることに特別な意味なんてない。大切なのはイスラムの本質を理解することだ。アズール君はそう主張する。まっとうな意見だと思うが、アフガニスタンでは少数派のようだ。この国では聖職者の言葉を疑いを差し挟むことなく信じ、「ジハードのために死ね」と言われれば喜んでその身を捧げることが良きムスリムだと勘違いしている人があまりにも多いと彼は嘆く。
「ところで『お酒を飲むとセックスが強くなる』と言う人がいるんですが、それは本当ですか?」
「さぁどうかな。それはあんまり関係ないと思うけどね」
アズール君は健康な若者らしくセックスに強い関心があるのだが、なにしろ経験が不足してるし(堂々たる童貞である)、日本のように性情報であふれているわけではないから、わからないことが多いようだった。
「僕はマスターベーションをします。これっていけないことでしょうか? 日本人もするんですか?」
「もちろん日本人もするよ。アメリカ人もイギリス人も中国人もね。人類共通の行為だ。恥じなくてもいい」
「タリバン政権時代には考えられなかったことですが、今ではビデオCDで外国のポルノビデオを見ることができるんです。ロシアやアメリカのものもあるし、日本のポルノだって手に入るんです」
アズール君によれば、アフガニスタンにはホモセクシャルが珍しくないという。まだ髭も生えていないような少年に対して年上の男が好意を寄せるというかたちで関係が始まるようだ。戦国武将の男色のような話である。
パキスタンのペシャワールに向かう長距離バスの中でも、男同士のカップルがキスしているのを見かけた。男女間の恋愛が厳しく制限されている国では、男同士の友情が深まる傾向にあり、それが同性愛に発展するケースも多いようだ。
アフガニスタンでは恋愛結婚の割合はきわめて低く、親が決めた相手と結婚するのが普通だ。またインドとは反対に、夫が妻の実家に婚礼金を渡す習慣があるという。相場は現金4000ドルと貴金属、家具、電気製品など。言い方は悪いが、これらの金品と引き替えに花嫁を「買う」のである。
頭からつま先までをすっぽり覆うブルカに象徴されるように、アフガン女性には日本人が当たり前に享受している自由がない。外に出て働くことも許されず、教育を受ける機会もなかった。もし夫と死別したり離縁されたりした女性は、親戚を頼って暮らすか、物乞いをして生活費を稼ぐしかない。
タリバン政権の崩壊と共に、女性の置かれた立場もいくらか改善の兆しを見せてはいる。ブルカを被るかどうかも個人の判断にゆだねられることになった。でもこの国には「強い男が弱い女を守る」という権威的でマッチョな考え方がまだ根強く残っている。男は銃を手にして家族を守る。女は家の中にいて、外の男には決して顔を見せてはならない。
「一昨日のことですが、この町に住む夫婦が喧嘩をはじめたんです。夫が家族に内緒で借金をしていたことがばれて、それを妻が責めたんです。ところが夫はそれに逆上して、妻を銃で撃ち殺してしまった。二人のあいだに入ろうとした友人も一緒に殺されてしまったんです。まぁこの国ではよくあることなんですが」
「それで夫はどうなったの? 警察に捕まったのかい?」
「この国のどこに警察がいるんですか?」と彼は大きく首を振った。「警察に通報した時には、男はどこかに逃げた後でした。たぶん山の中に隠れたんでしょう。警察はそこまで追いかけたりしません。探したけど見つからなかった、で終わりです。犯人の男はこれから山羊と一緒に山で暮らすでしょう。罪を償うこともなく。オサマ・ビン・ラディンみたいにね」