退屈なオフシーズン・リゾートの町ニャチャンからバスに8時間揺られ、ホーチミン市に着いたのは午後3時だった。ニャチャンを発ってからしばらくは、南国らしい開放的な青空が広がっていたのだが、ホーチミン市に近づくに連れて、不穏な黒雲が空を覆い始め、僕らがバスを降りたときには、スコールのようなどしゃ降りになっていた。
僕はバスの中で一緒になった日本人の女の子と、近くのカフェで雨宿りすることにした。彼女も僕と同じようにハノイからバスで南下してきた旅行者だった。
僕らが入ったカフェは、ガラス張りの洒落た建物だった。華奢なガラステーブルの上には薔薇の一輪挿しの入った花瓶が置かれ、壁には額入りの抽象画が掛けられていた。
そのベトナムらしからぬ内装に目を奪われていた僕らをさらに驚かせたのが、ウェイトレスの行動だった。ウェイトレスはメニューと一緒に、水の入ったグラスを置いていったのだ。
「水の入ったグラス?」
僕と彼女は顔を見合わせた。そんなものは、ベトナムに来て以来見たことがなかったからだ。
「この水、タダなのかな?」
と女の子が遠慮がちに言った。
「そう思うけど・・・」
僕はすました顔で立っているウェイトレスの方を盗み見ながら言った。もちろん水はタダだった。僕らが水を飲み干すと、ウェイトレスがやってきて、おかわりまで注いでくれた。
「すごい!」
僕らは声を揃えた。飲み水が無料で出てくる、という概念はこの国には一切存在しないものだとばかり思っていたからだ。
僕らはバスの休憩時間に入った安食堂を思い出した。僕の注文したフォーのスープには羽虫みたいなのが浮いていたし、彼女の注文した焼き飯のアルミ皿は何十年も使い込まれたみたいにボロボロだった。もちろん水なんて出てこない。僕はぬるくなった手持ちのミネラルウォーターを、ちびちびと飲んで渇きを癒していた。
それがベトナムのごく当たり前のレストランの姿だった。あまり衛生的とは言えず、内装にお金を掛ける余裕もない。だからこそ僕らは、曇りひとつないガラスのコップに、上品な水差しから水が注がれたというただそれだけで、すっかり感動してしまったのだ。
カフェにいるお客のほとんどがベトナム人だというのも驚きだった。他の町では、こういう洒落たカフェに行くのは外国人だと相場が決まっていたからだ。料金はもちろん高めである。ここのコーヒー一杯は、安食堂での二人分の昼食費ぐらいにはなる。このカフェを見る限り、ホーチミン市には洒落たカフェでお茶を飲んだり、デパートでショッピングを楽しんだりする中産階級が増えているようだった。
首都ホーチミン市は、建築ラッシュのただ中にあった。街のあちこちで古い建物が壊されていて、そこに新しいショッピングセンターや外国資本の高級ホテルが建設されていた。
道路は例によってバイクと車で埋め尽くされていたが、ハノイのような致命的な混乱には至っていなかった。道幅は広く、人々は信号を守ろうとしていた。クラクションノイズもそれほど気にならなかった。
ホーチミン市はアジア的混沌が支配する街から、都会的秩序が支配する街へと、急速に変化する途中にあるのだろう。いい意味でも悪い意味でも、この街はそれまで見てきたベトナムとは全く違う顔をしていた。モノが豊富にあり、人々はせかせかと急いでいた。
ベトナムの中心地でありながら、ベトナムとはかけ離れた街。ホーチミン市は、僕の目にそんな風に映った。
だからだろうか。ホーチミン市を自転車で走っても、ハノイの道を走ったときのような高揚感を得ることは出来なかった。
そんなわけで、ホーチミン市に長居することなく、さっさと次の目的地であるカンボジアに行くことにした。カンボジア領事館にビザを取りに行き、国境行きのバスを予約するために旅行代理店に行った。ところが、その旅行代理店で順番待ちをしているときに、ふと目に止まった一枚のポスターが、僕の予定を変更させることになった。
《メコンデルタ・ツアー 2泊3日コース 一人25ドル 毎日出発》
ポスターにはそう書かれていた。ホーチミン市から南に下って、メコン川のデルタ地帯にある小さな町を巡るツアーらしい。2泊3日で25ドルという安さにも驚いたが、それ以上にそこに印刷されている写真に目を奪われた。小さな手漕ぎボートが何十隻も行き交う、夕暮れ時のメコン川。水の上には、屋根の付いた家のようなものがいくつも浮かんでいる。川に暮らす人々の様子がこっちにも伝わってくる写真だった。
こんな光景を見てみたいな。そう思った僕は、すぐにそのツアーに参加することに決めた。
マシュマロ女が飲むコーラ
翌日の朝、バス乗り場の前に集合したのは14人。イタリア人、オーストラリア人、アメリカ人、ドイツ人、デンマーク人、イギリス人、ベトナム人、そして日本人の僕だった。ベトナム人の若いガイドが「今日はインターナショナルなグループですね」と言ったが、本当にその通りだった。
参加者のほとんどが夫婦か女性二人組みだったので、独り者の僕は少し居心地が悪かった。それに僕のカタコト英語では、ネイティブスピーカー達の会話スピードにとてもついていけないので、余計に孤独感を感じることになった。
それでも隣り合わせたイタリア人のマルコとは、同じ独り者同士で気楽に話をすることが出来た。彼は目を赤く腫らして、とても眠そうにしていた。
「実は昨日からほとんど寝ていないんだ」とマルコは言った。「昨日の夜、ホーチミン・シティーでトラブルに巻き込まれたんだ。悪い連中にお金を巻き上げられたんだ。その時、僕はお酒を飲んで、シクロを捕まえてホテルに帰る途中だったんだ。シクロマンにホテルの名前を言ってから、僕は少し眠っていた。シクロが止まったんで、目を開けてみると、そこは全然知らない場所だった。『ここは、どこなんだ?』そう訊ねてもシクロマンは黙っている。すると3,4人の若い女がやってきて、いきなり僕に抱きついてきたんだ。何がなんだかよくわからなかったけど、僕はすぐに彼女たちを追い払った。でもその後に三人組の悪そうな男達に取り囲まれたんだ。『俺達の女に手を出しただろう』そんなことを言って、奴らはポケットからナイフを出して脅してきた。3対1なんだ。抵抗しても無駄だって諦めたよ。結局、ポケットの中の300ドルを全部取られたってわけさ。みんなグルだったんだよ」
マルコは大きくため息をついた。あまりにもショックだったので、一睡も出来なかったという。
「ひどい話だね」
と僕は言った。他に慰めようがない。
「まるで映画のワンシーンみたいだったよ」と彼は言った。「まさか自分の身にこんなことが起きるなんて、考えたこともなかった。僕はこれから2ヶ月かけて、ベトナムからタイ、カンボジア、ラオスを回るつもりなんだ。それが最初からこれだからね・・・」
僕にはマルコの気持ちが、とてもよく理解できた。僕が香港で詐欺師達から逃げ出したのは、ほんの二週間前のことだったからだ。人は予期しないアクシデントに遭うと、目の前の現実感が急に失われるものなのだ。
それでも、さすがはイタリア人と言うべきなのだろう。午前中は憔悴した様子でバスの中でおとなしく眠っていたマルコだったが、午後にはもう立ち直っていて、他のメンバーをジョークで笑わせていた。一日中暗い顔をしていることは、彼のラテンの血が許さないのかもしれない。
ホーチミン市はハノイなどの都会を除けば、ベトナムは外国人をほとんど見かけない国だったので、当然のことながら、欧米人中心の僕らのツアーは、行く先々で好奇の視線を浴びることになった。
その中でも際立って見られていたのは、一人のオーストラリア人女性だった。彼女は太っていた。それも生半可なものではなく、映画『ゴーストバスターズ』に出てきたマシュマロマンみたいな、むくむくした太り方だった(僕は密かに彼女のことを「マシュマロ女」と呼んでいた)。
ベトナムで、肥満体の人を見かけたことはなかった。もちろん、おなかの出た中年のおじさんやおばさんが全くいないというわけではないけれど、そういった人々も都市部を離れるとまず目にしなくなった。ベトナムの人口の大半を占める農民は、肉体労働をして毎日の食事も米と野菜が中心だから、太りようがないのだ。
つまり、ベトナムでは「太っている」ということ自体がかなり特殊な状態であり、しかも見慣れない欧米人であることも重なって、マシュマロ女はあからさまな視線の集中砲火を受けることになったのだ。
マシュマロ女がそばを通ると、大袈裟に振り返って、指を差す者までいた。視線が漫画みたいに点線で辿れそうだった。
「何を食べたらあんなに太れるのかしら?」「信じられないねぇ。おいおい、あの足を見てみろよ」
言葉はわからなくても、彼らが言っている内容は、その口調と身振りから十分に伝わってきた。おそらく悪気はないのだと思う。彼らは単純に驚いているのだ。100kgを楽に超える巨体がのっしのっしと歩いていることに。
でも、マシュマロ女の方も慣れたもので、そんな視線は気にも止めていない様子だった。少なくとも表面上はそう見えた。額には玉の汗が吹き出ていたけれど、クールな表情を決して崩さなかった。だけど彼女だって、おそらく内心は傷ついていたのだと思う。
――太っているのは彼女自身だけど、その責任が全て彼女にあるとは言えないんです。高カロリー食品の誘惑に囲まれた環境に育った人間には、痩せることもまた至難なのです。これは個人の問題だけじゃなくて、そういう飽食社会の問題でもあるのです――
こんなことをベトナム人に説明したとしても、きっと誰にも理解してもらえないだろうけど。
そんなことを考えていると、背後でプシュッという音がした。振り返ってみると、マシュマロ女がコカコーラのプルリングをむしり取っているところだった。彼女は250ml入りのコーラを全盛期の渡辺正行みたいな勢いで飲み干すと、続けざまに二本目のプルリングに指をかけた。コーラを飲み干す時の彼女は、まさに至福の瞬間という表情をしていた。
こういう姿を目の当たりにすると、「太る」という行為は本質的には飽食社会の問題でなく、個人の資質なのかなぁという気もするのだった。
それにしてもコーラである。アメリカは武力でベトナムを制圧することはできなかったけれど、その代わりにコカコーラとペプシはベトナム全土を席巻してしまった。ミネラルウォーターがない店はあっても、コーラが置いていない商店はどこにもなかった。僕にはこの砂糖水と二酸化炭素の混ぜ物が、全アジア、いや全世界で好まれているのかどうしても理解できない。でもたとえ僕が理解できなくても、ヘルシーではなくても、虫歯を増殖させても、アジアのどんな貧しい国にもコーラが存在し、飲まれているという事実は変わらない。
グローバル・スタンダード。たいしたものだ。
娯楽の少ないチャウドックの夜
日が落ちてから、ツアーバスはチャウドックの町に着いた。
25ドルの激安ツアーだけあって、ホテルは相当にチープなものだった。部屋に入ると、まず裸電球の周りを飛んでいる3匹の蛾を退治しなければいけなかったし、ベッドの横の壁に張られた畳一枚ぐらいの大きな鏡は、場末のラブホテルを思い出させた。実際に、「連れ込み宿」的な使われ方もされているのかもしれない。
そんな部屋に一人でいても落ち着かないので、夕食を済ませた後もホテルには帰らずに、夜の町をぶらついてみた。ぶらつくと言っても、チャウドックは10分も歩けばひと回りできるぐらいに小さな町である。町と言うより、付近の農村の人達が集まってきて、必要なものを売り買いするための商店街、と言った方が近いかもしれない。
閑散とした町の中で、唯一賑わいを見せていたのがカフェだった。カフェには男ばかり50人ぐらい集まっていて、何も飲まず、話しもせずに、頭上に据えられた14インチのテレビをじっと見つめていた。
彼らが見ていたのはベトナム製メロドラマだった。主人公は都会のOLで、恋人との交際を厳格な父親に反対されて家を飛び出すのだが、望まない妊娠をしてしまい、迷いつつも堕胎手術に踏み切る――そんな内容だった。言葉はわからないけれど、おっちゃん達に混じって一話通して見ると、だいたいの筋は掴めた。
この日本の昼メロそのままみたいなストーリーは、平和なベトナムの農村にはおよそ似つかわしくない内容に思えたけれど、みんな食い入るように見ていたから、かなりの人気番組なのだろう。大映テレビ風のオーバーアクト気味な演技も、ベトナム人の好みに合っているようだった。
ドラマのエンドロールが流れると、カフェの男達も「さぁ帰ろうか」という感じで立ち上がった。まだ8時だというのに、ほとんどの家の明かりは消えてしまっていて、町は夜中のような静けさに包まれていた。こうなると外にいてもやることがないので、僕も鏡張りのホテルに帰ることにした。
こうして、娯楽の少ないチャウドックの夜は、早々に更けていくのだった。