映画館がひとつもない国
そこにいる理由がなくなってしまえば、さっさと次の町に行く。なるべく足を止めないで移動し続ける。これが僕の旅における基本原則となっていたわけだけど、次の目的地ミャンマーのビザを取るために、ビエンチャンに最低三日間は留まらなくてはいけなかった。
のんびりとした佇まいのビエンチャンは、悪路を移動し続けて疲れていた体を休めるにはもってこいだった。安くて上手い食堂も何軒かあったし、インターネットカフェもあった。だけど、三日間を過ごすには少し退屈過ぎる町でもあった。
最初の一日で市内をぐるりと一周してから、さて次にどこへ行こうかと考えていると、ナンバ村の宿のオーナーが、「ビエンチャンになら映画館があるよ」と言っていたのを、ふと思い出した。映画館でラオス映画を見る。悪くないアイデアだった。
今まで訪れた北部の町で映画館らしき建物を見たことは一度もなかったけれど、首都にならひとつぐらいはあるだろう。ひょっとするとタイ映画ぐらいしかかかっていないかもしれないが、それでも入ってみる価値はありそうだ。そう思った僕は、さっそく宿のフロント係に映画館の場所を訊ねてみた。
「確か、市場の近くに一軒あったはずですが」とフロント係は自信なさそうに言った。「実は私も行ったことがないんです」
どうやら映画はラオスの人々の関心を引かない存在らしい。それでも僕は、彼のあやふやな情報を頼りに、自転車に乗って映画館探しに出かけた。建物がわからなくても、看板くらい出ているだろうと思ったのだ。
でも、市場の周りを何度見回っても、それらしき建物も映画の看板らしきものも発見できなかった。
「この辺にムービー・シアターはありませんか?」「シネマを知りませんか?」
とタクシーの運転手や八百屋のオヤジに聞いて回っても、みんな首を振るばかりだった。
30分ほど探し回っても何も収穫がなく、そのまま諦めて帰ろうかという頃になって、ようやく英語のわかる人が「映画館を探しているのか?」と声を掛けてきた。
「映画館は3年前までは確かにここにあったんだ。でも今は閉っているよ」と彼は言った。
「他に映画館はないんですか?」
「ないね。ここが唯一の映画館だったんだ」
「ということは、ビエンチャンには映画館は無いんですね?」
「そう。ビエンチャンにも、そしてラオスにも映画館はひとつもない。でも来年には、ひとつできるって話だけどね。それも本当か嘘か、わからないな」
なんと、ラオスは映画館がひとつもない国だった。これは世界的に見ても、かなり珍しい存在ではないかと思う。ラオスは人口が500万人と少ないから、自前の映画を作って公開するほどの市場が育たなかった上に、最近のビデオCDの普及が、映画館の衰退を決定的なものにしたようだ。
ラオス唯一のボーリング場
「・・・というわけだよ」
僕は宿の近くの食堂で麺をすすりながら、「ビエンチャンで映画を見よう計画」があっさりと潰えてしまった経緯を、マキノ君に話した。
「なんか、ラオスらしいね」
とマキノ君は言った。僕と彼は、カンボジアの国道一号線(通称・ダンシングロード)を走るバスで一緒になり、ビエンチャンの食堂で再会したのだった。同じような国を旅する者同士の再会は、「偶然」というよりも「必然」である場合が多い。特にラオスのように旅行者の少ない国であれば、集まる場所も限られてくる。だから、僕らも特に驚きはしなかった。
「でね、ラオスには映画館はないんだけど、ボウリング場はあるんだ」と僕は言った。「ずばり『ラオス・ボウリングセンター』っていうんだけど。どう、行ってみない?」
「でも、そこでも『3年前までは開いてたんですが・・』なんて言われるんじゃないか?」
「それは大丈夫だと思う。ボウリングピンの看板だって新しそうだったからね」
マキノ君にしても、このビエンチャンでいかに暇を潰すかという問題に頭を抱えていたところだったわけで、なんだかんだ言いながらも、結局二人で行ってみようという話になった。ジャンケンで負けた僕が自転車を漕ぎ、彼が後ろにまたがって、二人乗りでボウリング場へ向かった。
「でも開いてたとしても、客は俺達だけなんじゃないの?」
彼は僕の背中に向かって言った。なかなか鋭い指摘である。何しろここは、ラオスなのだ。
案の定、ボウリング場の中は、ひっそりと静まり返っていた。客は3人組の男だけで、その彼らも今まさにシューズを脱いで帰ろうとしているところだった。
「やっぱりな・・」とマキノ君がぼそっと呟いた。
投げる人間のいないボウリングレーンは、ピンに当てるライトが全て落とされていて、しんと静まり返っていた。下校時間が終わった後の、長い渡り廊下を見ているようだった。スピーカーから「蛍の光」が流れてきそうだったが、営業時間はまだ終わってはいなかった。
「まあ、ここまで来て帰るのもなんだし、1ゲームやっていこうか?」と僕が提案すると、彼も「せっかくだからね」と頷いた。
僕らが1ゲームやると言うと、受付係の女の子もほっとしたように微笑んだ。1ゲームは貸し靴料込みで2.7ドル。これは外国人料金で、ラオス人は2.5ドルだという。どちらにしても、こちらの物価水準を考えれば、かなり高値であることは間違いない。瓶ビールが4本買えるぐらいの値段である。少なくとも、若者が気軽に行ける娯楽ではなさそうだった。
ラオス人は歌が大好きで、バスの中でもレストランでも博物館のチケット売り場でも、とにかくどこでもラオスポップスやラオス演歌が大音量で流されているのだが、どういうわけかこのボウリング場にはBGMというものが一切流れていなかった。客のいない寂しさを強調するための演出なのか、と思えるほどの静けさだった。
僕らがゲームを始めると、場内にはボールがピンを弾き倒す音だけが異様に大きく反響した。プロトーナメントの決勝戦でもやっているような、殺伐とした雰囲気だった。そんな僕らを気の毒に思ったのか、単に暇だったのかは知らないが、途中から受付係の女の子が僕らの後ろの椅子に座って、ストライクやスペアを取るとパチパチと拍手をしてくれた。彼女のお陰で、雰囲気は少し和やかなものになった。
「このラオス・ボウリングセンターは、3年前にオープンしたばかりなんです」
と英語の少し話せる女の子が説明してくれた。確かに、全部で12個あるレーンは傷もなくぴかぴかだったし、ボール置き場に並んだボールも使い込まれているようには見えなかった。
「いつもこんなに客が少ないの?」と僕は聞いてみた。
「いつもじゃありません。時々です」と彼女は言った。「お客さんが一番集まるのは、昼の時間帯です。夕方からはあまり来なくて、夜の8時以降にまた多くなります」
でも、午後7時に閑古鳥の鳴いているボウリング場が、昼の12時にたくさんの客で賑わっている、なんてことが本当にあるのか、僕には疑問だった。
「ラオスの人は、ボウリングを『昼間に楽しむ遊び』だと考えてるんじゃないかな?」
マキノ君がコーラを飲みながら言った。コーラ代は接戦に敗れた僕が払ったのだけど、お互いに自慢できるようなスコアではなかった。彼の言う通り、ラオス人はボウリングを暑い日中にエアコンの利いた部屋で涼みながらするものだと考えているのなら、女の子の話も納得できる。
「ビエンチャンには、もうひとつボウリング場があるんです」と彼女は言った。「ここから3kmほど北に行ったところです」
しかし、市街に近いところでこの有り様だというのに、もっと郊外にあるボウリング場に本当に客が呼べるのだろうか。他人事ながらも、少し心配になった。
映画館にしてもボウリング場にしても、ビエンチャンの娯楽産業の経営は、今のところ芳しくない様子だった。消費生活を楽しむ余裕のあるラオス人は、まだまだ少ないのだろう。
もしかしたら十年後には、オレンジの袈裟姿でボウリングを楽しむ坊さんの姿が見られるようになるかもしれないけど。