ヒンドゥー教最大の聖地バラナシの朝は早い。ガンガーのほとりに並ぶガート(沐浴場)には、まだ日の出前だというのに既に大勢の人が集まり、沐浴の準備をしていた。
バラナシには数十のガートが存在するが、それぞれ利用者層が異なっている。僧侶ばかりが集まるガートもあれば、家族向けのガートや、おっさんばかりのガートもある。
ガート群の中でも南に位置するアッシーガートには、老いた女性の姿が目立った。僕の目の前に立つ鮮やかな緑色のサリーを身につけた女は、ガンガーの水でからだを洗い清めてから、対岸に向かって手を合わせた。それから銀の器にガンガーの水を汲み、少しずつ垂らしていく。器が空になると、また川の水を掬い取って少しずつ垂らす。それを何度も何度も繰り返す。一連の動作にどういう意味があるのか僕にはわからないが、彼女がそこに込めている祈りは伝わってきた。
やがて朝日が対岸から顔を出し、一日のはじまりの光が女の褐色の肌を赤く染めていく。ガンガーが最も神秘的な色合いを見せる瞬間だ。女は目を閉じて、身動ぎもせず光を受ける。背後から誰かが唱え始めたヒンドゥーのお経が低く聞こえてくる。朝日を反射した水面が黄金色に輝いている。女は岸から川の中へと進み、ざぶんと頭の先までガンガーの水に浸る。茶色く濁った川の流れが、その瞬間だけは本物の聖水のように清らかに見える。
火葬には250kgの薪が必要だ
日が高く昇りはじめると、川沿いの道を北へ向かって歩いた。
ホーリー明けのバラナシの街には、まだ祭りの後の余韻が残っていた。ホーリーの期間は、インド全土からサドゥー(修行僧)達が集まってくるらしく、祭りが明けて二三日経ってからも、大勢のサドゥーが沐浴する姿を見ることができた。サドゥーは全裸の体に白い粉を塗っただけという奇抜な格好で、スクワットや柔軟体操をしてからガンガーに入っていった。荒縄でくくっただけの伸び放題の髪の毛。げっそり痩けた頬、ギョロギョロと光る目。こうしたサドゥーの姿には、まさに「世捨て人」あるいは「放浪者」と呼ぶのに相応しい雰囲気があった。
だが、サドゥーの中にもラジオでインドポップスを聞きながらチャイを飲み、外国人に向かって「ハロー!」などと気軽に声を掛ける連中もいた。べろべろの酔っ払って、火葬場のすぐ脇にごろんと横になって、大いびきをかき始めたサドゥーも見かけた。聖者なのか俗者なのか、よくわからない人々である。いろんなものがごった煮みたいに集まっているのがインドだとすれば、サドゥーはその代表なのかもしれない。
ガンガー沿いには二つの火葬場がある。北にある「マニカルニカー・ガート」は大規模で観光客の姿も多いので、火葬の様子をゆっくりと眺めることはできないが、南の「ハリシュチャンドラ・ガート」の方は、長い時間見ていても文句を言われることは少なかった。
遺体は竹で組んだ担架に乗せられ、親族に担がれて焼き場にまでやってくる。火葬に立ち会えるのは男性に限られているらしく、行列の中に女性の姿はない。先頭に立つ男は、道端に小銭をばら撒きながら歩いてくる。子供達が我先にとルピーに飛びつく。それは葬列というより、何かの祭りのように見える。
黄色の布に覆われた遺体は、まずガンガーの中に浸されて、念入りに洗い清められる。その間に、焼き場の準備が整えられる。木材置き場から薪を運んできて校に組み、その上に遺体を載せる。そして親族の代表が薪に点火する。
「一人の大人を燃やすには、250kgの薪が必要なんだ」
ある男が頼みもしないのに解説してくれる。だから薪を買うために寄付金を出してくれ、と言うのだ。バラナシにはこの手のチンピラ風の男が、いつもうろうろしている。250kgが本当かはわからないが、とにかく大量の薪が使われることは確かだ。焼き場に隣接した木材置き場には、丸太を満載した船がひっきりなしに横付けされていて、新しい薪を運び込んでいるからだ。
死体が炎に包まれている間、焼き場の男達は長い竹の棒を使って、死体を叩いたり突っついたりする。火の回りをよくするために、肉をほぐしているのだ。棒で叩かれた死体は、新聞紙を丸めたときのようなクシャッという音を立てる。目の前の生々しい光景とはかけ離れた乾いた音だ。
クシャッ、クシャッ、と棒で叩かれるたびに、黒く焦げた肉が剥がれ、内臓と骨が露わになる。肉の中から不意に現れた骨は、異様なほど白く見える。それが肉体に隠されていた真実そのものであるかのように、無垢で白い。
風向きが変わって、煙と灰が僕の方に流れてくる。風の中に、微かに肉の焦げる匂いが混じっている。でも、人を焼いたからといって、特別に変った匂いがするわけではない。人の肉だろうが動物の肉だろうが、焼かれてしまえば同じように肉の焦げる匂いがする。
しばらくすると野良牛や野良山羊が、遺体を飾っていた黄色い花を食べにやってくる。焼き場の男はそれを追い払うでもなく、なすがままにしている。花を食べ終えた牛が、鳴き声を上げてから勢いよく小便をする。黒い煙が雲のない空に上がっていく。空にはいくつかの凧が舞っている。
死体が燃え尽きるまでの時間は一定ではない。小さな子供や女性だと早く燃えるし、大きな男だと燃えるのも遅い。しかし、だいたい一人につき一時間半から二時間ほどかかる。人のからだはそう簡単に燃えるものではない――それが火葬場で僕が目にした事実だった。
用意した薪が全て燃えてしまうと、川の水をかけて火を消す。しかし薪の量が足りない場合には、骨になる手前で火葬が終わってしまうこともある。死体はウサギぐらいの大きさの黒い塊となって、薪の間に残されている。親族はその塊を火箸で拾い上げ、そのままガンガーの流れに投げ込む。黒い塊は小さな弧を描いてから、濁った流れの中に消える。一度浮き上がって、そして見えなくなる。
最後に、親族の代表がガンガーの水を汲んだ素焼きの瓶を肩に担いで、焼き場を背にして立つ。そして瓶を後ろ向きに地面に落とす。ズシャンという鈍い音と共に、瓶が割れて水が飛び散る。こうしてひとつの火葬が終わり、焼き場には次の遺体が運ばれてくることになる。
ここでは火葬は特別な儀式ではなく、こなすべき日常の一部として淡々と行われているのだ。
人が死んだら、煙と灰と骨になる
僕はハリシュチャンドラ・ガートで休みなく続く火葬の様子を眺めながら、数年前に行った東京の火葬場のことを思い出していた。ずいぶん立派な火葬場だった。火葬場というより、大規模な健康ランドとか新しい体育館といった感じの、明るく清潔な建物だった。
祖父を乗せた霊柩車はその火葬場に横付けされ、お棺は係員の手で手際よく運ばれていった。火葬場の中は順番を待つ人々で混み合っていた。人の多い東京では、どこでも順番待ちになるんだな、と僕は思った。
祖父の遺体は火葬炉に入れられて、30分ほどで骨になって出てきた。火葬場の係員は、丁寧すぎるほど丁寧な物腰で、一連の作業をこなしていた。シミひとつない白手袋を両手にはめて、丁寧に骨を集め、丁寧に骨を納めた。
火葬というは実につつがなく進んでいくんだな、と僕は思った。清潔で、非常に洗練されたプロセスを経て、祖父は白い骨だけになった。そこには一片の肉も残らないし、匂いすらほとんどしなかった。
でもだからこそ、炉から出てきた白い骨が、本当に30分前まで祖父のからだをかたちづくっていたものだったのかどうか、確信が持てなかった。30分前までこの骨を覆っていた肉は一体どこへ消えてしまったんだろう、と思った。
バラナシの火葬場は、「人が死んで焼かれたら、煙と灰と骨になる」というシンプルな事実を、ありのままに見せている場所だった。もちろん、彼らは他人に見せるためにやっているのではなく、旅行者が勝手に覗き見ているだけなのだが。
好奇心から人の火葬を見るようなことは、決してほめられる行為ではないと思う。それは僕にもよくわかっていたが、それでも火葬というものをしっかりと見ておきたかった。単に好奇心を満足させるためだけでなく、その光景を記憶に刻み込んでおきたかった。
おそらく僕は自分の目で確かめたかったのだと思う。密閉された炉に入れられて、次に見るときには真っ白い骨に変わっていた祖父の肉体も、やはりあのように炎に巻かれて黒く焦げ、そして灰になったのだということを。そしていつかは自分もあのように焼かれるのだということを。それを日本ではなく、インドで確かめることになるというのも変な話だとは思うけれど。
「聖」と「俗」が入り混じる場所
バラナシはヒンドゥー教徒にとって最大の聖地であり、死後にここで焼かれてガンガーに流されれば、現世の罪は洗い流され、輪廻の苦しみから抜け出すことができると信じられている。
だけど全くの部外者の僕にとって、輪廻の意味を考えたり、哲学的な思いに耽ったりするには、バラナシはあまりにも世俗的で猥雑な場所だった。
ガートには、似合わない袈裟を着たニューエイジっぽい欧米人の姿や、団体ツアーでやってきたドイツ人や、頭にタオルを巻いて無精ひげを伸ばした日本人の姿が目立った。外国人の金を目当てにした怪しげなインド人も多かった。ガンガー沿いを歩いていると、「ボートに乗らないか?」とか、「ハッシシを買わないか?」だとか、「1ルピーでいいから恵んでくれ」などと、ひっきりなしに声を掛けられた。誰に習ったのかは知らないが、下品な日本語を連呼して気を引こうとする子供もたくさんいた。そのしつこさはインドでも一番だった。
旅行者が訪れることのできる聖地や秘境は、必ず世俗化する。これがグローバル化した現代における不可逆な流れだ。旅人は聖なる土地バラナシに資本主義経済とは違うオルタナティブな価値を求めてやってくるのだけど、その期待とは反対に「金をくれ! 1ルピーでもいいからくれ!」という極めてシンプルな欲望のど真ん中に叩き込まれることになる。
だけど、結局のところそういう状況を作りだしたのは、ここを訪れる僕ら旅行者自身なのだ。物見遊山の旅行者をシャットアウトできる場所――例えばサウジアラビアのメッカ――であれば、聖地は聖地としての純粋性を守ることができる。でも、「何でも受け入れる」というのがインド流だから、そんなことにはならない。つまり、僕らが聖地を求めてバラナシを訪れること自体が、バラナシの俗化を押し進めていくという一種のパラドックスが出現することになる。
要するに僕らに残された選択肢は二つしかない。実際にそこには行かずに、テレビで綺麗に編集された「それらしい聖地」を眺めて満足するか。それとも金に汚い人間ばかりの聖地にうんざりさせられながらも、自分の足でその土地を歩くか。
純粋な意味での聖地は、もう現実には存在しないのかもしれない。秘境というものが、もはや地上からなくなってしまったように。
だが、それでもなお、バラナシにはバラナシにしかない特別なものが残されていると僕は思う。朝日に向かって一心に祈る老女の横顔や、死体を棒で叩くときの乾いた音や、人を焼くために使われる大量の薪を運んでくる船。そういうものの中に、千年の昔から変わらない日常の営みが持つ「重み」を感じることができる。それはバラナシの俗化がどれほど進もうと、ガートが観光客で溢れようとも、決して変わらない「核」のようなものだ。
その「核」が失われない限り、バラナシはバラナシであり続けるのだろう。そして、生も死も聖も俗も飲み込んだガンガーの流れの側で、これからも毎日死体は焼かれ、黒い煙を上げ続けることだろう。ガンガーのほとりを歩きながら、僕はそう思った。