イランではバナナは高級品

4902

輸入品のバナナは高いが、地元産のスイカは安い

 意外なことに、イランではバナナは高級品である。東南アジアからの輸入に頼っているから、他の果物に比べてもとても高価で、市場では1本2000リアル(30円)以上もする。スイカやメロンなら1玉10円ほどで買えることを考えると、ずば抜けて高い。

 その高級バナナがお盆の上に一房盛られて、僕の目の前に出される。
「さぁ、何本でも召し上がってください」
 そう言うヤヒヤ君の顔は、どことなく誇らしげだ。バナナは食品見本みたいにシミひとつなく、ワックスを掛けられたように艶やかである。ドール100%ジュースのCMに出てきそうだ。

「ありがとう」
 僕は礼を言って、バナナの皮を剥く。もちろん甘味豊かで美味しい。美味しいことは美味しいのだけど、どこかよそ行きの美味しさだ。バナナという果物は気軽にむしゃむしゃ食べるのが本来の姿のような気がする。

 客間の床には高価そうなペルシャ絨毯が敷き詰められている。絨毯は目の細かさによって値段が決まるのだ、とエスファハーンの絨毯屋の親父が教えてくれたのを思い出す。絨毯になんて全く興味もないし買うつもりもなかったのに、何十枚もの絨毯を次々に見せられると、だんだん欲しいという気持ちが沸いてくるから不思議だ。もちろん、最終的には何も買わずに店を出たのだけど。

 ヤヒヤ君の父親は、産婦人科の開業医である。おじいさんもひいおじいさんも医者という家系なのだという。
「だけど今、父親の後を継いで産婦人科医になるための勉強をしているのは、僕の姉なんです。イスラム革命が起こった後、男子の学生が産婦人科医になることは禁止されてしまったんです。変な決まりだとは思うんですが。だから、僕は大学で電気工学の勉強をしています。でも僕にとってはその方が有り難いんです。元々医者になんかなりたくなかったですからね」

 イランでも医者は儲かる商売らしい。それはこの家に豊富に揃えられた電気製品を見ても明らかだった。居間には29インチの大型テレビとCDステレオ装置とコードレス電話があり、ぴかぴかに磨き上げられたシステムキッチンの隣にはアメリカ人の家にあるような大型冷蔵庫が据えられていた。

 

4908 ヤヒヤ君とは、オルーミーイェの町へ向かうバスの中で知り合った。彼はエスファハーンにある大学に通う20歳の学生で、大学の休みを利用して実家に帰省する途中なのだという。背がすらりと高く、遠くからでも目を引きそうなハンサムな顔立ちの男だ。多くのイラン人と同じように彼もとても親切な男で、困っている旅人を見つけたら助けずにはいられない、という性分らしかった。

 これからホテルを探そうと思う、と僕が言うと、彼は一緒にタクシーに乗って宿探しを手伝ってくれた。土地勘のある人がいるのはとても心強かったのだけど、どうやら僕のイメージする「ホテル」と彼のイメージする「ホテル」とでは、かなりのズレがあるようだった。

 彼が案内してくれたのは、中級クラスとおぼしき小綺麗なホテルだった。
「一泊いくらぐらいだろう?」と僕は訊ねた。
「たぶん10ドルほどだと思います」
「10ドルか・・・」
 イランで今までに泊まってきた宿は、どこも500円以下の安宿だった。それを考えると、10ドルというのは破格である。ヤヒヤ君には悪いけれど、遠慮したい値段だ。

 

4829 僕は同じ並びにある、間口の狭いホテルに目を付けた。ペルシャ語が大きく書かれた看板の横に、申し訳程度に「Hotel」と書いてある。でもきっと英語を話す人間なんて誰もいないだろう。見るからにうらぶれた感のある、典型的な安宿である。
「ここのホテルはどうだろう?」
 僕が言うと、彼は怪訝な顔をした。
「安いとは思いますよ。しかし・・・」
 彼の言いたいことはよくわかる。しかし、のあとに続く言葉も。僕らの予想通り、案内された部屋は小綺麗とは言えなかった。しかし、なによりも一泊20000リアル(300円)という値段が魅力だったし、清潔なシーツと広い窓があれば、まず文句はない。

「ここに泊まることにするよ」
 部屋をぐるりと見渡して僕は言った。
「本当にここでいいんですか?」
 彼はまさか、という顔で言った。あまり気に入らなかったようだ。
「だって、こんなところにはイラン人しか泊まりませんよ。あなたは外国人なのだから、もっといいホテルに泊まるんじゃありませんか?」

「そういう旅はしてこなかったんだ」
 僕は彼に今までの旅をかいつまんで説明した。
「カンボジアやバングラデシュやパキスタンの宿は、こことは比べものにならないぐらいひどいかった。シーツは茶色く汚れていたし、窓さえなかったんだ」
 僕が他の国の宿のひどさを力を込めて説明すると、彼もそれはひどいという風に顔をしかめた。
「でも、あなたは外国からイランにやってきたお客さんです。お客さんをこんなホテルに泊めるわけにはいかない。どうでしょう。僕の家に泊まっていきませんか? あなたともっと話がしたいんです。僕の家族もきっと歓迎してくれますよ」

 これはイランのごく普通の家庭にお邪魔する絶好の機会だと、僕は二つ返事で受け入れた。だけど、実際に案内されたのは「ごく普通の家庭」などではなく、エリート層に属している家庭だった。そのことに気付くのは、彼の家の前にとまっていた二台の車(ドイツ車とニッサンの四輪駆動車)と、庭仕事をする二人の使用人(共にアフガニスタン人)の姿を目にしたときのことだった。

 

 

夢はNASAで働くこと

4763 バナナを食べたあとには、クッキーを盛ったお皿とチャイが運ばれてきた。運んできたのはヤヒヤ君のお母さんである。「年の離れた姉さんです」と紹介されたら、素直に納得してしまうだろうと思うぐらい若々しいお母さんだった。きっと若いうちに産んだ子供なのだろう。
 お母さんは息子が偶然知り合いになった外国人を突然連れてきたというのに、特に驚いた様子もなく、にこやかに出迎えてくれた。外国人と積極的にコミュニケーションを取っている息子のことを、誇らしく思っている。そんな余裕のある微笑みだった。

 僕らはチャイを飲みながらテレビのニュース番組を見た。イスラエルで起こった銃撃戦がトップニュースだった。パレスチナ住民が石や火炎瓶を手に蜂起して、それを鎮圧するためにイスラエル軍がライフルを発砲して、多数の死傷者が出ていた。死者の中には10代の少女も含まれていたという。

「ここのところ毎日テレビはこれですよ。イスラエルはイスラムの敵、人類の敵だ。彼らを支援するアメリカも我々の敵だ。一日のうちの半分は、こういうメッセージが繰り返し流されているんです」
 ヤヒヤ君はうんざりしたように首を振る。
「それについて君はどう思う?」
「確かにイスラエルは悪いことをしています。だけど、この事件と我々は直接関係ないんです。これはイスラエルとパレスチナの問題です。ところがテレビは毎日このことしか報道しない。それは政府が敵を必要としているからです。国民の不満を反らせるための敵が必要なんです。パレスチナ問題はそのための材料にすぎない。しかし残念なことに、大半のイラン人はこの報道を真に受けているんです。彼らは教育を受けていない。だから政府の発表を疑わない。イスラエルとアメリカはイスラムの敵だと、本気で信じているんです」

 

4878 それはラジ大学の学生達とは正反対の意見だった。
「イスラムの教えはひとつです。だけど一人一人の考え方は違います。ちょうど手の指の長さがそれぞれ違うようにね」
 ヤヒヤ君は右手を僕のほうに差し出して言った。ほら、一本として同じ長さのものはないでしょう。
「ホメイニと彼の考えを受け継ぐ今の政府は、人々をコントロールするためにイスラムを持ち出しただけなんです。世界が見えている人にはそれがわかっています。でも中にいる人にはわからない。僕はアメリカという国が好きです。自分の考えを自由に述べることができる。イランではそれができないんです。アメリカに行ってNASAで働くのが僕の夢なんです。もちろん、それは簡単なことではありませんけど」

 現在、アメリカとイランは国交を断絶した状態である。アメリカ人の旅行者はビザをもらえないので、イランに入国することすら許されていない。当然、イラン人がアメリカで働くのはとても難しいことなのだろう。

 

4864「それじゃ、君はどうやって世界を知っているの?」と僕は訊ねた。
「例えばこれです」
 彼はテレビのリモコンを操作した。するとペルシャ語とは違う国の言葉が流れてきた。
「トルコのテレビです。僕の家には衛星放送のアンテナがあるから、見ることができるんです。でも、これは家族だけの秘密です。隣の家の人も僕らが衛星放送を見ていることを知らない。もしばれると警察に密告されますからね。イランでは外国の衛星放送を見ることは違法なんです」

 言葉がわからないから番組の内容まではわからなかったが、トルコの歌番組やクイズ番組などは日本と変わらない華やかな雰囲気だった。大本営発表的に同じ内容を繰り返しているイランのテレビとはずいぶん違う。トルコの番組に出てくる女性はどれも美人揃いで、中には下着姿に近いようなセクシーな女性が出てくる番組もあった。イランなら確実に検閲の対象である。でも電波は国境を越えてやってきてしまう。

「君は英語が話せるし、家で衛星放送を見ることもできる。でもほとんどのイラン人はそうではないんだよね?」
「そうですね」
 彼はそう言ってから、しばらく考え込んだ。
「それがこの国の一番の問題です。イスラム革命はイランに貧しさしかもたらさなかった。それなのに、多くの人は政治を変えようとは言いません。悪いのはイラクやアメリカやイスラエルだと思っている。みんな視野が狭いんです」
 実際のところ、彼のようなグローバルな目を持ったイラン人は少数派なのだろう。彼にしてもイランという国が急に変わるとは思っていないようだった。政府が変わるのを待つぐらいだったら、さっさと外国へ出てしまいたいというのが本音なのだ。

 

女性は磨かれて美しくなる

4843「ところで、あなたはイラン人女性をどう思いますか?」
 ヤヒヤ君は真面目な顔で聞いた。
「どうって?」
「正直に答えてください。イラン女性を綺麗だと思いますか?」
「大人の女性の顔を町で見る機会がないからね。答えるのが難しいな・・・」
 僕はそう言って誤魔化した。イランの少女は本当にかわいらしい。長い睫毛と透き通るような大きな瞳を持っている美少女を、僕は何度も町で見かけた。肌は新品の石鹸のように滑らかで、頬にはほのかな赤みがさしている。黒一色のチャドル着用が義務づけられている大人の女性とは違って、少女達は赤や黄色の派手なスカーフを被っていて、それがとても似合っている。

 しかし、その少女達の成長した姿が必ずしも美人ではないのが、この国の不思議なところである。そう感じているのは僕だけではない。アジアを旅する旅行者の多くが、「イラン女性はあまり綺麗ではないね」と口を揃える。
「はっきり言って、イランの女性は綺麗じゃないと思います」とヤヒヤ君は断言する。「醜いと思う。でもそれは彼女達の責任じゃないんです。あの醜いチャドルを被ることを強制している今の政府が悪いんです。本来イラン女性はとても綺麗なんです。でもトルコ女性のように着飾って、自分を美しく見せることを許されていないんです」

 

4847 イラン女性はほとんど化粧をしない。特に田舎になればなるほど、その傾向は強くなる。結婚前の女性が女の魅力をあたり構わず振りまくのは好ましくない、そういうことは娼婦のやることだ、という保守的な考えが根強いからだという。中には左右の眉毛が繋がっている女性や、口ひげがまばらに生えた女性もいる。最初に見たときはさすがにたまげた。この国では男もチャドルを着るのか、と真剣に思ったぐらいだ。体毛が濃いイラン人の特徴は女性にも現れているのだけど、その手入れをするのもタブー視されているのだ。これでは美しくなれるわけがない。

 その上、イラン人は大の甘党である。チャイは砂糖を囓りながら飲むし、クッキーやアイスクリームなどの甘味屋も繁盛している。女性が外に出て気軽にスポーツを楽しむ環境もないから、食べることが一番のストレス解消になっているのだろう。事実、チャドルの上からでも太っていることがわかるような体型の人がとても多い。

 

4897「ママンの時代はもっと厳しかったそうです」とヤヒヤ君は言う。母親曰く、イスラム革命の直後のイランでは服装や男女交際についての厳しい規則があって、男性がジーンズを履いていたり、女性の着けているチャドルから少しでも髪の毛がはみ出していたりすると、警察に連れて行かれたのだという。日本の学校の校則にも馬鹿げたものが多いけれど、それを国家単位でやっていたのだ。

 イスラム革命から20数年後の今となっては、男性の服装は欧米とほとんど変わらないし、チャドルの着用も少しずつ緩やかになっている。望まないことを権力が強制的に押しつけるやり方は、一時的には成功するかに見えても、決して長続きはしない。
「女性は磨かれてこそ美しくなる、とママンは言っています」
「その通りだね」と僕も頷く。きっとヤヒヤ君のママンも磨かれて美しくなったのだろう。

 保守的反米的なラジ大学の学生と、革新的親米的なヤヒヤ君。左右両方の意見を持つ若者と話をすることで、僕はイランの若者の中にも、「手の指の長さがそれぞれ違うように」様々な考え方の違いがあることを知った。

 イランでも世界のグローバル化と無関係ではいられない。今までアメリカという存在を無視してやってきたイランだからこそ、これからアメリカとどう向き合っていくのがか問われ始めているのだろう。イスラムの伝統と西欧的物質的な豊かさとのバランスをどう取っていくのか。簡単には答えのでない問題だ。

 旅人という無責任な立場から僕が言えることはひとつ。
 「やっぱり女の子は綺麗な方がいい」ってことだけだ。