ムスリムの男達は旅人に対してとても親切だった。僕がぶらぶらと町を歩いていると、必ず誰かから「お茶を飲んでいかないか」と手招きされたし、道に迷っているといつも誰かが助けてくれた。
それでも首都やそれに準ずる都市部になると、親切の度合いは下がるのが常だった。人の量も交通量も多く、誰もが忙しそうに歩き回っている都会には、いちいち外国人なんかに構っていられないんだ、という空気があった。
ところがシリアでは、首都のダマスカスでも第2の都市アレッポでも、人々の親切度は全く変わらなかった。道端ですれ違う人が「ハロー」とか「サラーム」と声を掛けてくる。そして遠方から訪ねてきた古い友達を迎えるように親しげに肩を抱いてくる。僕の名前を尋ね、彼らの名前を教えてくれる。僕がカメラを提げているのを見つけると、撮ってくれとポーズをつける。僕がシャッターを切ると、それじゃお返しだと買い物袋の中からキュウリを一本取り出して渡してくれる。そんなやり取りが、日に何度も繰り返されるのだった。
シリア人は決して勤勉ではない。仕事の合間に休むというよりは、休みの合間に働いているんじゃないかと思えるほどのんびりとしている。彼らには「人生は楽しむもの。あくせく働くのはそうしたいやつに任せておけばいいさ」という人生に対するスタンスがあった。それは毎日の生活に汲々とせざるを得ないアジアの日常とも違うし、勤勉さと経済的な豊かさの上に成り立っている欧米的な日常とも違っていた。
アラブの日常は極めてマイペースであり、余裕があった。時間的な余裕が心の余裕を生み、それが彼らの親切さやもてなしの気持ちを育んでいるのだろうと思った。
トラディショナルな女性とカジュアルな女性
シリアの都会を歩く女性の服装は、はっきりと2タイプに分かれていた。トラディショナルな女性と、カジュアルな女性である。
トラディショナル派は中年より上の女性に多く見られ、どんなに気温が上がろうとも、全身黒ずくめスタイルを頑なに貫いていた。彼女達は黒いロングコートで全身を覆い、頭からは黒いチャドルを被り、さらに黒手袋を両手にはめて、40度を超える暑さの中を黙々と歩くのである。その体力と忍耐力には本当に感心してしまう。これじゃ「北風と太陽」の話は成立しないよな、と思う。彼女達は何があってもコートを脱がないのだ。
カジュアル派は、言うまでもなく若い子に多かった。トラディショナルなものからカジュアルなものへ、という時代の潮流は、(法律で民族衣装の着用を義務づけているブータンのような国を除いて)どこの国でも避けがたいことなのだろう。カジュアル派の女性の中にはボディーラインを強調するようなぴったりとしたTシャツを着て、ヒップラインを見せつけるようなスリムジーンズを履くという、イスラム国にしてはかなり大胆なスタイルで男達の視線を釘付けにしている人もいた。
「ああいう格好をしているのはね、だいたいがキリスト教徒なんだ」
と教えてくれたのは、売店で働く男・ムハンマドだった。シリアは世界でもっとも古くからキリスト教が布教した地域であり、昔からムスリムとキリスト教徒が共存している地域なのだそうだ。現在シリアで多数派を占めるのは保守的なスンニ派だけど、他宗派の服装にまで口出しはしないのだという。
「でも、ムスリムの男もああいうセクシーな格好には弱いけどね」
とムハンマドは笑った。そして店のブックスタンドの中から、一冊の本を取り出して僕に渡した。それは女性用下着のカタログ本だった。モデルを見るとヨーロッパから輸入したものらしい。これは女性が買うわけではなく、要するにポルノ本として売っているのである。
ムハンマドの店には、下着カタログの他に女性のピンナップ写真もたくさん置いてあった。さすがにヌード写真はないものの、こちらもかなり過激である。挑発的なレースの下着姿で、悩ましげなポーズを取る美女がずらりと並んでいる。隣国のレバノンに行けばヌード写真だって自由に手に入るんだ、とムハンマドは言う。
パキスタンからずっとイスラム圏を旅していると、同じイスラム国であってもポルノに厳しい国と緩い国があることが実感できる。厳しい国の代表であるイランでは、下着や水着姿の写真が禁止なのはもちろんのこと、大人の女性の顔が雑誌の表紙を飾ることすらほとんどなかった。だからイランのブックスタンドには子供の顔ばかりが並んでいた。パキスタンでもポルノまがいの写真は御法度だった。それがヨルダンやシリアになると徐々に緩くなってくる。どうやらヨーロッパに近づくほど、セックスに対してオープンになる傾向があるらしい。
「ところであんたはどこから来たんだ?」とムハンマドが僕に訊いた。「ベトナムかい? それともカンボジア?」
これまで何百人もの人から出身国を訊かれたけれど、ベトナムやカンボジアというのは初めてだった。
「日本人ですよ。シリアにはベトナム人やカンボジア人が多いんですか?」
「いいや、ベトナム人なんて一度も見たことないね」
彼はあっさりと言った。一度も見たこともない人種に間違えられるというのも、なんだか変な話である。
「あんたの顔はえらく黒いじゃないか。だからジャパニーズでもチャイニーズでもないだろうと思ったんだ」
なるほど。黒いから日本人ではない。一応理屈は通っている。確かに僕の顔は中東の日差しに焼かれて、ベトナム人に負けないぐらい黒くなっていた。
「そうか。あんた日本人なのか。よし、それだったらこれを見てもらいたいんだ」
ムハンマドは頷くと、ブックスタンドから薄っぺらい冊子を抜き取った。それはブルース・リーが表紙になったカラテ教本だった。
おいおいまたブルース・リーかよ、と僕は思った。イランでもブールス・リー気取りの男にストリートファイトを挑まれたことがあったが、シリアでもブルース・リー人気は凄まじいものがあった。単なる映画スターというより、ブルース・リー教の教祖様のような存在なのだ。そしてシリア人もブルース・リーのことを日本人だと信じているのである。
しかし、その本の中身はひどいものだった。カラテの型を写真付きで解説しているのだが、紙の質が劣悪な上に写真もひどく不鮮明だから、参考書としてはほとんど役に立ちそうになかった。おそらくどこかの出版物から違法にコピーしたものなのだろう。これで25シリアン・パウンド(63円)というのは、シリアの物価を考えるとかなり高い買い物である。しかしそれでもこの本は売れているのだという。それだけブルース・リーへの憧れが強いということなのだろう。
ムハンマドもまた熱心なブルース・リー信者の一人で、「この本に書いてある型を実演してもらえないか」と頼んできたのだが、丁重にお断りした。彼はがっくりと肩を落としていたが、しかし出来ないものは出来ない。
水車の町・ハマ
ハマという町では、大学生の女の子に英語で話し掛けられた。もちろんこういうことをするのは「カジュアル派」の女の子である。彼女はチャドルで顔を覆ってもいないし、黒いコートも着ていなかった。
「あなたはこの町が好きですか?」
と彼女は訊いた。とても丁寧で聞き取りやすい英語だった。
「ええ。とてもいい町ですね。静かだし、水車がとても美しい」
僕は当たり障りのないように答えた。ハマという町は、町の中心を流れる川に沿って大きな水車が回っているのが特徴なのだ。逆に言えば、水車以外にはあまり特徴はない。
「本当にそう思っているの?」と彼女は言った。
「ええ、本当に」
「そう・・・でも私はこの町が嫌い」
彼女は秘密を告白するように声を潜めて言った。
「どうして?」
「退屈だもの。水車以外に何にもないんですよ、ここは。私はトーキョーみたいな大きな町に住んでみたいんです。トーキョーは素晴らしい町だって聞いています」
トーキョーなんてゴミゴミしていて人ばかり多い町だよと言おうかと思ったけれど、やめておくことにした。この古い町に飽き飽きしている彼女の気持ちはわかるし、育った場所と違った空気を吸ってみたいという欲求を持つのは、若者として当たり前だと思うからだ。
「それじゃ、もし君が自由に外国を旅できるとしたら、まずどこに行きたい? 東京? パリ? それともニューヨーク?」
僕がそう訊ねると、彼女は迷わずに言った。
「メッカ」
その答えは僕にとってちょっとした衝撃だった。カジュアルな服装をして、都会への強い憧れを持っていて、外国語も勉強している。そういう女の子であっても、まず最初に行きたいのは聖地メッカなのだ。
表面的なスタイルがどうであれ、イスラムへの信仰というのは簡単に揺らがないものなのかもしれない。彼女の姿を見ていると、そんな風に思えるのだった。