1700 ホームページの大幅リニューアルに伴って、過去の旅行記のブログ化を進めています。まずは2001年に行った「ユーラシア一周の旅」のリニューアルを完了。

 今までの旅行記を単にブログに移植するだけだとつまらないので、新しい写真を追加し、画質もアップさせて、2016年時点でも十分に読み応えのあるものに仕上げました。

 この旅で訪問した30ヶ国の中には、この15年の間にまったく印象が変わってしまった国もあります。

 例えばカンボジア。2001年当時のカンボジアは、まだ治安も悪くて、観光客も少なくて、シェムリアップからタイの国境に向かうときには未舗装の道をピックアップの荷台に揺られて進むというかなりワイルドな国だったのですが、今では5つ星ホテルが並ぶ東南アジア有数の観光国へ変貌を遂げました。

 2001年当時のアンコールワット周辺には、捕まえたヘビを焼いて食べている少年がいたり、警察手帳を売りつけようとする警官がいたりと、カオスな世界だった。もちろん今はそんなガラの悪い連中は排除されています。でも、あれはあれで面白かった。素朴さと抜け目のなさが同居した独特のアジア的世界が確かに存在していました。

 

4324 10ヶ月に及んだ旅のハイライトはミャンマーバングラデシュ、そしてパキスタンでした。特にパキスタンでの経験は強烈でした。

 中でもあの「風の谷のナウシカ」の「風の谷」のモデルにもなったといわれているフンザは、いつか「また一度訪れてみたい場所リスト」のトップに来るほど素晴らしい場所でした。アンズの花が咲き誇る4月のフンザは本当に美しかった。水の青さや、雲の白さや、日差しの温かさ、風に含まれる春の匂い。すべてが印象的でした。

 自らの体に鎖を打ちつけ血を流す儀式・アーシューラーもすごかったし、密造銃の町ダラで出会ったタリバンの武器商人の男も迫力がありました。

 

7774 10ヶ月もの長旅になると、前半と後半のテンションがかなり違ってきます。前半はただ闇雲に前進あるのみという感じで突き進んでいたんだけど、旅の後半、東ヨーロッパ、ロシアあたりでその勢いに陰りが見えてきた。好奇心の摩耗と倦怠感に襲われていました。どうやったらこの旅を終えることができるんだろう。そんなことを考えてばかりの日々でした。

 

8332 それを取り戻してくれたのがモンゴルの大地でした。素朴なゲルに暮らし、草原を馬で駆け抜け、羊を食べている遊牧民たち。彼らはシンプルに力強く生きていた。厳しい自然と対峙しながら生きている人々の生命力がすさまじかった。夜、信じられないほど美しい星空を見上げたこともよく覚えています。

 最後の訪問国となった中国は、あまり好きにはなれませんでした。中華料理の美味しさは掛け値なしに世界ナンバーワンだと思うけど、食事以外はあまりいい思い出がなかった。トイレがとんでもなく汚くて、商店の店員は無愛想で、バスや列車の服務員は不親切で、というようなネガティブな印象ばかり記憶に残っています。もちろん世界一の莫大な人口を抱える中国をわずか1ヶ月ばかり旅したぐらいでは何もわからないし、何かを語るべきではないのだとは思いますが。

 今では中国の公衆トイレもきれいになっているはずだし(たぶん)、宿泊施設や商店のサービスだって向上しているでしょう(たぶん)。それでも、「もう一度中国を旅したいか?」と訊かれたら(実際、福岡で講演したときにも質問されたのですが)、「うーん」と考え込んでしまいます。

 

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8994 そんな中国の中でも、甘粛省と四川省の山奥にあるチベット文化圏は例外的に面白い地域でした。夏河郎木寺理塘、郷城、中甸。標高4000m近くの高地で暮らしているチベット人には独自の文化を守ろうという気概が感じられたのです。