サリタの家の中は外観ほどみすぼらしくはなかったが、家財道具と呼べるものは大きめのベッドひとつと炊事道具だけで、全体的にがらんとしていた。サリタの父親は日雇いで肉体労働をしているのだが、収入が安定していないから、その日暮らしに近い生活だという。そう言われてみると、母親の顔にも疲労の色が滲み出ているように見える。子供は全部で四人。長女のサリタの下に二人の妹と一人の弟がいる。サリタの年齢は九歳だが、学校へは行っていないという。一度村の小学校に通ったことがあるのだが、一年も経たないうちに辞めてしまったのだ。
「どうして学校を辞めたの?」と僕は訊ねてみた。しかし彼女はうつむいたまま黙り込んでしまった。
「家の手伝いをしなくてはいけないんです」
サリタの代わりに質問に答えたのは、仕事から急いで戻ってきた父親だった。一番下の妹はまだ一歳にも満たない乳飲み子だから、母親だけで子供達全員の面倒を見るのは難しい。だからサリタが母親の手伝いをしなくてはいけない。それにこの子だって学校の勉強が好きというわけではない。父親はだいたいそういうことを言った。しかもサリタの母親はまだ二十五歳と若いから、これから二人か三人ぐらい子供が増える可能性は十分にある。下の子が増えれば増えるほど、上の子を学校に行かせる余裕はなくなっていく。
サリタが自発的に学校へ行かなくなったのか、それとも両親がそうさせたのかはわからない。しかしいずれにしても、子沢山の家庭に長女として生まれた彼女に与えられた選択肢は、非常に限られている。サリタの顔から三年前のようなあどけなさが消えてしまったのは、早く大人にならなければいけないという家庭の事情があったからなのかもしれない。
夢なんて見ない方が幸せ
僕は彼女に再会したら是非とも聞いてみたいという質問をいくつか用意していたのだけど、答えらしい答えが返ってきたのは、「好きな食べ物はなに?」「チキンのカレー」というやり取りだけだった。サリタがとてもシャイだということもあるし、噂を聞きつけて集まってきた大勢の村人が彼女をぐるりと囲んでしまったので、必要以上にナーバスになってしまったようだった。
「将来の夢は何?」という質問にもサリタは答えてくれなかった。質問の意味がよくわからないというような、きょとんとした表情で僕の方を見つめただけだった。両親もこれにはどう答えたらいいのかわからず黙ってしまった。居心地の悪い空気が部屋の中に流れた。
「この子は将来の夢なんて考えたことがないと思いますよ」
ガイドのサンタが痺れを切らしたように自分の意見を述べた。
「ここの子供達は毎日を生きるだけで精一杯なんです。ここはあなたの国とは違うんです。例えばパイロットになりたいという子供がいても、ネパールには飛行機がほとんどない。医者になりたくても病院がない。フォトグラファーになりたくても、写真が載っているような雑誌や本なんて出版されていないんです」
「夢なんて見ない方が幸せだってこと?」
「そうですね。彼女にとってはその方が幸せかもしれません」
それは僕にとってとても重い一言だった。確かにネパールの山村はとても貧しいし、遠隔地であるために外の世界からの情報もあまり入ってこない。だからほとんどの人が百姓として働くか、家業を継ぐことになる。そのような現実を生きる人々には、安易な夢を抱くような余裕はないのかもしれない。なりたいものになれる可能性を持っている人は、ほんの僅かでしかないのだから。
それでも僕にはサリタが一度も夢を見たことがない子供だとはどうしても思えなかった。夢を見たことのない子供があのような瞳の輝きを持ちうるはずがない。昔も今も、彼女なりの夢を持っているのではないか。今はそれを表に出せないだけなのではないのか。
「もう一度、サリタに聞いてもらえないか?」と僕はガイドに頼んだ。「君の将来の夢は何かって」
しかし何度聞いてみても、彼女の口が開くことはなかった。重い沈黙が僕らの間に流れただけだった。
結局、僕には彼女の本当の気持ちは最後までわからなかった。通訳さえ介せば意志の疎通が図れるだろうと安易に考えていたのだが、それは大きな間違いだった。僕とサリタの間を隔てているのは言語の壁だけでなかったのだ。育ってきた文化も違うし、価値観も世界観も全く違う。そのような二人が理解し合うのは、僕が思っていた以上に困難なものなのだ。
サリタとの再会は、僕にとって必ずしもハッピーとは言い切れないものだった。一人の少女が成長と共にその特別な輝きを失ってしまうのは、ある程度仕方がないことだと思う。僕がそのこと以上に気になったのは、サリタの笑顔が以前のようなのびのびとしたものではなく、どことなく窮屈でぎこちないものになっていたことだった。そしてそれは彼女を取り巻いている現実の厳しさと無関係ではないように思った。
本当にサリタは夢を見たことがないのだろうか? それでも彼女は幸せなのだろうか?
彼女に会って直接話をすればわかるだろうと思っていたことの多くは、相変わらずわからないままだったし、逆に答えが出そうにない疑問を以前よりも多く抱えながら、僕はネパールの旅を続けることになった。