af04-5710 僕は合計四日間バーミヤンに滞在したけれど、一日中青空が広がっていたのはわずか一日だけだった。それ以外の日には、晴天から一転して分厚い雲が空を覆ったり、土煙をもうもうと舞い上がらせるつむじ風が吹き荒れたりした。僕は普段コンタクトレンズを使っているので、この突風には特に閉口した。

 「強烈な日差し」と「乾燥した空気」と「強い風」というバーミヤン三点セットは、言うまでもなく肌にとって大敵である。ただ日に焼けるだけではなく、頬や唇などの水分が奪われてかさかさに荒れてしまうのだ。日焼け止めとリップクリームは必ず携帯すること——もし「バーミヤンへの遠足のしおり」というものがあれば、第一項目に必ずそう書き記しておくところだけど、そんな情報を持たずに行った僕は、かなりひどい目に遭ったのだった。

af04-5717 アフガニスタンの女性がチャドルやブルカといった被り物で顔を隠すのも、男性が頭に長いターバンを巻き付けているのも、強い日差しと砂埃を避けるためなのだということを、僕はこの土地を歩き回ることによって初めて実感した。

 イスラムという宗教が砂漠で生まれ、日差しが強く乾燥した国々で受け入れられていったことと、ムスリム女性が顔を隠して歩くことは、おそらく無関係ではないだろう。外部から見れば理不尽なようにも見える風習も、その土地に根ざした合理性があるのだと思う。

af04-6032 しかし、頭からつま先まで全身をすっぽりと覆ってしまうブルカは、アフガン人の間でも評判が良くなかった。特に英語を話すことができる進歩的な考えを持つ人の多くは、「ブルカは女性を縛りつける醜いものだ」と断言した。ブルカというものは、もともとイスラムの習慣などではなく、一地方の風俗に過ぎなかったのだが、それをタリバン政権が国民全員に強制したのだ、と彼らは主張した。とりわけタリバン政権によって迫害を受けていた少数民族のハザラ人やタジク人達にとって、ブルカが「抑圧のシンボル」であったのは確かなようだ。

 今ではブルカを被るのも被らないのも、個人の裁量に任されている。地方によっても違うのだが、ブルカを被っている女性の割合は、だいたい半分弱というところだった。特に首都カブールでは「非ブルカ率」が高かった。ブルカを脱ぐ女性の数は、おそらく今後もっと増えるだろう。

 それでも、バーミヤンの青空の下で見るブルカは、抑圧のシンボルであることを越えた美しさがあった。吹きつける強い風にたなびく青いブルカは、まるで大きく羽ばたく鳥のように見えた。三六〇度どこを見渡しても乾いた土の色しかない土地にあって、その鮮やかなスカイブルーは一瞬にして僕の網膜に焼き付いたまま、いつまでも離れなかった。

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なぜバーミヤンを撮るの?

af04-5933「何故あなたはここで写真を撮っているのですか?」
 バーミヤンで出会った青年に、こう訊かれたことがある。
「それはバーミヤンが美しいからだよ」
 僕は当然のように答えたのだが、アフマディンという青年は納得が行かないという風に眉をひそめて、反論してきた。

「あなたはここの冬を知らないから、そんなことが言えるのです」と彼は言った。「バーミヤンの冬は半年も続きます。冬の間はいつも分厚い雲が空を覆い、青空を見ることは滅多にありません。毎日雪が降り、何もかもが凍り付いてしまいます。十日間、家から一歩も外に出られないことだってあるんです。学校も三ヶ月閉鎖されるし、商店も閉まります。村人は夏の間に収穫した食料で、なんとか冬を乗り切ります。農業ができるのは一年のうちの半分だから、バーミヤンはとても貧しいんです。それでもあなたは、ここを美しいと言うのですか?」

af04-6005 最初は冷静に話していたのだが、バーミヤンの冬について語るうちに、彼の語気はどんどん強くなっていった。それほど長く辛い冬だということを僕に伝えたいのだろう。
「僕たちはここに一年中住まなければいけないんです。それがどれだけ大変なことなのか、きっとあなた達旅行者には想像もつかないでしょう」

 彼の言うことはもっともだった。彼が何となく僕に対して腹を立てていることもわかっていた。旅行者というのは、その土地のいいところだけを見て帰るだけの存在だ。自然の真の厳しさを知りもしないで、「ここは美しい」と言うのは、虫のいい話なのかもしれない。

af04-6120「君の言う通り、ここの冬はとても厳しいのだろう。それでも夏のバーミヤンが美しいことは変わらないんだ」
 と僕は言った。そうとしか言えなかった。もちろんアフマディンはその説明で納得するはずもなかった。しかし、たとえ旅人が無責任な存在だとしても、目の前の光景に心を動かされるという事実は変えようがなかった。

 僕はパキスタン北部の桃源郷の村フンザに住む老人からも、モンゴル西部の草原にテントを張って暮らす遊牧民からも、アフマディンと同じようなことを言われたのを思い出した。七〇〇〇メートル級の山々に囲まれたフンザの村も、見渡す限り人の姿がないモンゴル高原も、このバーミヤンと同じように恐ろしく厳しい冬を乗り越えなければいけない土地だった。外部からのアクセスが難しく、寒暖の差が激しく、水が少ないということも共通していた。そして、そこには人を頑なに拒む厳しい自然に裏打ちされた、希有な美しさがあった。

af04-6127 そのような土地を歩くとき、僕の心はわけもなく激しく揺さぶられた。きっと僕にとっての「楽園」とは、珊瑚礁の海に浮かぶ亜熱帯の島々ではなく、バーミヤンやフンザのような場所なのだ。

 僕がバーミヤンに住むことはないだろう。自分がここで生活していくだけの強さを持っていないことを知っているからだ。だからこそ、僕はここに暮らす人々に憧れを抱くのだと思う。自分にはない美しさと逞しさを持った人々に、強く惹かれるのだと思う。

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