20年前の今日、2001年12月7日に「tabisora.com」がスタートしました。まさか20年も続くとは思わなかったけど、本日「たびそら」は二十歳の誕生日を迎えました。というわけで、今日は「たびそら20年の歩み」を振り返ってみようと思います。


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 独自ドメインを取得して、個人サイト「たびそら」を始めたのは、僕にとって最初の旅、10ヶ月に及んだ「ユーラシア大陸一周の旅」から帰国した直後でした。最初は文章を主体にしたサイトで、写真はあくまでも「文章に添えるもの」という位置づけだったんです。


 それまで海外に出たことすらなかった「旅の素人」が、いきなり10ヶ月の旅をしたものだから、「ホップ・ステップなしに、いきなりジャンプだね」と言われました。確かに無謀な試みではありました。実際、旅を始めて3日目に詐欺師に騙されそうになったり、他にも数多くのトラブルに見舞われたけど、怖さよりも好奇心の方がずっと強かったので、その好奇心を原動力にして、何とか旅を完遂することができました。

 

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 2001年の旅には、デジタル一眼レフカメラ「EOS-D30」を持っていきました。でも、当時の僕には「写真家になろう」という考えは一切ありませんでした。長い旅の記録を残すのに最適なのはフィルムの要らないデジカメだろう。そう思って、当時、発売されたばかりの一眼レフを持っていっただけだったのです。

 なにしろ「EOS-D30」というカメラは300万画素しかなくて(←3000万画素じゃありませんよ)、色も解像度もフィルムカメラに大きく劣っていました。300万画素じゃ画像が粗すぎて、風景を撮る気にはなれなかった。だから自然と人々の表情にカメラを向けるようになったのです。僕が笑顔を撮るようになったのは、低画素カメラのおかげでもあるのです。

 この20年でデジカメの性能は飛躍的に進歩しましたが、同時に情報を発信するプラットフォームの環境も大きく変化しました。2001年当時、僕の「主戦場」はメルマガでした。やたら文字数の多いメールマガジンを週1、2回ぐらいのペースで発行して、写真はサイトから見てもらうというスタイルでした。

 やがて発信の主軸がブログに移行し、ツイッターやフェイスブックが普及して、スマホの時代になります。わずか20年のあいだに、これだけの変化が起きたことに驚きます。2001年当時、僕ら旅人は主に「地球の歩き方」と「情報ノート」を頼りにして旅をしていたのです。先人が書き残した情報だけを頼りに、見知らぬ街を歩いていたのです。今となっては、なんか信じられないけど。

 

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 今から20年前のアジアには、ネットカフェも少なかったし、回線速度も超スローでした。情報はとても貴重なものでした。日本でも状況は似たようなもので、Yahooが無料でモデムを配ることでADSLによる常時接続が普及し始める2001年までは、インターネットは一部の人しか使っていなかったのです。

 今でこそ、SNSやブログで「世界一周旅行記」をアップしている人は、それこそ数え切れないほどいますが、20年前はほとんどいませんでした。写真付きのサイトも珍しかった。今にして思えば、そこに僕が入り込む隙間(ニッチ)があったのです。文章も写真も未熟で荒削りだったけれど、「誰もしていないことをやっている」というのが、ほとんど唯一の強みだったのです。

 2001年に始めた「たびそら」が、翌年、ニフティーが主催する「ホームページグランプリ2002」というコンテストで準グランプリを受賞できたのは、文章力や写真の質よりも「誰もしていないことをしている」という点が審査員に評価されたからです。そして僕にとって最初の本である「アジアの瞳」が予想外に売れ行きを伸ばしたのも、「何か新しいことをしている人だ」という話題性があったからでした。

 誰かに先んじて市場に参入するという「先行者利益」はいつまでも持続するものではありません。僕にもそれがわかっていたから、早く「本物の表現者」にならなければいけないと思っていました。だから、2004年に行った2度目の長旅では「自分にしか撮れない写真を撮るにはどうすべきか」と考え続けていました。

 

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 その答えらしきものが見つかったのはアフガニスタンでした。2004年は軍事的緊張がだいぶ弱まっていました時期でしたが、それでも内戦が長く続いたせいで国土は荒廃し、治安が良いとは言えない状況にあったから、まともな旅行者は誰もアフガニスタンなんて旅しなかった。そんな中、僕はアフガニスタン北部の僻地を一人で移動しました。

 アフガニスタンは理屈抜きで美しい土地でした。厳しい自然と、そこに暮らす人々の温かさ。目が痛くなるほどの空の青さと、小麦畑の緑。小さなロバの背にまたがってひっそりと移動する人々。僕はこの土地で「自分の目で確かめないと絶対に理解できないものがある」ということを教わった気がします。

 その後、僕は「誰も行きそうにない場所に一人で出かけていって、そこに暮らす人々の素顔を記録する」というスタイルで旅を続けていくことになります。「自分にしか撮れない写真」を追い求めた結果、「ガイドブックから自由になる旅」を目指すようになり、それがやがてバイクという移動手段へと繋がっていくのです。

 

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