質問:自由と自立について
今回、質問させていただきたいのは、「自由と自立」についてです。
仰々しいタイトルで申し訳ありません(笑)。
私も旅が好きで(沢木耕太郎タイプでした)、これまでにヨーロッパやアジアの国々を旅した経験があるのですが、旅を通して「英語を勉強したい」という思いが強まり、海外へ留学したいと考えるようになりました。
私は現在23歳のフリーターなのですが、いまだに実家暮らしで、両親の世話になっている状態です。
親元を離れて独りで生活したいと思う反面、留学に必要な資金の確保のことを考えると、なかなか踏み出すことができないでいます。
旅をすること、留学すること、自由な生き方をするということは大変魅力的であり、私の夢でもあるのですが、人の世話にならなければ実現できないような夢であれば、それはただの「ワガママ」であって、得られるものも少ないのかなと思います。
自立して、苦しい思いをしてでもやってやると思えるぐらいでなければ、諦めたほうがいいのかなと思います。
しかし一方で、そんなに気張る必要もないのかなとも思ってしまいます。
挫折してしまったり、実現するまでに時間がかかりすぎるぐらいなら、人に頼るという選択も間違いではないのではないか?
結局無理だったと後悔するぐらいなら、人に甘えてでもやってしまったほうがいいのではないか?
いち早く夢を実現し、成長を遂げたあとで、お世話になった人に恩返しをすればいいのではないかという考えです。
三井さんは、「自由」な生き方をするにあたって、「自立」というのは不可欠なものだとお思いですか?
三井の答え
僕が通っていた中学校の校訓は「自主自律」というものでした。公立中学なのに制服がなくて、生徒はみんな好きな格好で通うという全国的にも珍しい学校だったので、この「自主自律」という言葉にもそれなりのリアリティーがあったのですが、それにしても難しい言葉ですね。主体的に自分を律する。そんなもの中学生に求めるのは無理だろうってぐらい。
でも、そのような高い理想を掲げているというのは、それほど悪いことではなかったと思っています。少なくとも「学校の決めた規則は何が何でも守れよ」みたいなくだらない建て前を押しつけられるよりは、ずっと良かった。
・・・というような思い出話から始めたのは、あなたの質問がとても難しくて、その難しさを考えるうちに中学校のことを思い出したからです。「自主自律」も「自由自立」も本質的な意味は同じようなものだと思いますから。
自由を得るためには、もちろん自立は不可欠です。この二つは切っても切り離せない。なぜなら「自由」という言葉の中には「自由な行動に対する責任」が含まれているからです。自分の足で立っていない人間が(つまり自分で責任を取れない人間が)、自由だけを取りだして語ることには無理があります。それはひとつの軸で結ばれた車輪の片一方を外して走っているようなものなのです。
そうは言っても、自分の二本の足でしっかりと立つというのは、簡単なことではありません。僕は今33歳ですが、この年齢になってもまだ経済的な見通しを立てるのは至難の業です。「今何とか写真家としてやっているんだから、これから先も何とかなるんじゃないか」というようなあやふやな立場なのです。
そんな状態でもわりに平然としていられるのは、僕が楽観的かついい加減な性格だからなのでしょう。まぁ、あまり自慢できることじゃありませんが。
僕はここ最近バイクを借りて旅することが多いのですが、実はバイクの修理が全くできません。パンクを直すことすらできないのです(原理はわかりますが道具を持っていません)。
それでベトナム最北部とか、アチェ州の山の中とか、東ティモールとか、かなり辺鄙なところに出かけていくわけだから、無謀といえば無謀です。「途中で故障したらどうするんだ?」と聞かれることもあります。
でも、案外何とかなってしまうものなのですね。パンクしたら近くに修理屋が見つかるものだし、事故ったとしても必ず誰かが助けてくれる。そう信じているし、実際にそうなったのです。
最悪の状況を考慮に入れて、常に万全の準備をして臨むのが本格的な冒険だとしたら、僕の旅はその対極にあるものです。いつも偶然の出会いに助けられてきたのです。あるいはその偶然性を楽しんでいるのです。
その体験が、僕の楽観的な性格を強化する方向に影響しているのは間違いありません。なんくるないさー(なんとかなるさ)が合言葉のようになっているのです。
あなたの場合には、どうも「自由な生き方」を観念的に捉えすぎていて、それに振り回されているように思います。あなたが本当にやりたいこと、実現したい夢があるのなら、それを実現できる現実的な方法を探るべきです。「挫折したらどうしよう」とか、「実現するまで時間がかかりすぎるのならやめておこう」とか、そういうことを考えていると、いつまで経っても行動は起こせません。
頼れる人がいるのであれば、頼ればいいと思います。「自立」というのは、なにも「誰にも頼らずに自分一人だけの力で立つ」という意味ではありません。「自立」と「孤立」は違うのです。多かれ少なかれ、人はみんな支え合っているものですからね。
しかしさっきも言ったように、「自由」という言葉の中には「行動に対する責任」が含まれていますから、誰かに完全に依存してしまうのは、逆に自由な生き方を遠ざける結果になってしまいます。
僕も20代前半の頃は、大いに迷っていました。だから変な言い方かもしれませんが、あなたには「大いに迷ったらいい」と言いたいのです。
様々な葛藤をくぐり抜けることは、きっと今後の人生において何らかの役に立つはずです。
迷うことを恐れないで、一歩前に進みましょう。