ラダックでのバイク旅がいよいよスタート。今回の相棒は、ロイヤルエンフィールド製のHunter 350cc。とてもパワフルだけど車体はコンパクトなので、ラダックの荒れた道でも軽快に走ることができます。完全な新車を借りることができたので、信頼性も高い。レンタル代は1日1250ルピー(2250円)です。
インド北部ラダック地方に点在するチョルテンの白がまぶしかった。チョルテンとは高僧の遺物などを収めたチベット仏教の仏塔のこと。石を積み上げてから漆喰で固め、石灰石を水で溶いた塗料で白く塗装している。長い時間を経て、雨風に晒され、徐々に形が崩れていく様は、諸行無常を感じさせる。
インド北部ラダック地方はさまざまな自然の脅威を見せてくれる。砂丘もそのひとつだ。パンゴンツォの南に広がる高原地帯に、ひっそりとたたずむ砂丘には、強い風が作り出した風紋が刻まれている。均整の取れた造形に、思わずため息が出た。
夕方の強烈な光と影が、ハンレ・ゴンパをドラマチックに照らし出す。ラダックにあるゴンパ(僧院)の多くは、このような岩山の上に建てられている。俗世間から離れた辺鄙な場所で、僧侶たちが修行に集中するためなのだろう。
ラダックのネット事情は劇的に良くなっている。レーのメインバザールで15分で手に入るAirtelのSIMカードを持っていれば、レー、ヌブラ、パンゴンツォ、カルギル、ザンスカールなどの主要なエリアでネットに接続できる。1日1.5GBで有効期間28日の新規SIMが500ルピー(900円)。絶対にゲットすべし。
ちなみに、デリー空港などで手に入る、インドのSIMカードはラダック連邦直轄地では「使えない」ので注意が必要。ラダックだけは別にSIMを購入しなければいけない。ラダックでもっともカバーエリアが広いキャリアはJIOだが、これは外国人観光客が買うことができない。
インド北部ラダック地方の湿地帯を歩く白馬。標高4200mの土地には、人の姿がほとんどない。馬や山羊やヤクたちが乏しい草を求めて歩く姿だけが、まばらに見えるだけだ。
インド北部ラダック地方でよく見かける野生動物といえばマーモット。地面に穴を掘って暮らす大型の齧歯類で、リスみたいに機敏ではなくて、走る姿がのそのそとしていてユーモラスだ。誰もいない草原に怪しい生物(僕のことだ)が現れると、キーキーという警戒音を発して仲間に知らせる。
「マニ車」はチベット仏教のお経を収納した仏具で、一回まわすと中のお経を一回唱えたのと同じ功徳があるとされている。携帯用の小さなマニ車を持ちながら、村に置かれた巨大マニ車を回している老人は、「本日ポイント2倍」みたいな感じで、功徳も一気に2倍積めるのだろう。
インド北部ラダック地方のスル渓谷で、ヨスと呼ばれる大麦焦がしを作るムスリムの女性。収穫した大麦の粒を大きな鉄鍋で煎り、それを水車小屋の石臼で挽いて粉にする。燃料にする木の枝が、勢いよく燃えて炎を上げていた。
ザンスカールにあるダランドゥルン氷河は、現地語で「ジグザグ」という意味の通り、大きく蛇行した氷河だ。数日前に雪が降ったらしく、この季節には珍しく白い輝きを放っていた。
ラダック地方の村で、山羊を連れている女性に出会った。次の日も、その次の日も、上から下まで全部同じ服装だった。標高4000mの土地では、乾燥して汗もあまりかかないので、着替えも洗濯もあまりしなくてもいいらしい。もちろんお風呂にも入らない。極限までシンプルな暮らしだ。
インド北部ラダック地方の塩湖「ツォカル」の完璧なリフレクションに息を飲む。標高4500mにあるツォカルは半分干上がった塩湖で、湖畔には化学薬品のような独特の臭気が漂う。風が完全に止むと、非現実的な「鏡の世界」が目の前に現れた。
ヒマチャルプラデシュ州マナリとラダック地方のレーを結ぶ道「マナリ・レー・ロード」は、物流の大動脈を担うべく工事が進んでいるハイウェイだが、標高5000mの峠をいくつも越える難所なので、完成はまだ先のようだ。大型トラックが何台も連なり、土煙を上げながら、ゆっくりと峠道を上っていく。
ラダックバイク旅が無事に終了し、レーに戻ってきました!標高5000mオーバーの峠を何度も越え、荒々しい自然の中を突き進む、最高にワイルドで楽しい旅でした。バイクも新車だったのでノートラブルで走りきることができました。ジュレー・ラダック!!
毎年のことだけど、僕はラダックに来ると、体調が良くなります。毎日粗食だし、歩いているだけで結構な運動になるし、精神的なストレスもまったくない。ってわけで、ラダックに1ヶ月もいると、2,3キロ痩せて自分の理想体重に戻るし、肌の調子もすごく良くなる。平地に降りるのがもったいないぐらい。
「旅を続けることが体力的にキツくなってきませんか?」って聞かれることがあるんだけど、あんまり思い当たる節がないですね。20代の頃にできたことが、今はできなくなったって思ったことがないし、「あ、もうすぐ50歳なんだ。いい年なんだ」なんて考え方はしない。少なくとも今の行動力がある限りは、ずっと旅人であり続けられるんじゃないかと、まぁなんとなく考えているのです。
問題は精神的な若さ、好奇心を保てるかどうかってことだと思います。目の前の風景に心底驚いたり、美しさに涙を流したり、受けた親切を心に刻みつけたり、そういうみずみずしい心の動きがあるうちは、まだ心が若いのです。そして肉体と違って、精神的な若さは死ぬまで維持できるものだと思います。