僕が人の笑顔を撮るようになったのは、最初に買ったデジタル一眼レフカメラ(EOS-D30)がたった300万画素しかなかったということが大きいと思います。風景を撮ろうにもクオリティーが低くて、とても鑑賞には堪えられない。だから自然と人にカメラを向けるようになったのです。それなら違いを出せると考えたわけです。
もし2000年当時に4000万画素を超えるような超高画素デジカメが存在していたとしたら、僕の写真はずいぶん変わっていたんじゃないかと思います。それが良いことなのか悪いことなのか、現時点からは判断できないのですが。ひとつ確かなのは、僕が写真を始めたのがたまたまたデジタルとアナログの過渡期にあったということ。だからこそ、僕のような素人同然の人間が写真家になれたのだと思うのです。
時代によって、ツールによって、表現が変わるということは確かにあります。フィルムの時代にはフィルム独特の色調や荒れやブレといったものが、作家の「味」として広く認知されてきたけれど、今はコンピューターによってその「味」の大部分が再現できてしまう。だからこそ、何を撮るのかがより重要になっていると思います。
インドの街角で出会った美少女。瞳がまぶしすぎます。
見ているだけで舌が痺れそうなトウガラシの赤。インド料理に欠かせないトウガラシはインド各地で大量に作られている。
こんなすてきな笑顔に出会うために。今日も一日インドの道を走っています。
今日もインドは平和です。誰もあえて声を大にして言わないけど、大切なことだから、もう一度繰り返します。インドはとても平和です。
バラナシ郊外で出会った村の子供。好奇心いっぱいの瞳がぐいぐい迫ってきます。
オリッサ州の山村で出会った子供。こんな笑顔に出会えるから、旅はやめられないんだね。
さんさんと降り注ぐ太陽のようにまぶしい笑顔が並んだ。山間の村の小さな小学校で出会った子供たちは、とてもピュアな目をしていた。
何かのついでに撮るぐらいの方が、印象的な少女が撮れる気がします。ほんとに輝いている子は、どこにいても何をしていても目立つものだから。
君の笑顔に会うために、僕はこの街に来たんだよ。
キラキラと輝く瞳が8つ並んでいました。