質問:好奇心の摩耗
三井さんはこれからまだまだ他の国を訪れて、写真を撮りたいと感じていらっしゃいますか?
僕はもうすでに25カ国ほど行き、なんとなく感動がなくなってきたように感じています。
最近、このことが凄く悲しいことだなーって感じています。感性が錆びてきた、または磨耗してしまったのでは?と思う昨今です。ほんとあとは坊さんにでもなるのかなー?なんて思いはじめました。
三井さんもたくさんの国、たくさんの場所を見てきて、もういいー、知りすぎてしまったと感じたことはないですか?
それともまだまだ撮りたいもの、訪れたい国がありますか?
三井の答え
確かに長く旅を続けていると、好奇心の摩耗を感じることはあります。特に30もの国を回った最初の旅では、僕も「旅の日常化」という問題に直面しました。
違う国に行き、違う風景を見て、違うものを食べても、もう既に経験したような既視感を覚える。最初の頃のように心が弾まない。それは、何ヶ月にも及ぶ長旅をしていると、誰しも経験することではないかと思います。
摩耗してきた感覚を再びリフレッシュするためには、やはり旅から離れることが必要でしょう。そのうえで、自分の旅を客観的に見ること、「自分が生きるべき日常」と「旅」とを相対化することが必要です。
僕は旅の経験を文章にして振り返り、写真集などの作品として発表することによって、そのような相対化をはかっています。写真にしても文章にしても、一度発表してしまうと、自分とはあまり関係のない領域に行ってしまうものなのです。そうすることで自分の中に溜まっている重い疲弊感が、ふっと軽くなる。そして、改めて旅に対する飢餓感が戻ってくるのです。
あなたの場合には、その相対化が上手く行っていないのではないかという気がします。例えば友達に旅の経験を話すのもいいだろうし、ホームページやブログで発表するのもいいでしょう。あるいは他の人が書いた旅行記を読むのもいいかもしれない。
旅の経験を自分だけのものにしないで、積極的に周囲とシェアする。そうすることで、摩耗した好奇心は再び活性化してくるはずです。
僕の頭の中には、「これから行きたい国リスト」がずらりと並んでいます。再び訪れたいところもたくさんあるし、まだ訪れていない国の中にもいつかは行ってみたいところがたくさんあります。
世界はとても広いし、とても美しい。
そんな世界の中で、僕が知っていることはごくごくわずかです。だから「もう知りすぎてしまった」なんておこがましいことは、とても言えません。