ホームページ「たびそら」を立ち上げてから12年が経ちました。当初は、こんなに長く続けることになるとは夢にも思いませんでした。これもひとえに皆さんからの熱い応援のおかげです。
この12年間、僕は様々な場所に行き、数え切れないほど多くの人にカメラを向けてきました。楽しい出来事もあれば、背筋が寒くなるようなアクシデントにも遭遇しました。
これから「たびそら」の歴史を振り返りながら、僕にとって「旅」とは何なのか、「写真」とは何なのかを、じっくり語っていきたいと思います。
初めての海外旅行が10ヶ月の長旅に
2001年に行った「ユーラシア大陸一周の旅」で撮った写真は、はっきり言って稚拙なものばかりだ。旅に出る前、僕は写真についてほとんど何も知らなかったし、人を撮った経験もなかった。もちろん写真家になるつもりなんてなかったから、まったくの我流でただ思うがままにシャッターを切るだけだった。
カメラの性能もひどかった。当時発売されたばかりの「EOS-D30」というキャノンの一眼レフデジカメは、たった300万画素(!)しかなく、高感度ノイズも多いし、色の再現性も悪かった。メモリーカードの容量も低かったから(たしか64MBを二枚持って行ったはずだ。ここで注意すべきは「GB」ではなくて「MB」だってこと)、一日に切るシャッターの数も今と比べると桁違いに少なかった。10ヶ月の旅で9000枚。平均すると一日に30枚しか撮っていなかったのだ(今は一日500枚ぐらい撮っている)。
300万画素しかないカメラで風景写真を撮ろうとする人はまずいない。画像のアラが目立ちすぎるからだ。だから僕が風景や建物ではなく人にカメラを向けるようになったのは、「カメラの貧相なスペックをカバーするための苦肉の策」という側面もあったわけだ。
ともあれ、この低解像度の素人写真が「アジアの瞳」という写真集にまとめられることになり、それが増刷を重ねて1万部以上売れてしまったのだから、世の中何が起こるかわからない。
恥ずかしいほど写真がヘタだった
当時の写真を見直してみると、いい意味でも悪い意味でも「何も考えていない」ことがわかる。構図も練られていないし、光の効果も意識していない。「あ、いいな!」と思った瞬間にカメラを構えて、夢中でシャッターを切っている。ほとんど脊髄反射だ。カメラの扱いにも慣れていないから、シャッタースピードが遅くて手ぶれを起こしていたり、ピンぼけに気づかないまま撮った写真も多い。
恥ずかしくなるほど下手だ。
しかし下手なりに、いや下手だからこそ宿る荒削りな力があるようにも思う。技術的には稚拙だったけれど、何を撮りたいか、写真を通じて何を伝えたいかだけはとてもはっきりしていた。
とにかく人を撮りたい。その人が持つすばらしい表情を捉えたい。
それだけを考えて、前のめりになって旅を続けていたことだけは、この写真から伝わってくる。
「ユーラシア大陸一周の旅」は10ヶ月にも及んで、そのあいだ僕は毎日のように町から町へと移動する慌ただしい旅人だった。暴れ馬の背に乗っかって、振り落とされないように必死で食らいついている。そんな日々だった。
そんな僕に「瞬間」は何度か訪れた。「たびそら」を読んでいる方にはすっかりおなじみだと思うけれど、このネパール人の少女サリタの写真も偶然の産物だった。僕が彼女を笑顔にしたわけではない。たまたまそこに笑顔があって、僕はただそれを切り取っただけだった。
タバコを吸うイランの男たちの写真も、印象に残る一枚だ。町をぶらぶらと歩いてたら、実に仲よさそうに二人一緒にタバコに火をつけるおっさんに出会った。カメラを向けると上機嫌で笑って、「俺たちを撮ってくれてありがとうよ」とかたい握手をしてくれた。腕っ節が太く、胸板の厚い男たちがいる国、イラン。実に男っぽい国だった。
12年前のはじめての旅が、その後の人生に決定的な転機をもたらした。このあと僕は何かにとりつかれたようにアジアの国々を放浪することになる。カンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、インド、ネパールなどは繰り返し何度も訪れた。
しかしあれ以来一度も訪れる機会のない国も多い。モンゴルもそのひとつだ。だだっ広い草原と青空、牛や馬、本当にまばらにしかない人の姿。モンゴルはとてもユニークな国だった。ここにしかない暮らしと、そのリアリティーは圧倒的だった。馬の乳を飲み、チーズを食べ、恐ろしく澄み切った夜空を眺めながら暮らす人々が、そこにはいた。