いつものようにオリッサ州プリーでバイクを借りて、インド一周の旅を始めました。まずはオリッサ州の山岳地帯にある先住民アディヴァシの人々が住むエリアに向かいました。
ここはネットが繋がらない場所だったので、6日間「ネット断食」状態に。そのあいだに45歳の誕生日を迎えたのですが、誕生日に腰痛が悪化して、ベッドから起き上がれないような状態になってしまったのでした。
誕生日と腰痛によって「もう若くはない」という事実を突きつけられているようで、すっかり弱気になっていましたが、翌日からは何とか体調も回復して、オリッサ州の山奥を走り回りました。健康って大事だなぁと改めて感じています。
旅先で何が起きるかは、事前にはわかりません。逆にいえば、事前に何が起きるかわかっている旅なんて、そもそも「旅」とは呼べないんだと思います。もちろん旅にはトラブルがつきものだし、体調を崩すこともあるけど、それを進んで受け入れなければ、旅先で「スペシャルなもの」を手に入れることはできないのです。僕にとってスペシャルなものとは、こんなとびっきりの笑顔に出会える瞬間なのです。
インドのクリスマスと日本食レストラン
インドからメリー・クリスマス! サンタさんの隣にいるのはネズミのミッキーさんの親戚です。顔色は悪そうだけど、気にしないでください。
ヒンドゥー教徒が人口の大半を占めるインドではクリスマスを盛大に祝うことはしないけど、南インドにはクリスチャンも多いので、人々が「ハッピー・クリスマス!」と声を掛けてきます。街の肖像画屋では、イエス・キリストとシヴァ神やガネーシャが隣り合って売られていました。宗教の共存を感じさせる光景です。
「ぽつんと一軒家」ならぬ「ぽつんと日本食レストラン」を発見。チェンナイから車で1時間半もかかる田舎になぜ?と疑問に思ったが、このあたりの工業団地に日本企業がいくつも進出していて、そこの日本人駐在員が利用する和食レストランのようです。スパイシーな国・インドでは日本食が恋しくなりますね。
僕自身は4ヶ月ずっとインド料理でも、アルコール抜きでも全然平気なんだけど、それは好きでインドを旅しているからであって、仕事でインドに来ている駐在の人にとってはインドの保守的な外食事情はストレスだろうなと思います。チェンナイはノンベジも豊富だからマシな方かもしれないけど。
ツナミ・デイ
チェンナイを歩いていると「今日はツナミ・デイだ」と言われました。ちょうど15年前、2004年12月26日にインドネシア・スマトラ島沖で発生した大地震によって発生した津波は、遠く離れたインド沿岸にも甚大な被害をもたらし、インドだけでも1万2000人もの犠牲者を出しました。チェンナイの漁港では犠牲者を追悼する儀式が行われていました。
15年前に発生した大津波はアジア各地に凄まじい破壊をもたらし「ツナミ」の恐ろしさを世界中に知らしめました。そして日本語の「津波」は、そのまま国際共通語「ツナミ」として多くの人に認知されるようになったのです。
僕も被災直後のスリランカとアチェを訪れて、その破壊力を目の当たりにしましたが、まさか6年後に日本で同様の災害が起きることになるとは、このときは予想すらできませんでした。天災は忘れた頃にやってくる。この言葉を胸に刻まなければいけません。
インドの踏切でお馴染みの光景
インドの踏切でお馴染みの光景が、この「遮断機くぐり」だ。下手をすると15分以上待たされることもある踏切では、バイクや自転車はおとなしく待つことなく、どんどん遮断機の下をくぐり抜けていく。中には芸術の域にまで洗練されたくぐり方を披露してくれる人もいて、見ていて飽きない。
インドの踏切でお馴染みの光景が、この「遮断機くぐり」だ。下手をすると15分以上待たされることもある踏切では、バイクや自転車はおとなしく待つことなく、どんどん遮断機の下をくぐり抜けていく。中には芸術の域にまで洗練されたくぐり方を披露してくれる人もいて、見ていて飽きない。 pic.twitter.com/P0DlkNwxoc
— 三井昌志@インド一周中 (@MitsuiMasashi) December 27, 2019
僕も何度か「遮断機くぐり」をやったことがあるけど、けっこう難しい。バイクを水平に保ながら一気に腰をかがめてくぐるという高い技術が必要なのです。だから大人しく踏切の前で待っていると、インド人に「お前、なんで待っているんだよ」という目で見られるのです。インドとはそういう世界なのです。
ちなみに街中にある踏切の場合、列車はかなりスピードを落として、しかも大音量で警笛を鳴らしながら接近してくるので、踏切事故は案外起きないようです。「遮断機くぐり」をする人よりも、線路のそばに住みついているスラム街の住人や、線路上でものを売り買いする人たちの方が危険かもしれません。