陸の孤島・ミャウーへ

 外国人旅行者が急増しているミャンマーにあって、ラカイン州の古都ミャウーはいまだに観光客がとても少ない町だ。この地を訪れるために、旅行者はまず飛行機でヤンゴンからシットウェイに飛び、そこからボートで7時間かけてミャウーに向かうことになる。お金と時間をたっぷりかけないと辿り着けないという難易度高めの土地なのだ。

 

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 そのご褒美として、旅行者は誰にも邪魔されることなく遺跡に向き合うことが許される。自撮りに励むミャンマー人観光客もいないし、しつこい物売りもいない。バイクの騒音も響かない。ときどき鶏の鳴く声だけが遠くから聞こえる。そして朝の透明な光が仏教遺跡を美しく照らす。陸の孤島としての不便さが、この静寂を守っているのだ。

 

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 僕は飛行機ではなくバイクでミャウーにやってきた。マグウェイという町から山道を13時間走り続けて、ようやく辿り着いたのだった。我ながらバカなことをやるもんだと思う。でも、それが可能だとわかったら、どうしてもやってみたくなったのだ。大変な道のりだったが、その価値はあった。

 

ロヒンギャの村へ

 ミャウー郊外には「ロヒンギャ」と呼ばれるイスラム教徒が住む村が点在している。少数派であるロヒンギャは多数派の仏教徒から差別され、移動の自由もなく、市民権を与えられずにいる。2012年に起こった大規模な衝突によって、数多くのロヒンギャ住民が虐殺され、多くの村が焼き払われた。

 僕が訪れたミャウー近郊の村は、落ち着きを取り戻していた。隣人である仏教徒とも(少なくとも表面上は)問題なく共存している。しかしバングラデシュ国境に近いラカイン州北部は事情が違う。毎日のように住民同士の衝突が起こり、殺されているのだ。そのようなニュースを村人たちは悲痛な面持ちで聞いている。

 

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ロヒンギャに対する差別は苛烈で、暴力は想像以上だった。それでも住民たちはたくましく生きている。その姿に胸打たれている。

 

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「僕らはこの村から外へ出ることができないんです」とロヒンギャの若者は言った。「町で買い物もできないし、病院にも大学にも行けない。仕事なんてありません」狭い村の中に閉じ込められた若者のやり場のない怒りが、レンズを通して伝わってきた。

 

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 彼らは大地に種をまき、大切に育てきた。他の民族と同じように、ミャンマーの地に根を張って生きてきた。そんなロヒンギャたちを一方的に追い払おうとするのは、あまりにも理不尽だ。ロヒンギャには「帰る場所」などない。ここが彼らの故郷なのだから。

 

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 ロヒンギャの人々は、独自の言葉(ロヒンギャ語)を話し、文化も伝統も他の仏教徒とは大きく異なっている。しかしタナカの習慣は別で、ロヒンギャの女性や子供の顔にも、ビルマ人と同様にタナカが塗られている。

 

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川のそばに住むロヒンギャの子供たちの朝の日課は水汲みだ。アルミ製の水瓶は水を入れるとかなり重いが、家と川の間を何度も往復して水を運ぶ。子供たちにも家族の一員として果たすべき役割がある。

 

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ロヒンギャの村はとても静かだ。電気がなく、テレビもなく、娯楽と呼べるものは皆無だ。そんな静かな村で、人々はやるべき仕事に黙々と取り組んでいる。この若者は収穫したお米のもみ殻を風で吹き飛ばしていた。

 

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ロヒンギャの子供はタフだ。手製のパチンコを使ってコウモリを撃ち落とし(頭を狙って一撃)、それを通りかかった車に売りつけていた。コウモリなんて美味しいんだろうか?ちょっと食べてみたい気もする。

 

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ロヒンギャのことを知りたくて、ロヒンギャのことを知ってもらいたくて、ラカイン州滞在が一日また一日と延びている。この土地は僕にとって特別な意味を持ち始めている。絶望と希望を同時に感じさせる場所なのだ。そして、とても美しい場所なのだ。