ミャンマー西部ラカイン州に住むムスリム住民「ロヒンギャ」の村を訪れたのは、去年の11月のことだった。そのときまで、僕はロヒンギャのことをあまりよく知らなかった。たまにニュースで見聞きするぐらいで、複雑な歴史や政治的な背景にまで関心を持つことはなかった。
そんな僕がロヒンギャの村々を訪ねることになったのは、運良く「バイクでラカイン州に行ける」という情報を得られたからだし、そのバイクであちこち自由に走り回れたからだ。僕はいつもと同じようなスタンスで、いつもと同じような距離感で、ロヒンギャの人々に出会い、写真を撮ることができた。
そこで彼らの現実を知り、愕然とすることになる。市民権を持たない「捨てられた民」であるロヒンギャたちが置かれている理不尽な状況に、強い憤りを感じることになる。
ロヒンギャの人々は暴力と差別に屈しない強さを持っていた。黙々と畑を耕し、種をまき、ため池に網を投げていた。そうやって日々を生き抜く人々の姿を、僕は写真に撮り続けた。
6月25日に渋谷で行う「帰国報告会」では、ロヒンギャの暮らしぶりについて詳しくお話しします。
ロヒンギャの男が、ピーナッツを植えるために畑に杭で穴を開けていた。市民権のないロヒンギャの人々は、村の外へ出ることができないから、農業しか生きていく道がない。畑を耕し、種を植える。昔ながらの暮らしを続けるしかないのだ。
村に住む少女。ボーイッシュな髪型と強い意志を感じさせる瞳が印象的だった。
ロヒンギャの少年が網を投げて魚を捕まえていた。乾季である11月は池の水位が低く、体長2,3センチの小魚しかいない。それでも夕食の足しになればと、毎日こうして網を投げているという。
ロヒンギャの村を訪れると、たちまち子供たちの笑顔に囲まれた。珍しい外国人に屈託のない笑顔を見せてくれる様子は、好奇心が強いバングラデシュの子供たちとそっくりだった。
マドラシャー(イスラム学校)で学ぶ少女。マドラシャーではアラビア語で書かれたコーランをそのまま詠み上げ、一言一句間違えないように暗唱する教育が行われている。
畑を手伝い、牛を追い、魚を捕まえ、そうやって彼らの一日が終わる。彼らには村の外に出る権利がない。村の中で生き続けるしかない。
大きな瞳でこちらを見つめる少年。ボロボロのシャツを着て遊んでいた。
川底の石を積み上げる人々。建築資材として使う石を集めているようだ。現金収入を得られる仕事がほとんどないロヒンギャの村では、こうした肉体労働で何とか食いつないでいる人が多い。
村の小学校を訪ねた。木と竹で作られた古い高床式の校舎で、子供たちが学んでいた。ロヒンギャの子供たちは村の外に出られないから、高等教育を受けるチャンスはない。
夕暮れが迫る中、畑仕事に精を出す人々。ロヒンギャの村の農業は、今でも牛の力と人手に頼ったもの。15歳前後の少年も一人前の働き手として家族を支えている。
・6月25日(日) 東京・渋谷 「帰国報告会」+「写真教室ステップアップ編」