今から15年前、2004年は僕が写真家として初めて本格的に旅をした年だ。
当時使っていたのはキヤノンのEOS-10Dというカメラで、600万画素しかなかった。解像度は笑っちゃうほど低く、ダイナミックレンジは狭かった。圧倒的にフィルムの画質が勝っていた時代だった。だから画質とは違う部分で勝負するしかなかった。笑顔にカメラを向けたのは、そんな理由からでもある。
いつも「そのときにしか撮れない写真」を撮ろうとしていたと思う。今の自分にしか出会えない笑顔や、もう二度と立ち会うことができない場面を探して、長い旅をしていた。
表現としてはまだまだ稚拙だったけど、15年前に撮った笑顔には迫力がある。もう二度とは撮れない表情をなんとか切り取ってやろうとする執念が、込められているように思う。
ネパールの山村で、畑の中を楽しそうに歩いている少女に出会った。学校の帰り道なのだろう。僕がカメラを向けると、満面の笑みで応じてくれた。(2004年撮影)
ネパールの山村に住む少女達は写真を撮られることに慣れてはいない。それなのに妙な外国人が突然現れてカメラを構えても、恥ずかしがって逃げ回るわけでもなく、無理に笑顔を作るわけでもなく、ありのままの自然な表情で見つめ返してくれた。(2004年撮影)
ネパールで出会った笑顔の姉妹。仲良さそうに顔をくっつけ合っている姿がかわいかった。(2004年撮影)
独特の髪型が目を引くネパールの少女・ソージタは7歳。もちろん普段からこんなファンキーな髪型をしているわけではないのだが、その天然パーマがかわいいねと声を掛けると、お姉ちゃんが面白がってモシャモシャと頭をかき混ぜてくれて、このアフロヘアーが完成したのだった。(2004年撮影)
少女の名はマヌクマリ。ネパールの小さな村に住む6歳の女の子だ。カメラを向けてもニコリともしない。弟の重さ以上のものを背負っているような、そんな顔をしている。(2004年撮影)
ネパールの山村で出会った少女は、井戸水を汲んだ水瓶を竹かごに入れて運んでいた。毎日の水汲みは子供たちの仕事。そうやって日々をたくましく生きている。
山から運んできた大量の薪を背負って、家路を急ぐ女の子。ネパールの山村に住む人々にとって、水や燃料の確保は、一日の多くの時間を費やす仕事だ。
昼寝から起きたばかりの少女が軒下にいた。ネパールの家屋は屋内よりも軒下の方が居心地がいい。天気のいい日中なら、窓が小さく電灯もない部屋の中にこもる人は稀で、みんな明るくて風通しのいい軒下に集まってくる。軒下にはござが敷いてあり、昼寝するのにもうってつけの場所だ。(2004年撮影)
ネパールの霧深い朝、トウモロコシの畑に種を蒔く人の姿があった。男達が牛に鋤を引かせて掘り起こした土に、女達が種を蒔く。雨期を間近に控えた4月半ばは、種蒔きをいつにするのか、悩ましい日々が続く。(2004年撮影)
若々しい緑に覆われたネパールの棚田。この棚田が膨大な時間をかけて作られたものであることは、あぜの部分に積み上げられた石垣を見ればわかる。削げる部分を全て削ぎ落とした後に残るかたち。シンプルで力強く、一切の無駄を排した美しさがネパールの棚田にはあった。
空っぽの籠を背負って歩く女たちに出会った。森に薪を取りに行く途中だという。村から森まで1時間歩き続け、籠に薪を満載してから村に引き返すのだ。急な山道を上ったり降りたりしているのに、歩調は少しも乱れなかった。ネパール人の足腰の強さにはかなわないと思った。(2004年撮影)
ミャンマー中部に住む少数民族カレン族の村で、大きな豚が一心不乱に残飯を漁っていた。今も焼き畑農法による自給自足生活を続ける辺境の村だ。鶏や豚も飼ってはいるが、それらの肉を口にするのは特別な日に限られているという。
柱の陰からそっとこちらを見つめる少女と目が合った。ミャンマーの子供達が顔に塗っているのは、「タナカ」と呼ばれる天然化粧品&日焼け止めだ。ミャンマーに自生するタナカの木の幹をすり下ろしたものに水を加えて顔に塗る。日差しの強いこの国には、なくてはならないファッションアイテムだ。
ミャンマーの田舎道を歩いていると、頭に巨大な荷物を載せて歩く女達とすれ違った。運んでいるのは米が原料のおせんべい。村で作ったものを町の市場まで運ぶ途中だという。見た目よりは重くない(だからこそ手放しでも運べる)とはいっても、なかなかの重労働である。(2004年撮影)
少女は窓の外から授業の様子を見つめていた。仲間外れになっているとか、罰を受けているわけではなく、自らの意志で教室に入らないのだ。本当は学校に通いたいのだけれど、何らかの事情で通えないのかもしれない。教科書やノートを買う余裕のない家庭も、カンボジアには数多くあった。(2004年撮影)
カンボジアで出会った少女は、井戸水を汲んだバケツを肩に担いで歩いていた。カンボジアには「暑いから」とか「シラミが湧くから」といった理由で髪を短くしている女の子も多かった。(2004年撮影)
バングラデシュの首都ダッカの路上には「耳掃除屋」がいた。プロにやってもらう耳掃除は気持ちがいいのだろう。客の男は恍惚の表情を浮かべていた。