イラクで武装組織に拘束された香田証生さんの遺体が見つかったというニュースが流れた。今の時点で彼本人かどうかは確認できていないということだけど、状況から見て香田さんと考えて間違いないだろう。とても残念なことだ。謹んでご冥福をお祈りする。
 
 今年の前半に日本人ジャーナリストやボランティアの方が誘拐されて、それで世論が大揺れに揺れたとき、僕はネパールの山奥を旅していたので、詳しい状況は全く知らなかった。自分がこれからアフガニスタンに行こうとしていたこともあって、「そういうことに巻き込まれる可能性はあるだろう」という認識はあったものの、あくまでもそれは遠い国の遠い出来事だった。
 
 しかし今回の香田さんの事件は他人事ではなかった。香田さんが「たびそら」を旅の参考にしていたらしい、ということを聞かされたこともあるし、彼がアジアを旅するバックパッカーだったということもある。
 というわけで、今回の事件について僕が思うことを少し書いてみたいと思う。
 
 まず、いくつかの点で問題が混同されているところがあるので、それを整理していきたいと思う。
 
 第一に、自衛隊撤退の問題。これは国家が決めた方針に基づいて派遣しているわけだから、一人の旅行者が誘拐されたからといって、撤退するべきではないと思う。その点では日本政府の決断は当然だと思う。
 
 しかしそのことと「現時点で自衛隊がイラクに駐留していることは妥当なのか」という問題は分けて考えるべきだ。アメリカの情報機関と政府高官が、相次いで「イラクに大量破壊兵器はなかった」という証言をしている。そもそもイラク戦争に大義などなかったということを、アメリカ政府も認めざるを得ない状況になっている。しかもイラク国内の治安と対米感情は悪化する一方だ。結局、戦争はイラクを混乱に陥れただけだった。
 
 ブッシュ大統領は「もしサダム・フセインが今も大統領の座にあったら、国際テロ組織と結託し、世界は更なる混乱に陥っていたはずだから、イラク戦争は正しかったのだ」ということを繰り返し述べているけれど、これは明らかな詭弁である。歴史に「もし」はない。あるのはその時持っている選択肢の中で、最も正しいと思われる行動を取るか、ということだけだ。しかし、選択肢そのものが「戦争」という一方向に向かうよう恣意的に歪められていたことが明らかになった今、戦争を起こした者、つまりアメリカ大統領の責任が問われるのは当然だと思う。
 
 そういう現実を踏まえた上で、僕はイラクへの自衛隊派遣は間違いであったと思うし、撤退するべきだと思う。そしてそれはアメリカの決定に追従するかたちではなく、日本独自の判断で行われるべきだ。
 
 第二に、「誰がイラクに行ったのか」という問題。これはつまり、ジャーナリストがイラクに入って取材するのと、旅行者が物見遊山で行ってしまったこととは、分けて考えるべきだということ。
 
 ジャーナリストは死ぬ。ロバートキャパも、沢田教一も、一ノ瀬泰造も戦場で亡くなった。戦地を取材する人間は常に死の危険を両肩に背負っている。そういった人々の犠牲によって、我々は初めて戦争の真実を知ることができるのだ。
 
 だからこそ、さしたる目的も持たずに安易にイラクに入って自分の身を危険に晒してしまった香田さんの行為は、非常に軽率だったと言わざるを得ない。自分の命は自分で守らなければいけない――それは外国を長く旅していると、自然と身に付いてくる感覚だ。旅人は「危険を察知するセンサー」を鋭敏にしておかなくてはいけないのだ。
 
 現時点で旅行者がイラクに入り、一人で町中をうろつくのはあまりにも危険が高すぎる。それでもイラクに行ってしまったということは、香田さんの「危険を察知するセンサー」が非常に鈍っていたということなのだろう。
 
 今年アジアを旅しているときにも、イラクに行ったという旅行者に出会った。彼らは「さしたる危険はなかった。ビザなんて5秒で発行してくれますよ」と言っていた。それ事実だろう。しかしその事実は「死んだ者はその事を誰にも話すことができない」という原則に基づいたものであって、「無事に帰ってきた人がいるから安全だ」ということにはならないのだということを肝に銘じなくてはいけないと思う。たまたま地雷を踏まずに歩いてきた人がいたからといって、そこに地雷がないということにはならないのと同じことだ。
 
 しかし僕の中には、「イラクみたいな危険な場所に行くのは馬鹿げている」と一方的に言い切れない部分がある。僕には「危険はある程度覚悟の上で、それでもそこへ行ってみたい」という旅人の気持ちが痛いほどわかるからだ。
 
 僕は今年の5月に旅行者としてアフガニスタンを旅した。治安が安定し、テロも散発的にしか起こらないとは言え、アフガニスタンが今も危険な国であることには変わりがない。僕がアフガンに入る数日前に、ヨーロッパ人の旅行者二人がカブール近郊で殺されたということも聞いていた。それでも僕はアフガンに入った。その決定は誰にも頼らずに自分一人で行った。
 
 旅先では、誰も自分の命を保証してはくれない。だからこそ、情報を収集し、それを分析したうえで、自分の「好奇心」と「危険を察知するセンサー」とのバランスを取ることが、旅人にとって大切なのだと思う。
 
 僕はアンマンのバスターミナルに行って、バグダッド行きの運転手と料金の交渉をしている自分を想像してみる。バスは意外なほどあっさりと国境を突破するだろう。荒涼たる砂漠に一直線に伸びた幹線道路の脇には、破壊された装甲車の残骸が無惨な姿を晒している。バグダッドの街は一見すると平和そのものに見えるかもしれない。マーケットにはモノが溢れ、アラブの男達が声を張り上げている。そのような光景を、僕は想像してみる。
 
 香田さんの死は、僕にとって他人事ではない。
 彼はイラクに行って死んだ。僕はイラクに行かなかったが、行く可能性はゼロではなかった。
 いくつかの可能性を取捨選択する中で、僕は今ここに生きている。