美味しいものを食べ、青空の下で遊び、大声で歌う。それだけで人は幸せになれる。
トルコ国境を越えてからも、長距離バスを乗り継ぐだけの日々が続いた。気持ちはイスタンブールに向かっていた。
アヘンやヘロインの原料になるケシの栽培は、野菜や小麦を作るように普通に行われていた。
道のりがハードになるほど、得られるものが大きくなる。アフガニスタンとはそういう土地だ。
死ぬことは別に怖くはなかった。父さんや母さんにもう会えないんだな、と思っただけだ。
アフガン人がよそ者に対して抱く強い警戒心は、タフな土地で生き抜くために必要不可欠なものなのだろう。
タリバン政権下では教育を受けることも許されなかった女の子たちが、真剣な眼差しを黒板に向けていた。
バーミヤンの青空の下で見るブルカは、抑圧のシンボルであることを越えた美しさがあった。
バーミヤンの男達はとても存在感があった。農夫の顔には彫刻刀で彫ったような深い皺が刻まれていた。
ジャララバードと首都カブールを結ぶ唯一の公共交通機関は乗り合いハイエースだった。