アンコールワットを訪れた外国人ツーリストが必ず受けることになるのが、物売りと物乞い達の洗礼である。外貨の集まるところには、当然のようにそれを当て込んだ人々が集まってくるのだ。
「オニィサン エハガキ ヤスイヨ!」「ツメタイ ノミモノ イカガデスカ?」
まだ10代の女の子達が、遺跡の入り口で声を張り上げている。どこで覚えたのかは知らないが、物売りが喋るカタコトニホンゴというのは、国境を越えて共通しているから不思議だ。でも商売熱心さという点では、隣国のベトナムには及ばない。それが国民性の違いによるものなのか、まだ商売に不慣れなせいなのかは、よくわからないが。
頼みもしないのに、勝手に遺跡のガイドを始める子供もいる。10歳そこそこの男の子が、妙に流暢な英語で、「こちらが《象のテラス》です。12世紀にジャヤヴァルマン7世が造りました」
と、ガイドブックそのままの知識を、息継ぎなしで披露するのだ。でも、彼らはガイドの文脈に沿った英語しか話せないので、それ以上の突っ込んだ質問をしても、答えは返ってこない。要するにガイドの真似事をして小銭を稼ごうという魂胆なのだ。子供なのに感心だなんて思っていると、「はい。ガイド料、5ドルね」と厚かましくも右手を差し出してくるから、油断してはいけない。
もっと小さな子供なら、ガイドみたいな回りくどいやり方はせずに、直接右手を出して金をせびってくる。どの子も1ヶ月以上洗っていないようなボロボロの服を着て、垂れた鼻水をすすりながら、「ハロー!ワンダラー!ワンダラー!」 と連呼する。どうやら「1ドル」というのが、アンコールワットでの合言葉になっているらしい。
カンボジアの物価を考えれば、1ドルというのはかなり大金である。売店で働く女の子に聞いてみても、月収10ドルから15ドルぐらいだというし、公務員ですら月収20ドルだという。だから、子供達が観光客に片っ端から声を掛け回って、それが一日一度だけ成功したとしても、大変な収入になることがわかる。
でも、アンコールワットのワンダラー・ボーイズ達からは、卑屈さや切迫感のようなものはあまり感じなかった。専業の物乞いになっているわけではなく、とりあえず手を出してみて、あめ玉ひとつでも貰えりゃラッキーさ、という無邪気な明るさがあった。
首都プノンペンにも物乞いの少年がいたし、ピーナツや煙草を盆に載せて売り歩く5,6歳の少女もいた。彼らは一様に疲れていて、目に力がなかった。6歳にして、世の中への興味をすっかり無くしてしまったような、乾き切った表情をしていた。それに比べれば、アンコールの子供達はずっとのびのびと暮らしているように見えた。
ヘビを食べる少年
たとえ世界遺産であっても、そこに暮らす子供達にとっては、アンコールの遺跡群もただの砂場であり、巨大なジャングルジム(本当にジャングルの中にある!)でしかない。
かつて王国の繁栄を支えたため池は、男の子が素っ裸で水を掛け合うプールになっていたし、寺院の壁の一部だった石は、ままごと遊びの机代わりに使われていた。何でも遊びに変えてしまう彼らの姿は、時を止めたモノクロームの遺跡の中で、とても色鮮やかに映った。
中でも、とりわけ印象的だったのが「蛇少年」だった。僕が遺跡を少し外れた森の中を歩いていると、やぶの奥でガサガサという何かが動く音がして、その直後に子供の叫び声が上がった。驚いて声の方を見ると、蛇を手で捕まえた男の子二人が、やぶの中から飛び出してきた。長さが1m以上はある、かなり立派な蛇だった。彼らはその獲物を僕の目の前まで持ってきて、すげぇだろという風に笑った。
「これ、どうするんだ?」 と僕が身振りで訊ねると、男の子は「食べるんだよ」 と当たり前のように言った。
冗談だろうと思っていると、すぐに二人は蛇の皮を剥いでいき、ナイフで適当な長さにぶつ切りにした。そして、小枝と枯れ葉を集めてきて火をつけ、蛇をあぶり始めた。バーベキューでソーセージでも焼いているような雰囲気だった。
僕は彼らの手際の良さにすっかり感心して、しばらくその様子を眺めていた。パチパチと枝のはぜる音がして、白い煙と共に肉の焦げる匂いが立ちのぼってきた。彼らは火の中から蛇を取り出して、焼け具合を確かめてから口に運んだ。
「あんたも食べる?」
と、一人がしっぽの方を僕にも勧めてくれたが、正直言って食べたいとは思わなかった。だいたい食べて大丈夫なのかさえ怪しいのだ。でも、ここで断ったら日本男児の名折れだという柄にもない思いと、ほんの少しの好奇心とに負けて、食べてみることにした。僕はなるべく火が通っていそうな部分を選んで、一切れだけちぎって口に入れた。
「・・・・・・・」
僕がしばらく言葉を失っていると、蛇少年二人は顔を見合わせて、ゲラゲラと笑い始めた。本当に食べるとは思わなかったのだろう。
実際のところ、蛇肉は美味いとは言えないものだったが、すぐに吐き出してしまうぐらい不味いものでもなかった。だからリアクションに困ってしまったのだ。風味としては「パサパサに乾燥したチキン」というのが一番近いかもしれないが、よほど空腹でない限り、一口食べればそれ以上は要らないという味だった。マヨネーズでもあれば、いくらかマシだったかもしれないが。
しかし、たくましい蛇少年達は、その蛇肉を全部平らげてしまった。あとには皮と少しの内臓しか残らなかった。遊び心と空腹の両方が満たされた彼らは、とても幸せそうだった。
警察手帳をお土産に?
老若男女を問わず、アンコールワットに暮らす人々に共通して備わっているのは、何でも商売に変えてしまうしたたかさだった。
タ・プロム寺院の中で、竹ボウキを使って熱心に落ち葉を掃除していた老人が僕を手招きするので、近寄ってみると、彼はポケットの中からミニチュア仏像を取り出した。「これ、1ドルで買わんか?」と言うのである。
そうかと思えば、アンコールワットの石仏に線香を上げている信心深かそうな老婆が、「1ドルおくれ」とそっと囁いてきたりもした。近くの僧院で修行をしているという若い坊さんとしばらく話をしたときも、最後に「実はお金に困っているのですが」という話になって、後味の悪い思いをしたこともあった。誰が物乞いや物売りで、誰がそうでないのかを見極めるのは、容易なことではないのだ。
こんなこともあった。僕がトム・マノンという人気のない遺跡を歩いていると、背後から声を掛けられた。振り返ると、ポリスらしき青い制服を着た若い男が、こっちに歩いてくるのが見えた。彼が尻のポケットに手を突っ込んだので、僕はとっさに身構えた。プノンペンでは、不良警察官が外国人観光客から金をせびり、それを断ると拳銃を突きつけてくるという、かなりおっかない話を聞いていたからだ。
でも彼がポケットから取り出したのは、警察手帳だった。そして、こう切り出した。「これ、土産にどうだ?」 賄賂の要求でも職務質問でもなく、自分の警察手帳を売ろうというのだ。
「安くしとくよ。10ドルだ。もちろん本物だ。他では買えないぜ」
警官はつたない英語で、売り込みを始めた。そう言われても、要らないものは要らないんだよ。僕がいつものように「ノー」と首を振ると、彼はそれ以上しつこくは言い寄らず、別の観光客を求めてどこかへ行ってしまった。
でも警察手帳を売ってしまった後、彼はどうするつもりなんだろう? 職場には「紛失しました」とでも報告するんだろうか? そんな手が何度も使えるんだろうか? 考えれば考えるほど、わからない国である。もっとも、公務員の月給が20ドルで、それすら支給が滞っているという状態であれば、こういった副業に精を出す人間が現れても不思議はないようにも思うけど。
「猿少年」に出会ったのは、アンコールワットの東側にある僧院の近くを歩いているときだった。僧院の庭には一本の大木が生えていて、少年はその幹に寄りかかって、小ぶりの桃ぐらいの大きさの果物を食べていた。「それ、この木から取ったのかい?」
と僕が訊くと、彼はそうだよと頷いた。そして、ジャングル育ちの手長猿のようにするすると木に登り、適当な実をもいで放ってくれた。まさに猿カニ合戦の猿である。
かじってみろ、と言われるままにかぶりついてみると、これが渋くて食べられたものじゃない。それを見て猿少年はけらけらと笑った。どうやら一杯食わされたらしい。「そりゃ、そのままじゃ食べられないんだよ」
近くで炊事をしていた母親が、見かねた様子で包丁を取り出してきて、皮を剥いてくれた。謎の果物はビワに似たほのかな甘みがあったが、あまり美味いものではなかった。「どうもありがとう」
僕が礼を言うと、「はい、1000リエルだよ」
と母親が当然という表情で右手を出してきた。その行動に、僕は一瞬言葉を失ってしまったが、食べてしまったものを今更返すわけにもいかない。相手の作戦勝ちである。
それにしても、自分の木でもないのに、その実で商売を始めてしまう厚かましさには、ただ感心するしかない。僕はベトナムで出会った双子美少女のことを、ふと思い出した。そしてなんだか可笑しくなって笑い出すと、猿少年も一緒になって笑い、木の枝を大きく揺すった。
質素な暮らしの修行僧
もちろん、アンコールにいる全ての人間が、お金にどん欲で厚かましいというわけではない。どんな世界も、様々な種類の人間がいて成り立っているものなのだ。
僕と猿少年とのやり取りを、お寺の中でじっと見ていた一人の青年僧がいた。彼は慣れない英語で、遠慮がちに話しかけてきた。「何かトラブルですか?」「いえ、もういいんです。1000リエルは果物を取ってもらったお礼にあげたんですよ」
そう説明すると、彼は理解してくれたようだった。そして猿少年に寺の木から降りるように言った。やんちゃな少年も、僧には逆らえないようで、すごすごと幹を滑り降りてきた。
「寺の中を見せてもらってもいいですか?」
と僕が訊ねると、彼は快く承諾してくれた。この寺に住み込んで5年になる21歳の修行僧で、名前はチャという。
本堂の中は真っ暗で、一瞬外の暑さを忘れるぐらいひんやりとした空気の中に、微かな線香の匂いが混じっていた。
「ここで待っていてください」 そう言うと、チャは暗闇の中を慣れた足取りで歩いていき、閉め切られていた窓をひとつひとつ開け放っていった。窓から光が差し込むと、中央にある黄金仏とそれを取り囲む10体程の仏像が、光の中に浮かび上がった。
本堂は卓球場ぐらいの広さの質素な建物で、白い壁には畳一枚ほどの大きさの壁画が何枚も並んでいた。仏陀が生まれてから、悟りを開き、入滅するまでの一生を描いた仏画だった。それは僕ら日本人がイメージする仏教絵画とは、ずいぶん違っていた。明確な輪郭線と明るくて派手な色使いは漫画的で、そこに描かれている神々の姿はヒンドゥー教の神によく似ていた。アンコールワットが元々はヒンドゥー教の寺院であったことからもわかるように、この地の仏教はヒンドゥー教の影響を強く受けているようだった。
寺の本尊だというガラスケースの中に納められた仏像も、背後に何匹もの蛇を従えたヒンドゥーの神「ナーガ」にそっくりの姿をしていた。ヒンドゥー教では、蛇は聖なる生き物だとされている。チャが、背後に蛇を従えた仏像に祈りを捧げている後ろ姿を見ながら、そういえば自分が蛇を食べてきたばかりだということを思い出して、少し後ろめたい気持ちになった。
本堂の隅には、蚊帳の張られた小さなベッドと机と座布団がひとつずつあった。毎日ここで寝起きし、お堂の掃除をし、勉強をするのだとチャは言った。彼は仲間同士でふざけあったりしている他の青年僧に比べて、物静かで落ち着いて見えたが、それは孤独な宿直係という立場のせいなのかもしれない。
彼の持ち物はごく僅かだった。筆記用具と英語の教科書とノート(寺では英語が必修科目なのだそうだ)、それにサンスクリット語で書かれているという竹製の教典。私物と言えば、小さな目覚まし時計ぐらいのものだった。
「英語もサンスクリット語も勉強するなんて大変だね」と僕が言うと、「いえ。僕はまだ勉強が足りません」
とチャは恥ずかしそうに言った。控えめな男なのだ。
開け放たれた窓から吹き込んでくる爽やかな風に乗って、木管と太鼓の音色が聞こえてきた。向かいにある僧坊で演奏の練習をしているらしい。
三人の子供達が本堂に入ってきて、持ってきた花を本尊に供える。幼いながらも、ちゃんと目を閉じて両手を合わせている。この土地には仏教の教えが当たり前に根付いているのだろう。
「そろそろ行くよ」
僕はチャが入れてくれたお茶を飲み干して立ち上がった。
「May I be friend with you?(あなたと友達になれますか?)」
チャは何度か口ごもってから言った。本当に控えめな男なのだ。
「Sure.(もちろん)」 僕はそう答えて、彼の差し出した右手を握った。
世界最大級の仏教遺跡アンコールワット。そこには、聖人と俗人、蛇に祈る者と蛇を食べる者が隣り合って暮らしていた。500年前から制止したままの時間と、今を生きる人々が共存していた。僕はそこで、モノを乞う右手と、友達の温かい右手に触れた。