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ツェツェルレグは小さな町だ

 遊牧民のシャウワさんのゲルに泊まってから、ツェツェルレグの町に行き、そこからまた草原を丸一日移動してウランバートルに戻った。帰り道は路線バスを利用した。行きはシャウワさんの帰省ジープに相乗りさせてもらったのだが、帰りはどのジープも満席だったからだ。

 路線バスといっても、要するに普通のバンに乗客をぎゅうぎゅうに詰め込んだだけの代物で、乗り心地は最悪だった。これまでにもカンボジアやラオスなどで、とてつもない悪路を走るオンボロバスに乗った経験はあったけれど、それと同じぐらいひどかった。

 バンのサスペンションはジープと違ってヤワにできているようで、車体は激しく揺れた。座席も間に合わせで作られたような薄っぺらいもので、すぐに尻が痛くなったし、限界ギリギリまでお客を詰め込んでいるので身動きが取れず、膝や腰ががちがちにこわばってしまった。おまけに乗客の誰かが車内に羊1頭分の生肉を運び込んでいて、その生臭いにおいにも耐えなければいけなかった。

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ロバに荷車を引かせて水を運ぶ子供

 それでも車内の雰囲気は和やかだった。17人の乗客の中に英語を話せる人は一人もいなかったから、十分なコミュニケーションは取れなかったけれど、向かいに座っている女の子が知っている英単語を並べて何とか会話しようと頑張ってくれたり、おばさんが手持ちの松ぼっくりを「おひとつどうぞ」と分けてくれたりした。

 松の実はモンゴルにおけるスナックの王様である。子供も大人も男も女も、冬眠前のリスのようにいつでもどこでも松の実を囓っている。何もすることのないバスの車内では、これが格好の暇つぶしにもなるのである。

 しかし松の実というのは、初めて食べる人間にはなかなか食べづらいものだった。小指の爪半分ぐらいの大きさしかない松の実の中身だけを食べるためには、前歯を上手に使って殻を割らなければいけない。理屈は簡単なんだけど、実際やってみるととても難しい。ヒマワリの種にしても松の実にしても、地元の人は実に上手く食べているのに、自分だけができないというのは結構悔しいものだった。

 
 

世代を超えて歌い継がれるメロディー

 松の実を囓るのにも飽きてきた頃に、歌合戦が始まった。
 最初に歌い出したのは、一番後ろの席に並んで座っていた4人組の若者だった。いかにも元気が出てきそうな景気のいい歌を大声で歌う。すると他の乗客も彼らの歌に合わせて歌い始めた。誰かが歌うと、それに合唱で応えるのがモンゴルの習慣らしい。気が付くと、僕を除く全員(運転手までも)が歌っていた。

 若者の歌が終わると、今度は僕の隣に座っていた山高帽のおじさんが歌い始めた。雄大な草原の広がりをイメージさせるような、ゆったりとしたメロディーの歌だった。それが終わると、また別の誰かが歌い出した。そのようにして歌合戦は延々と続いた。

8463 バスの乗客は年齢層もまちまちの知らない者同士なのだが、それにもかかわらずみんなが同じ歌を合唱できるというのは、すごいことだと思う。もし日本で同じことをやろうとしても、きっと上手く行かないだろう。例えば会社の忘年会でカラオケに行ったとしても、おじさんは自分が若い頃に流行った曲を歌い、若者は今のヒットソングを歌うことになる。歌詞を見ることなく誰もが一緒に歌える曲というのは、日本にはもうほとんど無いと思う。いいか悪いかは別として、歌の好みが多様化し、細分化してしまったのだ。

 マスメディアを通じて広まるものではなく、人から人へと口伝えに伝わっていく歌。モンゴルには、そのようなみんなが共有できる民謡がまだたくさん残っているのだろう。終わらない歌声を聞きながら、僕はそんなことを考えていた。

 乗客にリクエストされて、僕も何曲か日本の歌を披露した。坂本九の「上を向いて歩こう」、童謡では「赤とんぼ」や「ふるさと」、沖縄の「花」や「島唄」なんかも歌った。モンゴルの大地にはロックやポップスよりも古いスタンダードナンバーの方がしっくりと馴染むような気がしたのだ。

 モンゴル人に一番受けたのは千昌夫の「北国の春」だった。この曲が数年前にモンゴルで大ヒットしたという話を聞いていたのだけど、出だしの「しらかばー」というところを歌っただけで「おおー!」という反応が返ってきたのは嬉しかった。

 モンゴル人の乗客にとって、耳慣れない日本の歌は新鮮に聞こえたようだった。僕の隣の山高帽のおじさんは何度も「いい歌だねぇ」と褒めてくれた。それがただのリップサービスではないことは、彼の屈託のない笑顔を見ていればわかった。

 初めて耳にするモンゴル民謡のメロディーは、僕にとっても新鮮だったけれど、それと同時に懐かしさを感じる部分もあった。モンゴル民謡の節回しやコブシの効き方は、日本の民謡に通じるものがあるように思ったのだ。

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だから人は歌うんだ

8442 結局、僕らは休憩を挟みながら、5時間以上も歌い続けた。夕陽が丘の向こうに消え、蒼い闇が空を覆っても、歌合戦は終わらなかった。最後の方は喉も枯れてきて、さすがにみんなぐったりと疲れていたけれど、その疲れさえも吹き飛ばしてしまおうと、ほとんどやけくそに近いノリで歌い続けた。

「だから人は歌うんだ」
 僕はふとそう思った。言葉が違い、生まれ育った文化も違う人間同士であっても、共に歌うことによってその場の空気を共有することができる。ただお互いの歌を歌い合い、そこに共通点や違いを見つけだすことによって、相手のことをより深く知ることができる。だからこそ、人は歌をうたうのだと思う。歌わずにはいられないのだと思う。

 僕らの「歌声バス」がウランバートルに着いたのは、夜中の1時過ぎのことだった。途中のゲル集落で寄り道したり、故障車の修理を手伝ったりしたせいで、予定時間を大幅にオーバーしてしまったのだ。
 乗客はみんな上手く口も利けないほどぐったり疲れていたけれど、最後まで歌うことをやめなかった。僕が最後に歌ったのは「見上げてごらん夜の星を」だった。
 夜空には、今日も無数の星々の群れが輝いていた。