2718 モウラミャインという町で映画館に入った。町歩きに疲れて、どこか休むところがないかと思っているときに、ちょうど映画館の看板が目に入ったのだ。看板の絵は日本と同じように陰影の濃いタッチで描かれていた。男女が見つめ合っている絵からするとラブストーリーらしい。

 窓口の女の子に「映画はいつから始まるの?」と腕時計を指さして聞いてみると、彼女は英語のわかるマネージャーを呼んでくれた。
「ようこそ日本のお方」とマネージャー氏は言った。30過ぎぐらいの陽気な男だった。「残念ながら昼の上映は終わっています。次は午後6時からの2回目と、午後9時からの3回目です」

「今はどの映画をやっているんですか?」と僕は訊いた。
「アメリカのコメディー映画『ホットショット2』です」
 マネージャー氏は壁のポスターを指さした。そこにはランボーに扮したチャーリー・シーンの姿があった。わざわざミャンマーまで来て、ハリウッド映画を見ても仕方がない。

「ミャンマー映画を見たいんです」と僕は言った。
「あいにく今はやっていませんが、明日から新作が始まりますよ」と彼は言った。そして外国人がミャンマー映画に興味を持っていることに気をよくしたのか、その新作映画の内容を説明し始めた。ミャンマー人は実に親切で、実に暇な人々なのだ。

「この映画は有名な監督が作り、有名な俳優が出演しています。ミャンマーで彼らのことを知らない人はいません。俳優は仕事を何本も抱えていて忙しいので、この映画に集中できません。だから監督は彼に腹を立てています。監督は完璧主義者で、とても怒りっぽいことで知られているのです」

 彼は映画製作の舞台裏を話し終わると、今度はストーリーの説明を始めたが、僕は適当なところで話を切り上げた。このまま彼の親切に付き合っていたら、浜村淳の映画解説のようにストーリーの大半を聞かされかねない。

「ところで、ビルマ語がわからなくても楽しめますか?」最後に僕は聞いた。
「もちろんです。問題ありません」とマネージャー氏は言った。

 
 

検閲の国のラブストーリー

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映画館の前は賑わっていた

 翌日、もう一度映画館に向かった。平日の昼の回だから、たぶんがらがらだろうと予想していたのだけど、意外にも何十人もの若い男女が開館前から列を作っていた。窓口の女の子に切符の値段を聞くと、彼女は指を四本立てた。

「400チャットか。けっこう高いなぁ・・・」
 そう思いながら僕が500チャット札を出すと、女の子は大きく首を振って「40」と紙に書いてよこした。40チャットは、およそ10円である。ミャンマーの物価の安さにはもう慣れていたつもりだったけれど、映画館に10円で入れるというのは、やはり驚きだった。

 僕が改めて100チャット紙幣を渡すと、返ってきたお釣りは5チャット紙幣が3枚と45チャット紙幣が1枚という奇妙な組み合わせだった。45チャット?
「これ使えるのかい?」と僕が念のために確認すると、女の子は「当たり前でしょ」と強く頷いた。それでも「45」なんていうキリの悪い紙幣を見るのは初めてだったし、それが実際に流通しているとはにわかには信じ難かった。

 貧相な入り口のわりに、映画館の中は驚くほど広かった。天井が無意味に高く、座席の数はやたら多かった。試しに数えてみると、横一列に25個の座席が並び、それがおよそ30列あった。それに2階席の分も加えると、全部で千人近く収容できる計算になる。これだけの規模があれば、一人40チャットでも十分収益が見込めるだろう。
 ラオスで映画を見るという計画は、彼の国が映画館をひとつも持っていないという理由から断念したわけだけど、ミャンマーでは映画が国民の代表的な娯楽として根強い人気を保っているようだった。

 僕の隣には、制服を着て銀色の弁当箱を下げた3人組の女子高校生が座っていた。観客の大半は彼女たちのような若い女性グループだった。若い男性グループもいくらかはいたが、男女のカップルというのはほとんど見かけなかった。

 本編が始まる直前には、国旗がスクリーンに映し出され、国歌が演奏された。まるでサッカーの国際試合みたいだったが、ともかくそれが始まると観客は全員起立する。さすがは軍事政権の国である。もっとも、ほとんどの観客は自主的に立っているというよりは、渋々立ち上がっているという様子だった。このいささか時代錯誤的なセレモニーの後、ようやく映画が始まった。

2657 映画はバガン遺跡を舞台にしたラブストーリーだった。主役の俳優は若き日の石原裕次郎に似た風貌で、無意味にサングラスを外して眩しそうにする時の表情は、「嵐を呼ぶ男」を彷彿とさせるものだった。突如として俳優が歌って踊り出すミュージカル風の演出は、きっとインド映画の影響だろう。徹底的な娯楽主義で有名なインド映画は、ここミャンマーでも国産を凌ぐほどの人気がある。

 マネージャー氏が言った通り、セリフがわからなくても全く問題なかった。俳優達の演技は、よく言えば表情豊か、悪く言えばオーバーアクトだったので、それを見ていればあらすじは理解できるからだ。もっとも、音響設備がひどいせいで、ミャンマー人もセリフがあまり聞き取れていないみたいだった。建物が広すぎるからなのか、スピーカーが悪いのかはわからないが、まるで木造アパートの隣部屋から聞こえてくるテレビの音みたいにひどい音響だった。

 ラブストーリーではあるのだけど、ベッドシーンはおろかキスシーンさえなかった。そういう「ハレンチな」ものは全て検閲の対象になるからだ。ヒロインが持病の心臓病で倒れて病院に担ぎ込まれるシーンでも、聴診器をブラウスの上から当てているほどだった。女優の胸をはだけさせるのもNGなのだろう。

 ヤンゴンで「チャーリーズ・エンジェル」というセクシー美女三人組が活躍するハリウッドアクション映画を見に行った日本人の女の子は、「ちょっとしたセクシーな仕草でも容赦なくカットされていて、あれだけ切られるとストーリーも何もあったものじゃないわ」と憤慨していた。カットするぐらいなら最初から公開しなければいいと思うんだけど、まぁいろいろな事情があるのだろう。

 というわけで、劇中の愛情表現は一昔前のグリコ・アーモンド・チョコレートのCMみたいに爽やかだった。二人は草原で楽しく語り合い、共に歌って踊る。手を握っただけで、観客からは「ヒュー」と口笛と歓声が起こる。クライマックスで二人が菩提樹の木陰でしっかりと抱き合うと、数百人の観客の口からは一斉にため息が漏れる。隣の女の子達は、よかったわねと二人に拍手を送っている。こういう映画と観客の一体感というのは、日本では絶対に味わえないものだろう。

 こうして二人はハッピーエンドを迎えたかに見えたのだが、しかしそこからストーリーは急展開した。裕次郎は結婚を決意してヒロインを迎えに行く途中に自動車事故であっさり死んでしまい、それを知ったヒロインは思い余って駆け出した後に心臓発作でこれまたあっさりと死んでしまう。なんと最後の5分間に主役の二人ともが天国に召されてしまうのだ。アーメン・・・ってそれでいいのか?

 しかし、こんな悲劇的なラストを迎えたというのに、観客の中にハンカチを取り出して涙を拭う人は一人もなかった。抱擁シーンではため息を漏らしていた女の子達も、けらけらと笑いながらスタッフロールも見ずに出口に向かっていた。さすがにこんな無茶苦茶なラストシーンでは、ミャンマー人でも感情移入はできないのだろう。

 隣に座っていた女子高校生が、「どうだった?」という風にスクリーンを指さして、僕の顔を覗き込んだ。きっと外国人の目にミャンマー映画がどう映ったのか知りたかったのだろう。
「あのラストはあんまりだよなぁ」と僕が身振りで伝えると、「まぁこんなものよ」と彼女は肩をすくめた。
 まぁこんなものなのだろう。

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45チャット紙幣の歴史

 映画が終わった後、路上カフェに入って揚げパンを食べ、甘いミルクティーを飲んだ。「いくら?」と聞くと、店の主人は「45チャット」と言った。

 45チャット!
 それは初球から絶好球がやってきた先頭バッターのような気分だった。窓口でおつりとして受け取ったあの45チャット紙幣を一度に使うチャンスが、いきなりやってきたのである。

 僕は素っ気なく突き返されるのではないかとひやひやしながら、45チャット紙幣を財布から取りだした。しかし、主人はその薄汚れた紙幣を横目でちらっと確認しただけで、ポケットにねじ込んだ。あまりにもあっさり受け取ってもらえたので、なんだか拍子抜けしてしまった。

2746 あとで宿の人に聞いた話だと、この45チャットという奇妙な額面の紙幣は、十数年前に行われた通貨切り替えの名残りだということだった。ミャンマー政府は今までに3度、通貨切り替えを行った。それまで流通していた紙幣を使用禁止にして、新しい額面の紙幣を発行したのだ。つまり日本政府が「今日から1万円札と5千円札と千円札は使用禁止です。したがって、これらは持っていても何の価値のない紙切れです。国民はこれから流通する2500円札と7500円札を使いなさい」という命令を出すようなものである。

 この横暴とも思える措置は、社会主義体制下ではびこっていた闇経済にダメージを与える目的で行われたというが、その理由が正当なものかはさておいても、ただでさえ思わしくない国内経済はこれによって更に混乱し、国民の貨幣に対する不信感を強くするだけの結果に終わってしまったという。
 現在では5、10、20、50といった「普通の」紙幣が発行されるようになり、混乱は収まっている。そして、まだ細々と流通している45チャット紙幣だけが、通貨切り替えの歴史をひっそりと今に伝えているのだった。

 その話を聞いてから、それだったら使わずに取っておくんだったな、とも思ったけれど、それこそ後の祭りというものだった。