子供のしつこさは世界トップクラス
トルコの子供には本当に手を焼いた。特に東部アナトリア地方の子供達のしつこさというのは常識を越えていた。
子供達は珍しい外国人を見つけると、まず「My name is?」と声をかける。もちろん僕の名前を聞いているのである。文法は無茶苦茶だけど、これが彼らの知っている唯一の英語なのだから仕方がない。
僕が答えると、その後はトルコ語で話しかけてくる。無視したとしても、やはりトルコ語で話しかけてくる。もちろん僕には彼らの言うことがさっぱり理解できない。でもそんなことは彼らには関係ない。なにかを必死で話せば、いつかは相手に通じるものだと信じて疑わないのだ。あるいは彼らには、世の中には自分達と全く違う言葉を話す人々がいる、という認識が欠けているのかもしれない。
とにかく子供達はトルコ語で何かを話しかけながら、僕の後ろをずっとついてくる。そして最後には必ず親指と人差し指をこすり合わせて「ドヴィズ?(金持ってない?)」と言う。一人が言い出すと、仲間も呼応する。そして「ドヴィズ?」「ドヴィズ?」の大合唱になる。
バングラデシュのスラムの子供達(あの『ハメルンの笛吹き』状態だ)も、パキスタンの下町の子供達も、相当にしつこかった。でもトルコの子供達の粘り強さには遠く及ばない。世界一かどうかまでは断言できないけれど、「世界の子供しつこさランキング」というものが存在するとすれば、トルコは間違いなくトップ5には入るだろう。
東部アナトリア高原は気候も厳しく、牧畜以外これといった産業もなく、経済的にも貧しい地域である。その中にあっても貧富の差は存在する。そして僕の見たところ、外国人をしつこく追いかけ回すのは、比較的裕福な層と貧困層との間に位置する、「それなりに貧しい層」の子供達だった。裕福な家の子供達はちゃんと学校に通い、きちんと躾られてもいる。貧しい層の子供達は働かなくてはいけない。靴磨きをしたり、駄菓子を売り歩いたり、商品を運搬したりする。だから彼らには外国人を追いかけている余裕なんてない。
手に負えないのは、ろくに学校にも行かないで時間だけは有り余っているような子供達である。彼らはいくら無視されても諦めない。彼らの辞書に「諦める」という言葉は載っていないのだ。20分でも30分でも執拗に追いかけてくる。とことん暇なのだ。
もっとも暇ということに関しては、大人達も同じである。トルコには「何をするわけでもなく」家の前に座って通りを眺めている老人やら、「何をするわけでもなく」チャイハネにたむろしている中年の男達がごろごろしている。老人はともかく、働き盛りの男達は毎日働きもせずに何をしているのだろう。ひょっとすると彼らはトルコを襲った通貨危機の影響で失業したのかもしれないが、それにしてはぐうたらぶりが板に付きすぎているようにも思う。
それはともかく、30分以上もつきまとわれた上に、「金をくれよ!」の連呼を浴びせられると、さすがに怒りがこみ上げてくる。本気で蹴飛ばしてやろうかと何度思ったことか。しかし、こっちが大声で怒鳴ったり、怒りの表情をあらわにすると、彼らの好奇心を刺激する結果にしかならないのである。走って逃げると、向こうも走って追いかけてくる。こうなると始末に負えない。
そんなときに助け船を出してくれるのは、たいてい老人だった。家の前に座り込んで世間話に興じている老人が、「そこのあんた、お茶でも飲んでいきなさい」と(もちろんトルコ語で)声をかけてくれる。その言葉に甘えてお茶を飲んでいる限りは、子供達も僕の側には近づけないのだ。「目上の人は敬いなさい」というイスラムの伝統が息づいているトルコでは、どんな悪ガキでも年寄りには逆らえないのである。
しかし老人が子供達を追い払う方法も、これまたかなり過激である。まずびっくりするような大声を出す。子供が近くにいるんだったら、平手で頭をしばく(実にいい音がする)。子供が逃げようものなら、木の棒を振り回したり、近くにある小石を投げつける。
いかにも田舎の農婦という感じの穏やかそうなおばあさんが、突然気が触れたように大声でわめきながら子供に石を投げつける姿を見たときは、目が点になってしまった。どうやらトルコの大人達は、子供のことを子牛か子羊ぐらいにしか思っていないようだ。まぁ言葉で言ってもわからない悪ガキというのは、どこの国にもいるのだろうけど。
基地でお茶を飲まないか?
しかし石を投げつけられても、平手で叩かれても、まだ諦めない子供というのもいる。こうなると、怒りを通り越して感心してしまう。エルズルムでもそんな悪ガキにつきまとわれて、もう万策尽き果てたというところに現れたのが、一台の軍用ジープだった。
「ハロー!」
ジープの窓から、軍服姿の男がひょいと顔を出した。40過ぎぐらいのアジア系の顔をしたトルコ人である。
「君はどこへ行こうとしているのかね?」
男の英語は訛りが強かったが、何とか聞き取ることができた。
「ただ町の中を歩いているだけです。特に目的はありません」
僕はいつものように答えた。これは職務上の質問なのだろうか。トルコでは軍の施設や橋や鉄道などを写真撮影することは禁止されている。間違って撮影した旅行者がフィルムを没収されたという話を聞いたこともある。もちろん僕は軍事施設にも橋にも興味はないから、そんなものにカメラを向けるつもりはない。だけど、警官や軍人というのはたいてい融通が利かないものだ。僕が一眼レフカメラを肩に提げているというだけで、疑いの目を向けたのかもしれない。
「ただ歩いているだけか。オーケー、わかったよ」
僕の心配をよそに、男は気楽な調子で言った。
「ところで君、我々と一緒にコーヒーでも飲まないか?」
「・・・コーヒーですか?」
どうして制服姿の兵隊が道ばたの外国人をお茶に誘うのか、よくわからなかった。トルコではチャイハネでお茶を飲んでいる暇顔のおっさんに、「おい、茶でも飲んでいけや」と声をかけられることはしょっちゅうあるのだが、この男も同じノリなのだろうか。
「君は目的もなく歩いているんだろう? だったら私と一緒にコーヒーを飲もうじゃないか」
男は人懐っこい笑顔で言った。相手を騙そうという顔には見えない。
「いいですよ」
と僕は頷いた。これはしつこい子供達から逃れられる絶好のチャンスだと思ったのだ。まさに「渡りに船」である。
「それじゃ乗りなさい」
ジープの後部座席には彼の部下らしい若い兵士が二人乗っていて、僕は彼らの間に座った。二人とも重そうなライフルを手にしていた。パトロールの途中なのだろう。
「今から基地に帰るところだったんだが、君を見つけてね。ここはあまり外国人が歩き回る場所ではないから、心配になったんだ。道に迷っているのかと思ってね」
「迷っていたわけじゃないんですが、助かりましたよ」
僕はしつこい子供達の追跡に音を上げていたことを伝えて、男に礼を言った。
「すまなかったね」
彼は申し訳なさそうに言った。
「ああいうガキどもは、ひっぱたかないとわからないんだ」
後ろを振り返ると、子供達がとぼとぼと帰っていくのが見えた。さすがに軍用ジープを追いかけようとは思わないらしい。やれやれと一息ついたのも束の間、新たな心配が頭をもたげた。
「ところで、今からどこへ行くんです?」
僕は助手席に座っている男の背中に聞いた。
「基地だよ」と男は言った。
ジープは郊外に向かってしばらく走り、ゲートを通過して基地の中に入っていった。ゲートの脇にプレハブ小屋があり、僕はそこに案内された。もちろん基地の中を自由に歩き回ることはできないのだが、それでも素性のわからない外国人を身元確認も一切なしにあっさりゲート内に入れてしまう鷹揚さには驚いた。
「私はこの基地のミリタリーポリス(憲兵隊)の隊長をしているんだ。今日は私のプライベートな招待だから、ゆっくりしていってもらいたい。ただし、軍事上の秘密は話せないがね」
男は相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべて言った。背が低いが、体つきはがっちりとして、よく日焼けしている。目元にはくっきりとした皺が刻まれている。いかにも叩き上げの士官といった感じである。中学校の体育教師を思い出した。
隊長は農家の末っ子として生まれた。働き口がないので軍隊に入った。学歴はないが、独学で英語も勉強した。きっと好奇心が旺盛なのだろう。たまに外国人を見かけると、英語で話しかけてみるのだそうだ。
僕と隊長はコーヒーを飲みながら、しばらく話をした。もちろん話題は日本のミリタリーバランスや国際政治問題ではない(そんなことを聞かれても困る)。普通の世間話である。結婚はしているのか、仕事は何をしているのか、どうして旅を続けているのか、そんなことだ。
でも一度だけ、政治関係の話が話題に上ったことがあった。
「そういえば、何日か前の新聞に『日本の総理大臣が交代した』と書いてあったが」
と隊長が切り出したのだ。
「総理大臣が代わった? 誰にですか?」
僕は聞き返した。この2週間ほどテレビニュースからも新聞からもインターネットからも遠ざかっていたから、初耳だった。歴代でも最低の支持率を誇っていた森首相が辞任するのは時間の問題だったから、ニュース自体は驚くべきものではなかったけれど。
「名前までは覚えていないな。そうそう、新聞には『新しい総理大臣はクレバーでクリーンな男だ』と書いてあったがね」
「クレバーでクリーンですか・・・」
僕は自民党の議員でクレバーでクリーンな男がいただろうかと、しばらく考えてみた。だけど、結局誰の名前も思いつかなかった。それが小泉純一郎だとわかるのは、しばらく後の話である。
あと2ヶ月したら、シリコンバレーで働くつもりだ
職務に戻っていった隊長に代わって、僕の話し相手になってくれたのは、僕と同い年の若い兵士だった。背がすらりと高く、透き通るような青い目をしたヨーロッパ系のトルコ人である。他の若い兵士とは明らかに雰囲気の違う男だった。ひとことで言えば、軍服が全く似合っていないのだ。
「兵役だから仕方がないんだ。僕はカリフォルニアの大学に留学していたんだけど、兵役のためにトルコに戻ってきたんだ」
彼は部屋にいる他の兵士の顔を見回して、誰も英語を理解していないことを確認すると、表情を緩めて言った。
「この半年は悲惨だったよ。牢獄に入っているようなものさ。外部との接触は禁止されているからね。E-mailでアメリカの友達と連絡を取ることも出来ないんだ。英語を話すのも半年ぶりなんだ」
彼によると、トルコでは18ヶ月の兵役の義務が課せられているのだけど、大学を卒業した者は8ヶ月に短縮されるのだそうだ。
「エルズルムの冬はとことん寒いんだ。マイナス30度にもなるんだぜ。アンビリーバブルだった。カリフォルニアには雪なんて降らないし、故郷のイスタンブールだってそんなに寒くはないからね。それにここほど退屈な土地は、世界中探しても見つからないんじゃないかな」
彼はうんざりしたという風に顔をしかめた。よほど寒くて、よほど退屈だったのだろう。その気持ちはわかるような気がする。旅行者が一日二日滞在するならともかく、半年もいるような場所ではない。
「君は兵役を終えたのかい?」と彼は僕に聞いた。
「日本には兵役はないんだよ」
「そうか・・・それは羨ましいね。君も知っている通り、トルコは軍人だらけだ。国も広いし敵も多い。軍隊が強い力を持っているんだ。遅れた国だね」
「自分の国が嫌い?」
「もちろんトルコのことは好きだよ。心から愛している。アメリカにいるときだって、イスタンブールを忘れたことはない。でも君も知っているように、今のトルコ経済は最悪だ。まともな仕事には就けないよ。だから僕はあと2ヶ月してここを出たら、アメリカに戻ってシリコンバレーで働くつもりなんだ。あそこにはいくらだって職があるからね」
彼は2ヶ月後が待ちきれないんだと繰り返した。アメリカにいる友達や恋人に早く会いたいと。
「君も半年間、日本を離れているんだろう? 寂しくはないのかい?」と彼は聞く。
「そうだね・・・」と僕は答える。でも、あとの言葉が出てこない。
寂しさを感じる暇なんてなかった。いや、違うな。寂しさを感じないためにも、立ち止まらないで旅を続けてきたんだ。振り返らずに、次の町のこと、次の国のことを考えていたんだ。
でも、その気持ちを外国語にして彼に伝えるのは、不可能なことのように思った。だから僕はこう言った。
「僕もいつかは日本に戻る。でも今はその時じゃないんだ」