ba04-9099 ダッカの街を出て、バングラデシュの地方都市をバスで巡った。バングラデシュはイギリス植民地時代の影響からか、鉄道網もそれなりに整備されているのだが、やはり本数が多くてスピードの速いバスの方が使いやすかった。

 人口1千万のメガロポリスであるダッカと比べると、田舎の農村地帯は本当に静かだった。空気も綺麗だし、空にスモッグがかかっていることもない。鮮やかな緑色の田園風景が、どこまでもどこまでも続いている。

 しかし珍しい外国人に対してあけすけな好奇心を示してくるのは、ダッカでも田舎でも変わらなかった。バングラデシュを旅する者は、自分が「見る側」から「見られる側」に変わることを素直に受け入れなければ、一歩たりとも外を歩けないのである。

ba04-8937 僕はこの国に入ったら最後、「自分は檻の中のパンダなのだ」というつもりで歩くことにしていた。そうすれば、学校帰りの子供たちに周りを取り囲まれても、市場の男たちから「こんなところで何しているの?」と質問攻めにあっても、あまりに気ならなくなる。周囲の喧噪など気にせずに、パンダのようにクールに笹を食べていればいいのである。

 このように常に誰かの視線を感じながら旅を続けていたのだが、一度だけ人々の視線が僕に向かわなくなったことがあった。

 それはマイメンシンという町での出来事だった。そのとき僕は町の中心から郊外の農村に向かおうと、大きな橋を渡っていた。コンクリート製の頑丈な橋だったが、背後から近づいてくる「何か」によって、橋が微妙に振動しているような気がした。いったい何が歩いているのだろう。そう思って振り返ってみると、そこに二頭の象がいたのである。

ba04-9807 バングラデシュで象を見かけたのはこれが初めてだったから、かなり驚いた。象の上には象使いの男がまたがっていたが、象は荷物を引いてはいなかった。鼻を大きく振りながら、ただまっすぐに歩いていた。

 こんなところで象が何をしているのだろう。気になった僕は、象のあとに着いて歩いてみることにした。二頭の象は橋を渡りきると、小さな村の中に入っていった。すると象の来訪に驚いた村の子供たちが、次々と家の中から飛び出してきた。その様子からすると、ここの住民にとっても象はかなり珍しいもののようだった。

ba04-9821 村人の視線が自分に集中する頃合いを見計らって、象は近くの雑貨屋の主人に向かって長い鼻をするすると伸ばした。そして、まるで小さな子供が「お小遣いちょうだい」と手の平を差し出すように、鼻の先を主人の顔の前に差し出した。雑貨屋の主人は困惑した表情を浮かべたが、「しょうがねぇなぁ」という風に首を振ると、シャツのポケットの中から10タカ(20円)札を取り出した。象は鼻の先で器用にそのお札を受け取ると、そのまま頭上の象使いの元に届けた。

 なるほど、これは象を口実にした物乞い、あるいは集金活動のようなものなんだな、と僕は理解した。それにしても上手い商売を考えたものだ。村人の視線が集中しているだけに、もし象からの要求を断ったら、「あの人はケチだ」ということになってしまう。断りにくい状況をわざと作っているのである。もし最初の一人がお金を払ってしまえば、他の村人が断ることは更に難しくなる。実に上手い心理作戦だ・・・・なんて考えていると、すぐに僕の方にも象の鼻が伸びてきた。さすがに目ざとい。外国人が金を持っていることぐらい、象にはちゃんとお見通しなのである(もちろんそれを指示しているのは象使いだが)。僕はポケットからいくぶん多めのお金を出して象に渡した。象の鼻というのは巨大な掃除機の口みたいで、軽い紙幣を掴むのは難しそうにも見えるのだが、彼らはよく訓練されているらしく、大切なお札を落とすようなヘマはしなかった。

ba04-9772 それから、二頭の象は村の家を一軒ずつ回って、お金を集めていった。誰も家の外に出てこない場合には、鼻を使って扉をドンドンとノックした。優しい顔に似合わず、やることは強引だった。
 象はただお金を集めているだけで、何かの芸を見せるわけではなかった。それどころか、農家の前に生えている椰子の葉をバリバリと食い荒らしたり、八百屋の店先に置いてあるバナナを掠め取ったりと、やりたい放題だった。子供たちは「象さんの行進だ!」とはしゃいでいるのだが、僕にはその姿が「ショバ代を集めて回るヤクザ」みたいに見えて仕方なかった。

ba04-0287 農村の退屈な日常の中に突如として現れた象のインパクトは、相当に大きなものだった。何しろデカい。さすがは地上最大の動物である。特に子供たちにとってはこの巨体はそれだけで魅力的であり、同時に恐怖の対象でもあった。象に顔を近づけられて、驚きのあまりわんわん泣き始める子供までいた。近くに動物園があるわけでもないこの村の人々にとって、象を間近で見るチャンスはこのときぐらいなのだろう。

 象は1時間ぐらいかけて小さな村をひとまわりし、次の村へと向かった。何だかよくわからない間に村人からお金を集め、我に返る前にさっさと立ち去っていったという感じだった。村人の放心状態はそのあともしばらく続いた。そしてその間、「檻の中のパンダ」である僕には、誰の視線も向けられなかった。

 こうして「パンダvs象」の対決は象の圧勝に終わったのだった。

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