アフガニスタン→イラン→トルコ
アフガニスタン西部の町ヘラートにはイラン領事館があって、そこに行けばイランビザが手に入るという情報を得ていたのだが、はっきりしたことは何もわからなかった。「3日で手に入った」という情報もあれば、「2週間かかっても手に入らなかった」という情報もあった。どうやら担当者の気分次第で状況が変わるようだ。
幸いなことに、イラン領事館のビザ担当者は話のわかる男で、最初は「ビザ取得は1週間後になる」と言っていたのだが、「そこをなんとか。急いでいるんです」と頼み込むと、3日後に発給してくれることになった。
ヘラートからバスを乗り継いで、イラン東部の町マシャドに向かった。マシャドにはシーア派の巡礼地として有名なイマーム・レザー廟があることでも知られている。霊廟の中には数百年前に亡くなったイマーム・レザーを悼んで涙を流す人々の姿があった。
マシャドから首都テヘランを経て西部の町タブリーズまでは、ただバスを乗り継ぐだけだった。イランの各都市はパキスタンやアフガニスタンに比べると段違いに清潔で、洗練されていた。走っている車も、行き交う人々も、広告看板も、すべてが都会的で華やかだった。
そんなイランで、僕は写真をまったく撮らなかった。撮りたいという気持ちがどうしても湧いてこなかったのだ。アフガニスタン北部の辺境地帯であまりにも濃い日々を過ごし、人々のたくましい生き様に打ちのめされていた僕にとって、イランはあまりにも「普通の国」だったのだ。
トルコ国境を越えてからも、ひたすら長距離バスを乗り継ぐだけの日々が続いた。僕の気持ちはもうすでにゴールであるイスタンブールに向かっていた。これ以上旅を続けても、いい写真が撮れないことはわかっていた。僕の旅はアフガニスタンで終わっていたのだ。
あの子を探して
トルコにはひとつだけ立ち寄りたい町があった。それがトルコ中部にある地方都市シヴァスだった。この町には2001年の旅で訪れたことがあって、そのときにたまたま出会った少女を探したいと思っていたのだ。
三年前に僕が少女と出会ったのは、シヴァス郊外に広がる住宅街のどこかだった。いつものように地図を持たずに適当に街をうろついていたときに見かけただけなので、場所の記憶は曖昧だった。街の南側なのか北側なのか、それさえもおぼつかなかった。それでも再会できると信じて疑わなかったのは、カンボジアでも、ミャンマーでも、ネパールでも、少女たちと再会するという試みが、全てあっけないほど簡単に成功したからだった。
しかしシヴァスでの「捜索」はこれまでと同じようにはいかなかった。カンボジアやネパールの農村とは違って、シヴァスは人口二十五万を抱える都市であり、あやふやな記憶だけを頼りに一人の少女を捜し当てるには、あまりにも規模が大きすぎたのである。それはジグソーパズルのピース1片を握りしめただけで全体像を描き出そうとするような、かなり無謀な試みだった。
僕が持っている手がかりは、少女の背後に写っているペパーミント・グリーン色の壁と、その壁に描かれた落書きだったが、実際に歩き出してみると、落書きのされたペパーミント・グリーン色の壁というのは、この町にごくありふれたものだとわかった。
仕方なく、僕は地道な聞き込み捜査を開始した。住宅街の道端には、羊の毛を叩いてほぐしたり、絨毯を洗ったりしている太ったおばさん連中が何人もいたので、彼女達に「この子知ってる?」と写真を見せて回ったのである。しかし、太ったおばさん達の反応は一様に鈍かった。言葉の壁が高く聳えているのも確かだったが、女達は見知らぬよそ者に対してあまり友好的ではなかったのである。
少女を捜すとっかかりさえ掴めないまま、時間だけが無為に流れていった。ひとつの地区をうろうろと歩き回り、手がかりが掴めないまま、隣の地区に移動する。それを何度か繰り返すうちに、今回ばかりは少女との再会は無理かもしれないな、とも思いはじめた。
そんなときに出会ったのが、二人組の少年だった。彼らは狭い路地でサッカーボールを蹴り合って遊んでいたのだが、僕が通りかかると、「写真撮ってよ!」と声を掛けてきたのだった。トルコの男の子は好奇心旺盛なうえに、写真を撮ってもらうのが大好きなのである。もっともこれは、子供に限らず、大人の男にも言えることなのだけど。
サッカーボールを頭の上に乗せてはしゃいでいる二人に向けて、僕はシャッターを切った。そしてふと思い立って、「この子知ってる?」と少女の写真を見せたのである。あまり期待もせずに。
僕が手にした写真を覗き込んだ二人は、大きく頷いた。
「イエス! イエス!」
知ってるよ。うん、あの子だね。そんなことを言い合っているようだった。
「本当かい? 本当にこの子を知っているのかい?」
まさかの展開に、自分の声がうわずるのがわかった。
「イエス! イエス! マイ・スクール! マイ・スクール!」
年上の子が、つたない英語でそう繰り返した。彼女は僕たちと同じ学校なんだ、と言っているのだろうか。もし彼らが本当に少女のことを知っているとしたら、降って沸いたような好運である。しかし、物事がそんなにうまく行くはずがない、という思いも消えてはいなかった。
「ハー・ネーム・イズ・メリチェ」
この子はメリチェって名前なんだ。年上の子が、僕の心配を吹き飛ばすように、自信たっぷりに言った。そして、今から学校へ連れて行ってあげるよ、と僕の手を引っ張ったのだった。
パトカーに乗ってピクニックへ
「メリチェ、メリチェ・・・。さて、どのクラスだったかな」
校長先生は、古めかしいロッカーの鍵を開けると、生徒の名簿が収めてあるファイルの束をひとつひとつ調べていった。素性の知れない外国人が突然押しかけてきたにもかかわらず、校長先生は少しも怪しむことなく僕を迎えてくれた。少年二人と僕が小学校に入ったとき、校庭で下校途中の子供達に囲まれて、ちょっとした騒ぎになってしまったのだが、たまたまそばを通りかかった若い英語教師に事情を説明して、校長室に連れていってもらうことができたのである。
「三年生には、メリチェという名前の女の子が二人いるんだ」
トルコ人には珍しく訛りの少ない流暢な英語でそう言うと、校長先生は分厚いファイルをふたつ机の上に乗せた。
「この子は君の写真とは違う顔だと思う。ということは、こっちが君の探しているメリチェじゃないかな?」
僕らは名簿の隅に貼り付けてある小さな証明写真を覗き込んだ。そこに写っている少女は、確かに僕が三年前に撮った子に似ていた。けれど、これだけでは決定的な証拠とは言えない。
「この子に会うことはできますか?」
「残念だけど、今日、彼女のクラスはピクニックに行っていて、学校にはいないんだよ」
「ピクニックですか?」
「先生と生徒と生徒の親たちが、一緒に郊外にある公園に行って、バーベキューをして楽しむんだ」
彼の言う「ピクニック」とは、日本でいう「遠足」のようなものなのだろう、と僕は思った。
「それじゃ、今日は学校には戻らないんですか?」
「いや、夕方の五時には学校に戻ってくるはずだよ」
「僕は今日の夜行バスで、イスタンブールに行かなくてはいけないんです。だから、今日中にメリチェに会って、この写真を直接渡したいんです」
「それじゃ、五時にもう一度ここに戻ってくればいい。まだしばらく時間があるからね」
「わかりました。そうします」
僕は頷いた。腕時計はまだ十二時を回ったばかりだった。
しかし、僕をここへ連れてきてくれた二人組の少年は、この決定に不満そうな表情を見せた。どうやら彼らはメリチェと僕との再会が先送りになったことが納得できないらしい。せっかく面白いことが起こりそうなのに、それを見逃すのが悔しいのかもしれない。
校長先生は少年二人とトルコ語で話し合い、こう提案した。
「この子達は、今から君と一緒にピクニックに行きたいと言っている。そうすれば、すぐにメリチェに会えるじゃないか、と。君はどう思う?」
「もちろん行きますよ」
僕が即答すると、少年二人は嬉しそうに顔を見合わせた。僕にとっても、再会は早いほうがよかった。万が一、人違いだったとしても、その後再び探し歩くことができるからだ。
メリチェのクラスがピクニックをやっている公園は、学校から五キロほど離れた場所にあるという。僕は最初、タクシーで行くことを提案したのだが、少年二人は「ヒッチハイクで行く」と言い張った。「お金なら心配することはないんだ」と言っても、なぜか彼らは頑なにヒッチハイクにこだわるのである。
僕らは郊外へ向かう幹線道路まで歩き、やってくる車に向かって右手を上げた。しかし案の定、僕らの呼びかけに反応してくれる車は、いっこうに現れなかった。道路を行き来する車の量は決して少なくないのだが、どの運転手も僕らの方をちらっと一瞥しただけで、スピードを緩めることなく走り去っていくのである。まぁそれも無理もないことだろう。子供二人と外国人一人という奇妙な三人組をヒッチハイクさせてくれる気前のよい運転手なんて、それほど多くはいないだろうから。
僕らはしばらくの間、一文無しのバックパッカーみたいに道路脇に立って車に手を振り続けたが、あまりにも脈がないので、もう諦めようという雰囲気になってきた。五キロなら、歩けない距離ではない。
一台の車が僕らを追い越したところでキュッとブレーキをかけて止まったのは、そんなときだった。黒っぽいワンボックスカーだった。やれやれ助かった。そう思って近づいてみて、びっくりした。窓からぬっと顔を出した男は、なんと制服姿の警察官だったのである。
四十過ぎぐらいでがっちりとした体格の警察官は、人懐っこい笑みを浮かべて、トルコ語で話しかけてきた。もちろん僕にはトルコ語はわからないのだが、「乗って行けよ」と言っているらしいことは、すぐにわかった。
勤務中の警官がヒッチハイクに応じてくれるなんて、他の国ではあまりないことだと思う。以前、トルコ東部の町を旅していたときにも、パトロール中の軍人に基地でコーヒーをご馳走になったことがあるのだが、その例からもわかるように、制服組であってもあまり規則に縛られないのがトルコ人の特徴なのである。
警官のおっちゃんは少年二人から目的地を聞くと、片言の英語で「俺の娘、今日、公園、ピクニック、行く」と言った。どうやら彼の娘も公園にいるらしい。僕が「そうですか」と頷くと、おっちゃんはさらに英語を続けた。
「あんた、どこの人? コリア? チャイナ? ジャパン? オー、ジャパン!」
懸命にコミュニケーションを取ろうとしてくれるのは嬉しいのだが、問題なのは車が前進しているにも関わらず、おっちゃんはずっと後部座席にいる僕の方を見ているということだった。
「前! 前を見てくださいよ!」
僕が慌てて指さすと、やっと前に向き直ってハンドルを握り直す、というような状態なのだ。
「だーいじょうぶさ。前なんか見なくても事故なんて起きないよ!」
おっちゃんはガハハと豪快に笑うと、バックミラー越しにウィンクしてみせた。
陽気な警官は、公園に着いてからも何故か僕らと一緒に車を降り、メリチェを探すのを手伝ってくれた。トルコ人は本当に親切である。それはホスピタリティーに富む国民性の発露に違いないのだが、それに加えて、彼らの多くがいくらでも融通の利く「暇」を持ち合わせている、というのも見逃せない点である。
トルコの町を歩くと、喫茶店でのんびりとチャイを飲みながら無駄話をするおじさんや、家の前で井戸端会議に花を咲かせているおばさん達を、そこらじゅうで見ることができる。日本人のように誰も彼もが目的を持って行動し、時間に追われているわけではない。そんな余裕があるからこそ、トルコの人々は他人のことに気を配り、親切にできるのだと思う。