9270 中国では、どこに行っても中国語で話し掛けられた。顔かたちにしても身なりにしても、僕と地元中国人との違いはほとんどなかったのである。

 そういうときに「アイム・ソーリー アイム・ノット・チャイニーズ」などと答えても、「は?」という顔をされるのがオチである。北京や上海などの大都会ならいざ知らず、田舎で英語を理解する人は極めて稀なのだ。たいていの人は、僕が英語で返事をしても、全く意に介さずに中国語で話を続けようとする。どうも彼らは「こいつは中国の他の地方出身の人間に違いない」と思うようなのだ。広い中国では各地方ごとの訛りの違いも大きく、同じ中国人でも話が通じないということがよくあるらしい。

 そういう場合の最終手段は、「我是日本人。我不会説中文」とメモ用紙に書いて、相手に見せることである。私は日本人で、中国語がわからないんです、と。
 中国人の識字率は100%に近いから、こうすれば必ずわかってもらえるのだが、しかしとにかく外国人だと理解してもらうために、いちいちこんなことをしなければならないのは、かなり面倒ではあった。

9119 旅行者の中には、「なるべく地元民に紛れてしまいたい」と考えている人と、そうでない人がいるのだが、僕は完全に後者である。もちろん僕が中国語なりベトナム語なりネパール語を自由に操れるのなら話は別なのだが、不完全な英語と身振り手振りだけに頼って旅をする普通の旅行者にとって、地元民と見なされることは決して得にはならないと思うからだ。

 僕はむしろ自らが「よそ者」であるということを利用して旅を続けてきた。観光旅行というのは旅行者の側が「観る」主体であるわけだけど、僕がよく訪れたアジアの田舎町だと、「観る」ことと「観られる」ことが平等に行われることになる。こっちも異国を「珍しいもの」だと感じ、道行く人も僕のことを「珍しいもの」だと感じている。そういう平衡関係が成り立っている場所は、歩いていても楽しかったし、写真も撮りやすかったのである。

 中国人に自分のことを「よそ者」だとわかってもらうにはどうすればいいのか。要するに「浮いて」見えるためにはどうしたらいいのかを、僕は中国に入ってから考え続けた。

 まず最初に行ったのは、髪の毛を茶色に染めることだった。これは旅を始めたばかりの頃に回ったベトナムやラオスでの経験が元になったアイデアである。黒く日に焼けてしまうと、日本人の顔もベトナム人の顔もたいして変わらないのだが、それでも現地人に間違われることがほとんどなかったのは、どうも僕の「茶髪」のせいだったらしいのだ。ベトナムでもラオスでも、ブリーチ剤で髪を染めている人間はほぼ皆無だったので、そういうことをしている奴は「なんか違うぞ」と思われたのである。だから中国でも茶髪に染め直せば、町の人の反応だって変わってくるだろうと思ったのだ。

 僕は成都の駅前デパートで38元のヘアブリーチを買って、ホテルの浴室で茶色に染めた。ヘアブリーチの説明書はもちろん全部中国語で書かれていたが、漢字の意味が何となく掴めれば、作業には支障なかった。1液と2液を混ぜ、髪の毛に塗って30分ほど待つ。

 しかし残念ながら、この「茶髪作戦」は失敗に終わった。中国でも都会に行けば、茶髪の男の子がちらほらと歩いているので、中国人のリアクションは黒髪の時とほとんど変わらなかったのである。

 

「パーマ」という中国語がわからない

8613 大理の町をぶらぶらと歩いていたときに、大きな美容院が目にとまった。その瞬間に新しいアイデアが閃いた。「パーマをかけてみたらいいんじゃないか」と思ったのである。茶髪ならちらほらいるかもしれないが、パーマをかけている中国人男性はまず見かけなかったのだ。

 僕はその美容院に入ってみることにした。清潔で広々とした店内に、椅子が十数脚も並んだ大型店だった。しかし入ったのはいいけれど、「パーマをかけて欲しい」という意志をどうやって伝えたらいいのかがわからない。案の定、英語を話せる人は誰もいなかったのである。

 とりあえず僕はポケットからメモ帳を出して、筆談を試みることにした。しかし「パーマ」という単語を中国語で何と書けばいいのかが、さっぱりわからない。
「巻髪」
「永久波髪」
「化学処理的髪型」
 とかなんとか、思いついた言葉を適当に書き付けてみたのだが、従業員の女の子達は不思議そうに首を捻るばかりだった。そこで僕は筆談を諦めて、店内を歩き回ってみることにした。残念ながらパーマ中のお客はいなかったのだが、キャスター付きの作業机の上にパーマ液らしきものが置いてあるのを見つけたので、
「これだよ! これを塗って、クルクルってやって欲しいんだ」
 と言うと、ようやく女の子達も「なんだ、パーマのことね」と頷いてくれたのだった。

 パーマの値段は20元(300円)、カットだけなら7元(100円)ということだった。中国はありとあらゆるものの値段が安い国ではあるが、パーマ300円というのはまさに激安である。逆にどうして日本の美容院はあんなに高いのだろう、という疑問を感じてしまうほどだった。

 パーマのやり方自体は、日本の美容院とほとんど変わらなかった。カーラーで髪をくるくる巻き上げて、アンモニア臭のする薬品をぺたぺたと塗り、頭に卵型のスチームカプセルを被せる。それから30分ほど待てば、パーマ頭が出来上がる。日本の美容院と違うのは、出来上がりを待つ間にぱらぱらとめくる女性週刊誌が置いていないことぐらいだった。

 カーラーをほどき、洗面台で髪の毛を洗い、ドライヤーで乾かしてもらうと、いよいよパーマの完成である。鏡に映った髪型は、僕のイメージとは若干異なっていた。メモ帳に「軽」や「弱」と書いて、「軽めのパーマにしてくれ」と伝えたつもりだったのだが、出来上がりはかなり強めのパーマだった。70年代風、若い頃の中村雅俊を彷彿とさせるような髪型だった。でも、ちょっとレトロでファンキーな感じは悪くなかった。中国の町で「目立つ」ことが主目的なのだから、これぐらいでちょうどよかったのかもしれない。

 

パーマ作戦大成功

8641 ところが美容師の女の子達は、完成したパーマ頭を見てケラケラと笑うのである。お客の髪型を笑うなんて失礼な、と思わないでもなかったが、彼女達が笑いたくなる気持ちも理解できた。「こんなヘアスタイルにしちゃったけど、本当にいいのかしら?」と思っているのだろう。

 レジで代金を支払ってから、もう一度鏡の前に立つと、3人の女の子も一緒になって鏡を覗き込んできた。
「かっこいいでしょ?」
 僕はおどけて言ってみた。3人の女の子は、口々に中国語で感想を述べ合っていたが、どんな意味なのかはわからなかった。まぁ知らない方がよかったのかもしれない。

 美容院を出てから、貸し自転車屋で自転車を借りて、大理の郊外を走ってみた。大理の中心部には、城壁に囲まれた古い街並みが残っているのだが、郊外に出ると延々と水田が続くのどかな農村が広がっているのである。

 田んぼの真ん中を通り抜けるまっすぐな道を走っていると、背後から「ハロー!」という声が聞こえた。振り返ってみると、下校途中の小学生達が僕に向かって手を振っていた。「ハロー」と声を掛けられたのは——つまり外国人だと見た目で判断されたのは——中国に入ってから初めてのことだった。かけたばかりのパーマが判断の決め手になっているのは明らかだった。

「ハロー! ニーハオ!」
 僕も子供達に向かって手を振った。
 こうして「パーマ作戦」は見事大成功に終わったのだった。