バンコクは退屈な街だった

 バンコクに到着してから2日間、ずっと下痢に苦しんでいた。直接の原因は、立て続けにフルーツシェークを飲み過ぎたせいなのだが、ジュースにあたったというよりは、暑さと疲労と冷たい飲み物が重なった結果のようだった。ベトナム、カンボジアと、衛生状態のいいとは言えない国を何事もなく通過してきただけに、自分のお腹を過信していたのだ。
 バンコクにはいろいろ美味い食べ物があるというのに、一向に食欲も湧かず、屋台でお粥をすするのが精一杯という有様だった。

1713 バンコクはとにかく暑かった。気温で言えば、ホーチミン市もプノンペンも同じようなものだったかもしれないが、バンコクではそれに排気ガスで汚れた湿度の高い空気が加わることで、不快指数が格段に上がっていた。

 バンコクでは、世界中のバックパッカーが集まる町「カオサン通り」に宿を取った。そこは外国人旅行者と、彼らを相手に商売するタイ人だけで成立している、一風変わった町だった。カオサン通りの両側には、安宿、両替所、ネットカフェ、土産物屋、鞄屋、古本屋、洗濯屋、マッサージ店、コンビニなどがずらっと軒を連ね、旅行者にとって必要なモノやサービスが何でも手に入った。この周辺だけで、2ヶ月や3ヶ月を過ごす旅行者も珍しくないというのも分かる気がした。物価が安い上に、居心地がいいのだ。

 一方、バンコクの中心部は、高層ビルディングが立ち並ぶ近代化した街だった。日本の百貨店もいくつか進出していて、「タイ・イセタン」の品揃えやモノの値段は、日本の伊勢丹と変わりがなかった。驚くべきことに、テナントとして入っている紀伊国屋書店には、徳島県地図や青森県地図まで置いてあった(しかし誰が何の目的で買うのだろう?)。

 でも、正直に言って、僕にとってバンコクは退屈な街だった。下痢でろくに街を歩く気にもなれなかったというのもあるけど、香港と同じように街全体がのっぺりとした都会で、「これは」と思えるような魅力に欠けていた。旅の匂いがしてこなかったのだ。

 
 

タイのエアコン付きバスはとにかく寒い

1984 そんなわけで、僕は下痢も治らないまま早々にバンコクを離れて、北部の古都チェンマイに向かった。バンコクのカフェで、真夏の犬みたいにぐったりとして、薄い紅茶をすすってばかりいると、治るものも治らないような気がしたからだ。チェンマイはバンコクよりも幾分涼しくて、過ごしやすいという話だったし、うんざりする排気ガスからも逃れられそうだった。

 出来ることなら移動には寝台列車を使いたかったのだが、時間が合わなかったので夜行バスに乗ることにした。午後7時近くになっても、バンコクの街は昼間の火照りが冷め切らず、宿からバス乗り場までバックパックを担いで15分ほど歩いただけで、取り組み後の相撲取りのようにだらだら汗をかいた。僕は体調がすぐれないまま、夜行バスに12時間乗り続けようという自分の無謀さを、早くも後悔していた。

 しかし、バスの中は快適だった。日本の長距離バスと変わらない広々とした作りで、シートは深くリクライニングできるし、しかもエアコン付きだった。
「これなら暑さを感じることもないし、ぐっすり眠れて、次の朝はチェンマイだ」と思ったのだが、それが甘かったのだ。

「タイのエアコン付きバスは、とにかく冷房が効いていて寒いから、注意しなさいよ」
 そういう話は他の旅行者から聞いていたので、僕も一応の準備はしていた。車外はTシャツ一枚でも暑いというのに、Tシャツをもう一枚と長袖のシャツを持ち込んでいた。さらに、座席には毛布が一枚ずつ用意されていた。

 それでもバスは寒かった。温度調節機能が壊れているのか、エアコンはずっとスーパーの乳製品コーナーのようなマックスパワーの冷気を出し続けていた。体調が悪い僕だけが特別に寒いと感じているのではなく、我々とは明らかに体感温度が違う欧米人のツーリスト達も、ウィンドブレーカーを着こんだ上に毛布に包まった姿勢で、寒さに耐えていた。それは、どう考えても変な光景だった。

 
 

エアコンは空気を綺麗にする?

2083 夜中の1時に一度きりの休憩を取った後、状況はさらに悪くなった。タイも北部に入ると夜間は気温がぐっと下がるのに、エアコンの冷気の勢いは全く衰えないのだ。

 僕は保冷車で運ばれる冷凍マグロのような惨めな気持ちで、しばらく毛布に巻かれて震えていたが、もうこれ以上は耐えられないと意を決して立ち上がった。そして、運転手の横で眠っている車掌の肩を揺すって起こした。

「すごく寒いから、エアコンを切ってもらえないだろうか?」
 僕はジェスチャーを交えながら、ゆっくりと丁寧な英語で頼んだ。車掌の若い男は、眠そうに瞼を手の甲で擦ってから、僕の顔を2秒だけ見て、
「サービスだ」
 と短く言った。そして、すぐに目を閉じて眠り始めた。サービス?
「おい、これのどこがサービスなんだよ!」
 僕は車掌の背中に抗議の声を浴びせたが、完全に無視された。車掌の瞼は、頑固なハマグリのように二度と開くことはなかった。僕は諦めて自分の席に戻るしかなかった。

 こうなったら、さっさと寝ちまおう。眠ってしまえば寒さも腹立たしさも忘れられる。でも、この冷凍バスの中で震えながら眠るのは、至難の業だった。

 カンボジアのピックアップトラックも、相当にハードだった。でもあの移動の辛さは、理不尽なものではなかった。道が悪く、他に交通機関もなかったのだ。だから尻の皮が剥けても、埃まみれになっても、我慢することができた。でも、この冷凍バスは違う。彼らは無駄なガソリンを消費しながら、無意味に乗客を冷やし続けているのだ。

「寒いんだったら、これを使うかい?」
 僕が震えているのを見かねて、横の座席のベルギー人の男性が毛布を渡してくれた。自分は隣のガールフレンドと一緒の毛布で十分だからと、余った一枚を貸してくれたのだ。
「ありがとう。とても助かるよ」
 僕は彼の親切を有り難く受けた。二枚の毛布を重ねたお陰で、何とかこの寒さをやり過ごせそうだった。

「彼らはね、エアコンがあったらずっと効かせ続けるのが、サービスだと本気で思っているんだよ」
 ベルギー人の男が小声で言った。
「どうして?」
「さぁ。聞いた話だと、『エアコンは空気を綺麗にする』って噂を信じているらしいけど」
「でも、これはやり過ぎだろう?」
「まったくね。でも、『ローマにいるときはローマ人のやり方に従え(郷に入りては郷に従え)』って言うだろう。だから僕らも、タイにいるときはタイ人のやり方に従うしかないのさ」

 彼の言う通り、多少理不尽でもそこのやり方を受け入れていくのが、旅というものなんだろう。しかし、彼らのやり方を受け入れたからといって、この場の寒さが和らぐわけでもなかった。

 彼は「お休み」と言うと、ガールフレンドの肩に頭を戻して目を閉じた。毛布の下で体を寄せ合う二人の姿を見ながら、「何だって俺はこんなところを一人で旅しているんだ?」という弱気な考えが頭をもたげたのは、弱っている体と寒さのせいに違いなかった。