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ヤンゴンの街角で水を売る女

 ヤンゴンが魅力的だったのは、この街が他のアジアの首都と同じような建設ラッシュ――古いものをぶっ壊して、その上に無味乾燥でのっぺりしたビルを次々と建てていく行為――にまだ襲われてはいなかったからだ。もちろん、ヤンゴンも人口500万を抱える大都市だから、外国資本の高層ビルもあることはあるのだが、長引く経済制裁のせいで近代化のスピードは遅く、イギリス植民地時代の面影を残す古びた建物も数多く残されていた。

 人々のスタイルも、とてもユニークだった。女性や子供は「タナカ」という白い粉を、頬やおでこに塗っている。これは特別な木の幹をすり潰して作る日焼け止め兼化粧品で、人によって塗る量も塗り方も様々で、その違いを見ているだけでも飽きなかった。

 男達はズボンではなく、「ロンジー」という巻きスカートを履く。噛み煙草の一種である「コオン」も根強い人気を持つ嗜好品で、これをくちゃくちゃと噛み続ける男達の口の中は、リンゴ飴を舐めた後のように真っ赤に染まっていた。僕も一度試してみたのだけど、辛いような酸っぱいような何とも言い難い刺激が口の中に広がって、たまらず吐き出してしまった。

 ヤンゴンの街の中でも、とりわけ僕が引きつけられたのは、メインストリートを一本外れた路地だった。そこには下町の飾らない日常生活、素顔のヤンゴンがあった。
 例えば「41通り」は、野菜や果物や生花などを路上に並べて売り買いする即席のマーケットになっていた。

2216 ママウーはそんな路上八百屋の中でも、一番威勢のいいおばちゃんだった。彼女は前を通りかかった僕に向かって、「そこのお兄ちゃん!これ買ってかないか?」と青い唐辛子の籠を持ち上げた。

「そんなの要らないよ。どうせ辛いんだろう?」と僕が顔をしかめると、
「ノー、ノー、これは辛くないんだ。ほんとだよ」と唐辛子を一本取って、僕に手渡した。「大丈夫だよ。ママウーも一緒に齧るからさ」
 彼女は身振りでそう言うと、大きな唐辛子を自分の口に運んだ。そう言われたら、食べないわけにもいかない。半信半疑で一口囓ってみると・・・涙が出るほど辛かった。まんまと騙されたのだ。

 それを見たママウーは、「あたしゃ、食べてないよー」とばかりに口の中から無傷の唐辛子を取り出して、大笑いを始めた。イタズラに成功した子供みたいな満面の笑みにつられて、僕も一緒になって笑ってしまう。やっとのことで笑うのを止めたママウーは、今度はトマトをひとつ取り出して、「これで口直ししな」と渡してくれた。

 そんなやり取りを面白がって、八百屋のおばちゃん連中が僕を取り囲んだ。そして誰かが、英語が話せるという元船員の男を、通訳役に引っ張ってきた。
 彼によれば、ビルマ語で『ママ』は『強い』という意味で、『ウー』は女の子に付けるショートネームであるという。確かにママウーは「強い女」という名前に負けないぐらいの、たくましい体の持ち主だった。きっと子供も何人か産んでいるのだろう。

2218 ところが本人に聞くと、意外にもママウーはまだ独身なのだという。おばちゃんにしか見えないのだが(もちろん本人にはそんなことは言わない)、32歳のお姉さんなのだった。
「いい人が見つからないんだよ」とママウーは残念そうに首を振る。「だからさ、あんたが日本に帰るときには、ママウーも一緒に連れていってくれないかい? アタシは働き者だよ」
 ママウーは棍棒のような太い腕を、僕の腕に絡ませた。周りのおばちゃん達から、冷やかしの声が飛ぶ。

「この国で一生懸命働いても、たいした金にはならないんだ。日本に行けば、楽に暮らせるんだろう?」
「日本でも、一生懸命に働くのは同じだよ」
「でも、たくさんお金が貰えるって聞いているよ」
 日本に出稼ぎに行ったミャンマー人は、みんな一財産築いて帰ってくる。日本で稼いだ金は、こちらでは何十倍もの価値を持つからだ。そういう話を人伝えに聞いているママウー達にとって、日本のイメージは今でも「黄金の国ジパング」なのかもしれない。

「きっとママウーは、ここにいる方が幸せだよ」
 僕がそう言うと、ママウーはそうかもしれないねぇ、と頷いた。

 
 

ムスリムの若者ボビーの夢

2203 夕方になると、路地のそこかしこで「チンロン」が始まった。これは「セパタクロー」で使われる籐で編んだ球を、輪になった男達が「蹴まり」の要領でぽんぽんと蹴り合う遊びである。上級者になると、ただ蹴るだけでは飽きたらず、わざと背後に落ちてくる球を踵で蹴り上げてみたり、くるりと一回転してから蹴ってみせたりと、様々な技を競い合っていた。

 僕が見た「チンロン・マスター」は、50は過ぎていると思われる坊主頭のおじさんだったが、動きは他の誰よりも素早く、難しい足技を次々に決めていた。彼がくるくると回転する姿は、バレエダンサーのように華麗だった。一度だけ、「お前も入らないか」と誘われたが、僕は「見ているだけでいいんだ」と断った。本当に彼のテクニックを眺めているだけで、十分楽しかったのだ。

 青空喫茶店が何軒も出ている路地もあった。喫茶店で休んでいるのは男ばかりで、若者も年寄りも小さなテーブルに寄せ集まるような格好で、甘いお菓子を食べ、茶を飲みながら、世間話に興じていた。

「カモン!カモン!こっちで一緒にお茶を飲まないか?」
 と英語で声を掛けてきたのは、ボビーと名乗る若者だった。彼は彫りの深い顔立ちをしたハンサムな男で、両耳にピアスをし、引き締まった体にぴったりとしたタンクトップを着て、ロンジーではなくジーンズを履いていた。彼のファッションは、渋谷あたりの若者とあまり変わらないように見えた。

 ボビーは祖父の代に今のバングラデシュから移住してきたムスリムの家系で、彼も白いイスラムの帽子を持っていたが、祈りの時以外はナイキのキャップを被っている。「だって格好良くないだろう?」とボビーは言う。信仰よりもファッションが大事という、今どきの若者なのだ。

2219 ミャンマーは国民のおよそ90%が仏教徒であるけれど、それ以外にも様々な宗教と民族が共存している。ヤンゴンの旧市街にはパゴダとキリスト教会とモスクがすぐ近くに並び、他にも中国寺院、ヒンドゥー寺院、それにユダヤ教のシナゴーグまである。東南アジアと南アジアが交差する地理的な事情もあってか、ミャンマーは多民族・多宗教国家でもあるのだ。

 ボビーは僕よりもひとつ年上の27歳だが、まだ学生だった。
「実は軍事政権がクーデターを起こしてから、ずっと大学の授業は閉鎖されていたんだ。最近は再開されたんだけど、授業なんてほとんど行われていない。だから僕らはこうやってお茶を飲んでいるってわけさ。働かないのかって? この国じゃ、大学を出てもまともな職には就かせてもらえない。軍事政権はインテリが嫌いなのさ」

 ボビーの夢は、いつか外国に出て働くこと。そのために、今は英語の勉強をしているのだという。彼は「外国人の君と英語を話すのは、いい練習になるよ」と言ったが、彼の英語は僕よりもずっと上手だった。

 
 

20歳のボーイフレンドがいるよ

2220 僕らはお互い暇な身分なので、お茶を飲みながら様々なことを話した。彼が一番熱心に話したのは、ミャンマーの軍事政権がいかに腐っているか、ということだった。政治の話が一段落すると、話題はプライベートなことに移った。

「君は結婚しているの?」とボビーが僕に訊ねた。
「していないよ。君は?」
「僕もしていない。それに、将来も結婚することはないと思うんだ」
「君ぐらいハンサムだったら、ガールフレンドぐらいいるだろう?」と僕が言うと、ボビーは言いにくそうに口ごもった。
「僕は・・・英語でなんていうのかな・・・つまり、僕は男が好きなんだよ」
 突然のカミングアウトに、僕は一瞬言葉を失ってしまった。彼の顔を見ても、冗談を言っている様子ではない。
「その・・・君にはボーイフレンドがいるってことなのか?」
「ああ、20歳のボーイフレンドがいるよ」

 ボビーには、確かに男の色気のようなものがあった。どこか謎めいた彼の目や、引き締まった体に惹かれる男がいるとしても不思議ではない。
 でも、イスラムの教えでは同性愛は禁止されているはずだし、ミャンマーという国も、セックスに対して決してオープンな雰囲気ではない。そんなところで、気軽にゲイであることを告白してもいいんだろうか。
「君が外国人だから言っているんだよ。それに・・・君はなかなかハンサムだしね」
 僕はボビーの言葉の意味を計りかねて、曖昧に頷いた。確か香港のオカマ詐欺師にも同じようなことを言われたな、と僕は思った。

 その後、彼は僕を自分の家に招待してくれたが、バガン行きのバスの時間が迫っているからと言って、丁重に断った。ボビーは残念そうな顔をしたが、ヤンゴンに戻ってきたときは是非訪ねて欲しいと、自宅の住所を紙に書いて手渡した。そして固い握手をして、僕らは別れた。

2151「・・・それって、ナンパされたんじゃないですか?」
 と言ったのは、数日後にこのことを話した日本人旅行者だった。
「いや、ボビーは本当に親切で紳士的な男だったんだよ」
「それが怪しいですよ。まず仲良くなってから、本題を切り出そうとしていたんじゃないですか? だいたい、初めて会った相手に『自分はゲイだ』って言うなんて、変ですよ」

 彼の言う通りではあった。僕自身、ボビーの誘いを断れる正当な理由があることに、ほっとした部分もあったのだ。自分が男にナンパされるなんて考えたこともなかったが、一般的に色が白くほっそりとした日本人男性は、海外の「そっち系」の人には人気が高いのだ、という話を耳にしたことはあった。

 それにしても、僕に好意を寄せてくれるのが、32歳のママウーとゲイのボビーというのも、なんだか哀しい。旅先のロマンスというのは、そう簡単に訪れるものではないようだった。